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第22話 幽鬼族にしよう
「そういえばさぁ。ニケ」
「ああ?」
「あの~。そろそろ衣兎(ころもうさぎ)族の村で、種族を言おうとしたら裏拳喰らった理由を……」
ニケはポンッと手のひらに拳を落とす。
「忘れてたぁ。あれだ。お前さん。絶対に他で「私は人間です」なんて愉快な発言するなよ?」
「種族名も含めて名乗れと言われたから言おうとしたんですがっ?」
背後から愕然とした声が聞こえ、若干の申し訳なさが浮上する。
「それはお前さんが、まさか人族だと思わんかったからで……」
振り向いてフリーの顔を見る。彼は「どういうこと?」と言わんばかりの表情だった。
「お前さん……。雪崩にあった村で暮らしていた時、何か言われなかったか?」
ニケの質問の意味が分からないようであったが、それでもフリーは思い出すように視線を天井へ向ける。
「うーん? どんくさいとか、なんでそこでコケるんだ、とかはしょっちゅう言われていたよ?」
――こやつをどんくさいと思っていたのは僕だけじゃなかったか。
「ええっ!」
「おっと」
つい口から出ていたらしい。涙目になるフリーを見て、滑った口を手で押さえる。
「そうじゃなくて。……お前さんの種族については? 何か言っていただろう?」
「ううーん? 忌み子とか、谷底に投げ捨てろとか騒いでいたヒトばかりだったな」
でも捨てた後、報復や目に見えない呪いのようなものを恐れて、実行できる人はいなかった。
その気持ちは分からんでもない。ニケも情報を抜き取り、「未知」から「多少知ったもの」に変化させてから、元居た場所に戻そうと思ったくらいだ。
「年齢が二桁になってからはあれを殺せとか、捕まえてこいとか雑用を言いつけられるくらいで、それ以外は檻の中。とにかく暇だったなぁ~」
なんでもないように淡々と語っているが、声から感情が抜け落ちていっている気がした。
ニケが子どもだから、ソフトな表現で話しているのだろうが、その内容はなかなかに酷かった。
「人族は悪だ。意思を持つことも意見を言うことも許さない。お前を生き物とは認めない、とか。……ああ~。だからニケは種族を言うなって言ってくれたわけか。なるほどね」
……後ろにいるのは、本当にフリーだろうか。
声に熱がない。
柔らかさもない。
湯気に包まれた空間にいるのに、剥き出しの背中が寒い。
身体を固くするニケの背に、フリーはさっとお湯をかける。妙に温かく感じ、心がほぐれていく。
ニケがそっと後ろを見ると、金緑石(きんりょくせき)の瞳が優しげな色を纏っていた。
「泡を流したよ。前は自分で……俺が洗おうか?」
「……」
差し出された泡まみれの手ぬぐいを受け取る。
よいせっと、フリーは隣に座る。
「じゃあ俺はこれから名乗る時、どうすりゃいいのかな?」
自分の膝に肘を立て、頬杖をついてぼやく。
ニケはごしごしと身体を擦る。
「……鬼としておけばどうだ? 僕もお前さんのことは鬼かな? と思ったし」
「鬼?」
ぱちぱちと瞬きする目を見て、説明が必要だと感じる。
「お前さんがいた村に、鬼族はいなかったのか?」
「鬼ねぇ。村の皆がなんの種族だったのかも知らないや」
足の指の間もニケは丁寧に洗う。
「そこまで詳しくはないが鬼族は頭部に角を生やし、強さ至上主義で従順な種族だ。見た目は人外じみた者から、人とそう変わらん者までさまざまいる。都合がいいから鬼ってことにしておけ」
フリーは無意識に頭に触れる。
「俺、角ないよ?」
「見れば分かるわ。舐めとんのか。……事故で角が折れたってことにしておけ。哀しい雰囲気を醸し出しておけば善心を刺激し、それ以上の質問や追及を防げるはずだ」
それでも踏み込んでくるやつなど、殴っておけばよし。
「ヒトを殴ったことないよ……」
「ま、そんなもやし腕じゃあな」
「も、もやし……」
凹むフリーを無視して、頭からお湯を被って豪快に泡を流す。
「ぷふー」
「ぎゃあ! だから水を飛ばさないで」
毛を振るうたびにやかましいやつだ。そんなに水が苦手なのか。でも風呂には喜んで入っているようだし、わけわからん。
湯船に向かうニケを目で追いかける。
「じゃあ、俺は鬼族ですって言えばいい?」
「鬼族は総称だから、うーん。幽鬼(ゆうき)族って設定にしよう。彼らは魔九来来(まくらら)とは違う変な力を使う分、腕力皆無だからな。もやしの化身であるお前さんにぴったしだ」
「ぐあっ」
胸を押さえて椅子から落ちるフリーを見て、ふふんと笑う。
そのざまでなんか安心したニケは、ちょいちょいと手招きする。
「ほれ。床と仲良くしてないで、お前さんも入らんかい」
「え? もう十分入ったよ。それにこれ以上は」
のぼせそうなんですけど、と続けようとしたがしぶしぶ立ちあがった。浴槽からギリ顔を出したニケが口をへの字に折り、きっと睨んできたからだ。
――ひたすら可愛い。
これを拒める精神力は、フリーにはない。
浴槽を跨いで、もう十分火照った体を沈める。
湯が溢れ、軽い波が起こり、ほぼ浮いているニケは隅っこまで流された。
「どんぶら」
「どんぶらって言いながら流される人初めて見た!」
慌ててニケを両手で捕まえる。余裕があることはセリフから伝わるが、万が一、ニケが溺れてしまうと思ったのだ。
掃除のときに持ち上げたのとは違う。お子様のうるうるでもちもちの素肌。思わず抱きしめそうになった。
「ぐぐぐぐぐ……」
血が出そうなほど喰いしばって「抱きしめたい欲」を堪える。
その間ニケは「なにしているんだろうこやつ」と言った顔で見上げていた。
波が静まった頃を見計らって、そっと手放す。
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