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第36話 フリーの魔九来来 ②
「え?」
「あんな崩れかけの建物に入っていくなど危険極まりない。よせ」
半壊しているとはいえ、すぐに崩れるものでもないだろうが、万が一という言葉がある。ニケが中に入ったタイミングで全壊したら、目も当てられない。
崩れかけと言われニケが目に見えて肩を落とす。
「あ。その、あまり気にするなと言っても無理かもしれんがその、大工の棟梁が知り合いにいるから、頼んでおいてやろう。ちょっと変な奴だが……。だからそんな顔をするな。それと、怪我など気合いで治しておく」
といって、腰布で左腕を固定するように巻きつける。慣れた手つきだったが、骨折って気合いでどうこうなるものだっただろうか。
あせあせと言い募るレナは、犬耳を見下ろす。
壊れた建物はいくらでも直せばいい。だが花壇の花は、ニケ姉が植えたものをニケが丁寧に世話してきたものだ。姉との思い出のひとつ。気安く「潰れたのならしょうがない。さ、新しい花を植えよう」とは言いづらい。
腕が折れているのに自分の心配をするレナに、胸が熱くなる。
互いに言葉を詰まらせていると、白い青年が花壇の前でしゃがんだ。
「良かったな、ニケ。じゃあ、花壇の花は、次は赤い花と白い花にしない? 縁起良さそうだし」
のんきに言いながら、ちょんちょんと土を突いている。
――こいつ、殴って黙らせた方がいいだろうか。
レナが他人に気を遣うなど滅多にないというのに。そんなレナが気を遣っている場面で、なんだこの空気読めない族は。
能天気な提案をする青年を真顔で見下ろす。本気で拳が出る二秒前だったが、ニケが笑った気がした。
「……しょうがないやつだな、お前さんは。この花壇はお客様を楽しませるための物で、植える花は黄色だと決まっているんだ。だから赤は却下だ」
「えー? そうなの? ニケの瞳の色で、良いと思ったのに」
フリーは花壇を見ながら何気なく言ったのだろうが、ニケはムスッと頬を膨らませた。その頬は朱に染まっていて、照れているように見える。
ニケがこんな反応をするのは珍しく、レナは目を丸くした。そして青年への殺意ゲージが上昇する。
(も、もしかして、ニケちん。この幽鬼族のことを、き、気に入っているのでは……)
わなわなと震える。その先は考えたくもないので、ひとまず青年の尻を蹴とばした。花壇を飛び越えてフリーは「ああ~」と転がる。
レナははぐらかすように言う。
「ニケ殿、今は」
「は。そうだ! ヒスイさん」
ようやく思い出したらしい。ヒスイを探しに行こうと、駆け出しかけたニケの襟首を右手で掴む。
「ぐえっ!」
「すまん。その必要はない……そこにいるのだろう? ヒスイとやら」
レナの声がぐんと冷え込む。彼女が睨んだ先、木の影から赤い袈裟姿の男が出てきた。
笠で顔こそ見えないものの、間違いなくセクハラおやじであった。嬉しいことでもあったのか、口元が吊り上がっている。
宿を事故物件にしたくないニケはホッとした。
「ご無事でしたか……」
前に出かけたニケを背中へ押しやり、レナは躊躇なく花壇の石を蹴とばした。
「レナさ……!」
ニケが止める間もなく、銃弾のように跳んだ石ころはヒスイの笠を弾き飛ばした。
「チッ」
何故かレナが舌打ちする。
――顔面を狙ったのに、躱された。
石ころを凶器に変えたレナもだが、あれを喰らって顔色一つ変えないヒスイにも面食らった。
破損した笠が宙を舞う。
「なんと元気なお嬢さんだろう」
現れたのはやはり優しい顔だった。整えられた黒髪に、緑の目が笑う。名前の通り、翠玉めいた瞳だった。
