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第33話 魔物の襲来 ②

 ふっとあたりが暗くなる。  宿が吹雪いている山のど真ん中にあるために忘れがちだが、今の季節は夏。朝だろうと夏エリア上空には雪雲はなく、眩しいほどの日光が射しこんでいたというのに。  どうせ雲が日光を閉ざしただけだろう。そう何気なく窓の外へ目を向けて、フリーは硬直した。  開け放たれた窓から、異様な生物が覗き込んでいた。 「はあ? 何!」  明らかに人間でも、ニケのような獣人でもない。  そいつは三つの目をぎょろりと動かすと、窓から侵入を試みようとした。小さな窓に身体を無理に押し込もうとするので、壁にひびが入っていく。このままでは壁をぶち壊して入ってきそうだ。  壁にもたれていたせいで、その生物とフリーとの差は壁一枚。手を伸ばされれば簡単に触れられる距離だ。 「ぼさっとすんな!」  ニケは固まっているフリーを抱えて飛び退く。危険地帯に住んでいるが故に身に付いた、冷静さと反射神経の成せる技だった。 「ほわっ」  身長の割に軽いフリーを俵担ぎしたまま厨房の床を転がり、窓から離れる。食べかけのお結びを落としてしまうがそれどころではない。  厨房の出入り口付近に跳んだため、フリーを外に蹴りやってから、ニケは相手を確かめた。  と同時に、轟音と共に壁が砕かれた。顔に飛んできた破片を虫でも払うように叩き落とす。  もうもうと埃が舞う中、壁も窓もなくなったことで三つ目の全身が露わになる。  小屋ほどもある黒い肌の巨体。毛のない頭部からは怪しく青く光る角が三本生え、忙しなく動く三つ目が、ニケを見下ろす。 「魔物だと⁉」  黒小僧(くろこぞう)。凍光山の巨人型魔物の中でも小柄で、性格は温厚な部類。目撃数も少なく、もし見かけても「体育座りで花を眺めていた」や、「寝転んで果物を食べていた」など平和な報告例ばかり。  だが、その黒小僧が振るう冷気の力たるや。寒さに強い凍光山の魔物すら凍らせるほどに凶悪。  魔獣と魔物の違いは魔九来来を使うか否か。そのせいで魔九来来使いは魔物の血が混じっていると差別されていたのだ。……昔の話だが。  寝起きの如く鈍足とはいえ、魔物は魔物。ニケは全く油断できなかった。  頬に冷や汗が伝い、かちかちと歯が鳴る。無理もない。こんなことが起こるはずがないのだから。ここは火竜が卵を産んだ地。子を守るため凶暴になる母竜、その残る殺気に、魔獣たちは恐れて近づきもしないのに。  こんな至近距離で魔物を見ることになろうとは。  魔物の襲来。 「ニケ!」  背後からの声に正気付く。 「ふ、フリー。逃げろ! 今すぐ逃げろ! お客様は僕が逃がすから、お前は衣兎族の村へ行って、このことを報せろ」 「え? ま、待ってよ。何が起こって……」 「言うことを聞け!」  びくりとフリーが両目を閉じる。  ようやく走り去ったのを見届け、ニケも動く。フリーが去ってから動き出したのは、宿の主としての矜持からだった。  床が軋む足音を背中で聞き、客室へ続く廊下を駆け抜ける。その途中で声を振り上げた。 「レナさん! えっと……ヒスイさん! 逃げてください。魔物で――」  ふと外に目をやり、白い背中が見えた。 (あやつ、まだあんなところに!)  瞬時に怒りが湧き上がるが、次の瞬間、背筋が氷柱でも突っ込まれたように冷えた。  フリーの行く手を阻むように、もう一体、別の魔物が陣取っていたのだ。  広げれば屋根を突き破るであろう大きな翼に鋭いくちばし。ネズミのように長い尾に熊の足を持つ、四つ足両翼の魔物。天熊(あまゆう)である。  立派な翼の割に飛行性能はそれほど良くなく、猫がネズミにするようによく龍虎(りゅうこ)に追いかけ回されている、下位の魔物。  ――とはいえ、訓練を積んでいない一般人にどうこう出来る相手ではない。  客の目を楽しませる花壇の花を踏みつけ、ゆうゆうと近寄ってくる。  フリーは怯え固まってしまっているのか、その背中は動かない。  舌打ちして、廊下から外に飛び出す。初夏の日差しを浴びても、まったく温かいとは思わなかった。 「何やってんだ! 逃げろっ。この馬鹿!」  声は届いただろうか。いくらニケが俊足とはいえ、天熊が振り上げた両足を下ろす方が、ずっと速かった。  氷のように透き通った爪が憐れな獲物を引き裂く――

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