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第25話 初めてのお客様 ①

♦     檻の中にいた頃は、一日がとにかく長く遅かった。なのに、ニケと暮らし始めると一日が、燕が通り過ぎる速度で終わっていく。楽しいと時間が特別早く過ぎ去っていくらしいと、フリーは新しい発見をした。  そんな高速な日々に変化が起きた。ニケの宿にお客様がいらっしゃったのだ。 (笑顔笑顔……)  フリーは口角を限界まで吊り上げ、笑顔を形成する。「真顔すなわち死」であるという雇い主の言葉を鵜呑みにした結果である。  命がかかっているため緊張しているのかかなり酷い出来であったが、笑っていることには違いない。  そんな一歩引かれそうな変顔を維持しているフリーに背を向け、ニケが客ににこやかに応対していた。 「レナさん。お久しぶりですね」 「やあ。ニケ殿。相変わらず愛らしいな。……食べてしまいたくなるよ」  桃色の唇から、牙がぎらりと覗く。  初っ端から風変りな挨拶をしてくるのは、猟師兼退治屋の女性。猟師は獣を、退治屋は犯罪者や人に害をなした魔物や魔獣を討伐するのが仕事だ。  フリー程はないが、なかなかの長身。見事な起伏を描く肢体を包むのは、虎柄の白い中華服。スリットからはフリルスカートがふんだんに溢れ、ドレスのように広がっている。  ただ立っているだけなのに、どこぞの姫だと言われたら信じてしまいそうな気品が溢れている。  瑠璃色のアイシャドウがレナの氷のような美貌を、一層引き立てている。  微熱の如き興奮の色を湛えた黒青色の瞳が、ニケを見下ろす。  それがまるでご馳走を前にした肉食獣のように見えて、フリーは咄嗟にニケを庇うように前に出てしまった。 「お、おいっ」  ニケが目をぱちくりさせる。大人しくしていろと言ったのに、こやつは。  急に出てきた白い物体を見て、レナが面白そうに笑みを深くする。 「おや。見ない顔だな」 「……っ」  レナと、フリーの睨み合いは長くは続かなかった。 「こら。無礼だぞ」  ニケがフリーの着物を掴んで後ろに下がらせたのだ。小さな手で剛力を誇るニケの腕力に、モヤシは玄関まですっ飛んで行く。 「すまない、レナさん。新しく雇った従業員が粗相を……」  背後から玄関の戸が外れる音と「ふぎゃっ」という悲鳴が聞こえたが、構うことなくぺこりと頭を下げる。 「ほう。従業員を雇ったのか。手駒を増やすのはいいことだ。もっとも……役に立ちそうには見えんがな」  黒青い目がすっとフリーへ移動する。玄関で無様に倒れているが、見かけない種族だ。  肩を竦めるニケは否定も肯定もしなかった。 「疲れているでしょう。さっ、部屋へ案内致します」 「いつもの部屋で頼むよ」 「はい」  お客様から預かった荷物を、声のトーンを落としてフリーへ渡す。 「これは僕の部屋へ置いておけ。勝手に中を見たりするなよ」 「は、はい! ……二人きりになって大丈夫か? なんか怪しい気がするんだが」 「んなぁ、お前さん。いい加減にしとけよ?」 「っ」  ちらちらと何度も振り返りながら遠ざかっていくフリーを尻目に、ニケが廊下を先導する。 「重ね重ね申し訳ありません。世間知らずなところがありまして……。あとでど突いておきます故」  顎に手を当て、レナは「気にするな」と肩を揺らす。 「ところで、あれは何の種族だ? 白鳥(はくちょう)族か?」  純白の羽を持ち、ノリが良いのに気位が高いという種族だ。  それでもよかったなぁと思いつつ、ニケは首を振る。 「いえ。あれはフリー……じゃなくてフロリアという者で、ゆ、幽鬼族です」  言いなれない言葉に一瞬詰まるも、レナは不振には思わなかったようだ。 「ほお。結構なレア種じゃあないか。市場で買ったのか?」  市場で堂々と人身売買していたら引く。  恐らく闇市の話をしているのだろう。ニケは話でしか聞いたことがないが、表では裁けないような商品を取り扱っているのだとか。レナは闇の世界も泳げる豪気な気質なので、なんでもないように言うが、ニケは人身売買の類は好きではなかった(人族は除く)。  出会った当時を思い出して苦笑する。 「落ちていたのを拾ったんですよ」 「ほほう。それは運のいい。……ところでどうだろう。あれの爪や歯の一本でももらえないだろうか? いい魔九来来防具が造れそうなのだが」  魔九来来(まくらら)に強い耐性を持つ種族や魔物の体の一部を使って造られる防具。指輪や首飾りなどの形にして身につければ、悪意ある魔九来来を跳ね返すことが出来る。もちろん主に使われるのは魔獣や魔物の一部だが、我ら獣人からでも作れてしまうところが恐ろしい。  案内しながら、ニケはしくったなと思う。マイナーな種族にしておけば多少ボロが出ても誤魔化せると踏んだのに、それが裏目に出るとは。  ニケは笑顔のまま顔だけ後ろを向く。 「駄目です」 「――そうか。ならば髪の毛はどうだ? あんな白い毛は滅多に見ない」 「駄目です」  普段なら絶対にしないことだが、ニケははっきりと客の言葉を遮った。  彼女は海の民、鼬鮫(いたちざめ)族だ。陸地の道徳や理が通用しないときがたまにある。臆病で苛烈で、ぞっとするほど美しい深海の魚人。  なあなあにしていたら本当にフリーの腕一本千切られかねない。  無礼な態度ではあったが、レナは怒らず目を細める。 「そんな可愛い顔で言われては……引き下がるしかないな」 「ありがとうございます」  喋っているうちに、レナお気に入りの「夏至(げし)の間」へと着いた。ニケの宿の中で一番格調高い部屋だ。  障子戸の代わりに、涼やかな白いのれんが垂れ下がっている。  それを潜った敷居の向こうに広がる色の少ない空間。一面畳に樫の木の机。四つの座椅子が置いてあるだけの簡素な室内。それは寂し気と表現するには神々しくさえあり、引き算の美がそこにはあった。  座敷の顔である床の間には紫陽花が瑞々しく咲き、部屋を彩っている。  清掃の行き届いた部屋にレナは小さな満足を覚え、浅く頷く。

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