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第18話 掃除 ②
ギュアアアアアァァア!
鉄に匹敵する鱗を食い千切り、三角の歯は龍虎の臓腑まで突き刺さる。鮮血が飛び散り、けたたましい悲鳴が樹木を震わせた。
飛び出してきた顎は鮫の物。龍虎に並ぶほど大きな流線型の身体が、雪飛沫を上げて宙を舞う。それは、鮫が獲物を捕らえた際、勢い余って海面から飛び出した様に似ていた。
そのまま自由落下する。鮫は、暴れる龍虎を尖った岩――剣岩(つるぎがん)――目掛けて叩きつけた。
真っ赤な花が咲く。
龍虎の頭部は熟れた果実のように飛び散っていた。それでも六本の足が動き、鮫を傷つけようと足掻く。頭を砕かれて即死しないのは、この寒さで血管が凍り付いたからだろうか。はたまた喰われた村の者たちの怨念か。
鮫はレナの姿に戻り、咄嗟に飛び退いたが、龍虎の爪は彼女の腕から脇腹を切り裂いた。
「ぐうっ!」
龍虎の爪は分厚そうに見えて、カミソリのように鋭い。レナの腕が切断されなかったのは、先に頭部を潰しておいたおかげだろう。それでも深手には変わりない。
ミスって背中から着地するも、すぐさま転がるように跳ね起きた。
「はあ。はあっ」
起き上がろうともがく頭部のない龍虎を睨む。頭を無くしても全然油断ならない。だが、そんな緊迫した時間は、長くは続かなかった。
ふっと電池が切れたかのように、龍虎の手足が地面に落ちる。
胸を撫で下ろしてホッとする間もなく、栄養を求めて土と雪を突き破り、凍光山の固有種、寄生キノコが次々龍虎から生えてきた。
「っ!」
爆発的は速度で養分を吸われ、みるみる縮んでいく。その分、色とりどりなカサを広げるキノコ。真上から見ると、嘆き悲しんでいる顔に見える模様が浮かび上がり、精神衛生上よろしくない。
「くそ」
ちんたらしている場合ではない。キノコの胞子はすでに撒き散らかされている。レナも怪我をしているのだ。そこから体内に入り込まれ根を張られたら、もう腕を落とすしかなくなる。
寄生キノコだけではない。血のにおいを嗅ぎつけ、他の魔獣や危険動物もやってくるだろう。レナは素早く腰に巻いていた布で止血すると、討伐の証である朱色の牙だけを拾い、その場から逃げるように走り去った。
龍虎を死に追いやった彼女とて、この凍光山においては「強者」ではない。
「チッ! ついでに龍虎の鱗欲しかったのに」
悔しげに歯を喰いしばり一目散に危険区域外を目指す。
彼女と龍虎が流した血は、瞬く間に白い雪で塗りつぶされた。
♦
「いいか? お客様がいらっしゃったら、ずっと笑顔を保持しろよ? なにもできないならせめて笑みは浮かべておけ」
倉庫の掃除中に、桶と雑巾片手にニケがやってきた。昨日、味噌を探している時に荒らしてしまった倉庫だ。
たすきで腕まくりした姿で偉そうに言いながら、雑巾を桶の水で洗い、きつく絞る。
「え? 今日、来るの?」
「来たら、の話だ。酢蛸が」
「スダコ?」
罵倒の一種なのだろうか。ニケの罵倒はたまによくわからないものがある。そのせいかムッとするより、どういう意味だ? という感情が先に湧く。ニケ語録辞書みたいなものが欲しい。
「接客業で、お客様に真顔を見せたら死ぬと思え」
「死ぬのっ?」
目を剥くフリーは、黄色い花模様の三角巾に割烹着姿。どちらもニケ姉のもの。
今日は月に一度の「宿大掃除」の日。ニケたちは朝からずっと掃除している。
掃除ならニケが毎日していて、宿はとてもきれいだ。それなのにこういう日が必要なのだろうか。掃除なんて一年に一度の大掃除で良くないか……なんて思うフリーだが、口にすると掃除されそうなので黙ってハタキで埃を落としていく。
顔を埋めたくなるような毛ハタキは、面白いように埃を奪い取っていく。こうして見ると、きれいに見えて埃ってあるんだな。
「埃を落としたら、箒で履いてから水拭き。乾拭きも忘れるなよ」
「はい」
掃除はやる事が多い。
それでニケは何をするのかと手を動かしながら見ていると、自分より大きな壺をずるずると窓下まで押していく。その上によじ登ろうとしたので、たまらず壺を押さえに走った。壺が倒れてニケが怪我するかも、と思ったからだ。
「あん?」
すっ飛んできたフリーを不審そうに見上げる。
「壺に乗ったら危ないよ!」
「何がだ? 窓を拭こうとしただけだ。あれを見ろ」
ニケが指さした窓は倉庫にひとつだけある丸窓で、今は光を入れるために開かれている。高さはフリーの目線の高さで、なるほど踏み台がなければニケでは届かない。
「俺がやるよ」
「はあ? なんで? これはいつも僕がやっているから、いいぞ」
心配されていると気づいていないニケは、小さいことをからかわれたと思ったようだ。ムッとして壺に飛び乗る。
「ひぃ」
歯の隙間から悲鳴を上げ、壺を両手でしっかりと押さえる。確かに壺はぐらつかなかったが、見ているとハラハラする。
壺の縁に乗って背伸びをすれば、雑巾は窓に触れた。左右に動かし埃と蜘蛛の巣を撤去していく。蜘蛛ってすぐに巣を張るんだから。
「んーんっ」
ニケは懸命に腕を伸ばすが、窓の上側には届かない。
ぷるぷる震えるニケを見て和んでいる場合ではないと判断したフリーは、ニケの両わきの下に手を差し込み、ひょいと持ち上げた。
「おお?」
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