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第27話 初めてのお客様 ③
「はふぅ……」
疲労から来るため息と共に肩を落とす。
あとは僕がやる、もう休めオラァと戦力外通告され、私室に蹴り込まれた。今は布団の上で、日課となった箸の練習中である。
上達の兆しが見えぬまま二本の棒に四苦八苦していると、厠へ行きたくなった。
上等な飯を食うようになってからというもの、一日に二回は腹がぎゅるるると鳴る。食後、ニケがそっと胃腸薬を渡してくれるようになった。なかなか良い薬なようで、フリーの腹は絶好調だ。
今日はお客さんがいらしているから手早くお結びで昼食を済ませたが、具の代わりになんと胃腸薬が入っていた。
思考が真っ白になった。お茶で流し込んだが、あれは具の節約だったのだろうか。それとも焦って具と胃腸薬を間違えたのだろうか。今思えば、お結びくらい俺が作るべきだった。
部屋を出て、お客さん用ではなく外にあるお化けの出そうな雰囲気の雪隠(せっちん)へと赴く。
畑の隅にある、木の板で囲まれた個室。屋根はあるが、立ち上がると上半身が外から丸見えなので、女性は使いづらいかもしれない。あと、冬はケツが凍るだろうな。
中には地面を掘っただけの深い穴があり、そこに用を足す。明かりも何も無いので、穴に落ちないように注意しなくてはいけない。
満杯になったらどうするのかと聞けば、肥溜めに移して肥料にするらしい。肥溜めで発酵、熟成させて良質な~とかなんとか言っていたが、難しくて理解できなかった。
用を足して雪隠から出ると、横にある背丈以上もある崖を飛び降り、石だらけの地面に着地する。
ずるっ。
「ひえっ」
濡れた石を踏んだらしく、足が滑るも崖を掴んでなんとか堪える。尻餅などつけば、「また転んだのか……」とニケに呆れられてしまう。いや、十分今でも呆れられていると思うが。
「いってぇ……」
咄嗟に岩を掴んだことで擦りむいた指先を見る。血は滲んでいなかったが、痛い。何で自分はこう転びやすいのか。
小川が流れており、いつもここで手を洗う。澄んだ水は冷たく心地いい。
水の流れる音と虫の声。
夜空にはおびただしい光の粒。その中で宝石のようにひと際光る赤い星。
手の水滴を払いながら、手ぬぐい忘れたなと立ち上がったその時だった。
「美しいが――男か」
ニケのものより低い声に、ハッと顔を上げる。小川を挟んだ崖の上に、暗い影が佇んでいた。
跳ねた心臓が痛い。目を凝らすも、人間の目は闇を見通すようになっていない。
影は笑うように身体を揺らすと、フリーのように足を滑らすことなく、わざわざ崖を下りて近寄ってきた。幅一メートルもない川なので、大人なら障害にもならないだろう。
「……」
フリーは瞬きもせず、それを見つめる。
満天の明かりも手伝って、徐々に輪郭が露わになる。
百八十あるフリーより頭一つでかいだろうか。少し気圧されたように後退る。
なにも自分よりでかい生き物を初めて見たからという理由ではなく、その人物の風体に慄いたからだ。
血で染めたような真っ赤な袈裟を身につけ、手には髑髏(しゃれこうべ)が刺さった趣味の悪い錫杖を握っている。顔は、見えない。ひっくり返したバケツのような笠の隙間から、こちらを見ているのが分かる。
袈裟とは僧が着る法衣のことだが、フリーにその知識はないため、やたらぶかぶかした着物だなという感想を抱いたのみだ。その厚い衣で体格は分からないが、手首や足がやたらごつい。丸めた拳は岩のよう。
そんな、熊と真面目に相撲を取れそうな人物が、ずんすんと近づいてくるのだ。フリーの精神状態は、悲鳴を上げて逃げ出す寸前だった。
(え? え? え? なになになにっ。こわい)
腰が抜けかけていなければ、一も二もなく走り去っていただろう。
ぬっと謎の人物が手を伸ばしてくる。避ける間もなく腕を掴まれ、するりとなぞるように肌を撫でられる。フリーはたまらず悲鳴を盛大に上げた。
「キャーーーッッッ」
「お、おい。落ち着け」
古びた蝶番の悲鳴に驚いたのか、袈裟の肩がびくりと跳ねる。
半狂乱になりかけているフリーをなだめるように言う。
「すまんすまん。驚かせたかな? ここに宿があるだろう? わしは客としてきたのだ」
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