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第32話 魔物の襲来 ①

「ところでさあ。あれって作り物だよね?」  お客様に朝食を届けて厨房に戻ってきたフリーの顔色がいささか悪い。ニケは握りかけのお結びを皿に置き、指についた米を舐め取る。 「どうした? またセクハラされたのか?」  肉切り包丁を抜いたが慌てたフリーに止められる。やはり一人で行かせたのは失敗だったか。忙しいとはいえ、僕も付き添うべきだった。 「ち、違う違う。なにもされなかったよ。……何故か下着の色を聞かれたけど」 「されてんじゃねぇか!」  かまどを壊れない力で叩くニケに、フリーは不思議そうな顔をする。セクハラとは何も身体を触られることだけではない。  僕の失態だ。  幼子に真面目に心配される十八歳。 「ちゃんと顔面蹴ってきたんだろうな?」 「ちゃんと顔面蹴るって何っ? よく分からないから「お米が好きです」って言っといたよ」 「……おう?」  それは、あのおやじも困惑したことだろう。  軟禁状態だったとはいえ、フリーの無知加減が心配になる。教育を受けられるって幸運なことなんだなと、ニケはしみじみと噛みしめた。  肉切り包丁の峰でとんとんと肩を叩く。 「で? 作り物ってなんのことだ?」 「あ、そうそう。あのヒスイってお客さんが……」 「お客様」 「あ、お、お客様が持っていた杖に、しゃれこうべ刺さっていたじゃん? あれって……」  飯を届けに行った際にもちらりと見たが、やはり頭蓋骨が突き刺さっていた。見間違いじゃなかった。  到底作り物とは思えない禍々しさを放っており、明るい所で見たらチビリそうだった。  フリーがこんなに気味悪がっているのに、ニケは「なんだそんなことか」という顔で包丁を仕舞う。 「生百舌鳥(なまもず)族の習性で、餌を木の枝に刺したり挟んだりするんだ。僕もちらっと聞いただけで、詳しくは知らんが。それが骨になったものだろう。骨の形からして、魔獣の物だな。生百舌鳥族は鷹のように気性が荒いからなぁ」 「刺しっぱなしにしとくの? 何か意味があるの?」  ニケはどうでもよさそうに首を振る。 「その辺は知らん。僕の骨のように、魔九来来(まくらら)の底上げ用かもしれん。それか何かの儀式か。ま、鳥には鳥の生き方がある。……そんなに気にすることか?」 「え、えっと。まあ……」  ニケたちは骨が気にならないようだ。これだと骨を恐れている自分がおかしい感覚に陥ってくる。  目を泳がせつつ、本心を語った。 「俺は骨を不気味だと思っちゃうな……」  これには、ニケは信じられないと言いたげに目と口を開いた。 「お、お前さん。体内に骨があるのに? も、もしかして自分のこと不気味だと、おも、思っているのか?」  体内にあるものがむき出しになっているから怖いんです、と言う前にニケが両手を掴んできた。 「僕はお前さんのこと不気味とか思っていないぞ? こやつどんくさいなボケとか、使えないなホント、とかは思うけど。気味悪いとか思ったことはない!」  身投げしようとする者に、説得を試みるような真剣さだった。  いくつかの言葉がドスドスと胸に刺さったが、下唇を噛んで我慢する。涙を。  自分の手を掴んでいる小さな手があたたかい。 「あ、ありがとうニケ。俺もニケが好きです」  何気なく言った言葉に、ニケの目が点になった。  ニケは勝手ににやけそうになる口元を懸命に堪える。 「あ、あああああ今はそんな話してないだろう!」  高速で手を振り払い、背を向ける。  怒らせちゃったかな? とフリーが眉を下げると、ニケはちらちらと視線を向けてきた。 「……なの?」 「え?」 「……僕のこと、好きなの?」  蚊の鳴くような声だった。  フリーはしっかりと頷く。 「うん!」 「……」 「……?」  ニケは膝が砕けそうになった。  ――それだけかい!  もっとこういうところが好きとか、犬耳が素敵とか、毛艶が最高とか、言葉を並べてほしかった。だが、人生経験の乏しいフリーに、察する能力を求めても酷だろう。  照れくさそうに、ニケはちょいちょいと前髪を直す。 「ま、まあ。僕もお前さんのことは、憎からず思う……」 「え?」  ニケが小声で何か言ったが聞き取れなかった。瞬時にしゃがむも、ムッとされた。 「二度は言わん」 「えええ?」  しばらく周りをちょろちょろするも、ニケは本当に二度言わなかった。  自分たち用に作ったお結びを手に取り、厨房にある丸太を切っただけの椅子に腰かける。フリーもしぶしぶその近くの壁にもたれた。 「「いただきます」」  二人の声がきれいに重なる。  一瞬顔を見合わせた二人だったが、すぐに何事もなかったように食べ始めた。  もぐもぐ。  お米を幸せそうに頬張るフリーを見つめる。  美しく空気の美味しい住処の山。透明な川の水。たまに訪れるお客様。  仕事はある。家もある。一人じゃない。  こんな平凡な日常が続いていくんだと、のんきに信じて過ごしていたのに、無情にも――唐突にそれは起こった。

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