ちくちくしそうな髭を撫で、男は壊れた笠を見て首を振る。
「お気に入りだったのだが」
悲しそうな低い声を聞いても、レナの心は揺れなかった。それどころか不遜に鼻を鳴らしてみせる。
「ニケ殿の大切な宿を壊したのだ。笠ひとつ駄目にされた程度でグダグダ言うな、下郎」
どういうことだとレナを見上げる。薄々は勘づいているだろうに。
おじさんはなんのことだか、と言いたげに肩を竦めた。……その仕草はどこまでも白々しく、レナの瞳が剣呑に細められる。
「さきの魔物……黒小僧と天熊は明らかに使役されていた。操っていたのは貴様だろう」
二体の魔物。分かりやすいほどに強化された魔九来来を使ってみせた。なにより仲間意識皆無の天熊(あまゆう)が、他の魔物と並んで戦うなどあり得ないことだ。黒小僧(くろこぞう)が痛みを感じないような動きを見せたのも、痛覚遮断されていたからだろう。
そのどれもが、主から力を分けられた、使役されたモノに与えられる恩恵。……いや、身を蝕むほどの身体強化など、もはや呪いだろう。あの二体は明らかに使い潰される前提の、駒だった。
魔物に同情などしないが、気分がいいものではない。
「貴様、『使役』の魔九来来使いだな? 以前戦ったことがある。魔物の動かし方がそいつと同じだ。……腹が立つほどにな」
鮫に睨まれ、ヒスイは降参するように両手をあげる。
「――いやはや……。ご明察。やはり見抜かれてしまうか。レナ様が帰るのを待つべきだったな。なんというか、やはり関わるなら大人しい花に限る」
まだそんなことを言い、翠玉の目はニケを映す。
ニケは震えかけるが、それすら許さないとレナが庇うように移動する。
「貴様ごときがニケ殿を見るな」
ヒスイは少し呆れたように笑う。
「いやいや。見るくらいいいだろう? わしが見たところで減るわけではないのだ」
「減る」
断言され、ヒスイは閉口した。
そして――上げっぱなしにしていた手の平をくるりと反転させる。ごつごつした手の甲には、墨で描いたようなかすれた紋章が刻まれていた。
「そこな幼子に用がある。そこをどいてもらえんかね? ――来たれ、我が家族よ」
その言葉に反応したのか、紋章が光を発する。その途端、ヒスイの背後に二体の魔物が現れた。時空を超えて飛んできたのか、ズズンと地響きを鳴らして着地する。
それはまたしても黒小僧と天熊だった。
殺したから当然だが、先ほどのとは違う個体のようだ。黒小僧は顔に引っかき傷のようなものがあり目が一つ潰れているし、天熊に至っては一回り小さい。
レナの左腕が、思い出したように痛んだ。
「ニケ殿に何の用だ」
「レナ様には関係あるまい」
素っ気なく述べ、しゃれこうべの刺さった錫杖をシャンと鳴らす。
すると、怪しい光が立ち上り、魔物二体を包み込んでいく。ミチミチと魔物の全身から嫌な音が鳴る。肉体が悲鳴を上げる身体強化をかけられ、もがき苦しんでいる。
(使役だけじゃないのか? 召喚に強化……いくつ魔九来来を使えるんだ。あり得ん!)
魔九来来を使える者自体希少なのに、一人が複数の魔九来来を操るなど聞いたことがない。もはや怪奇現象に等しい光景を、ニケも信じられない思いで見つめる。
そこでレナがハッとなる。裏の世界も覗いたことのある彼女だからこそ、思い至った仮設。だがそれを訊ねる前に、
「ニケ様だけ残して殺せ」
『グガ……アァッ!』
非情な命令が下された。首を絞められているような呻きを上げ、天熊が襲い掛かる。
かけられた身体強化の影響か、先ほどの天熊を上回る速さだった。
だが、ヒスイの命令とほぼ同時に、レナ背後から怒声がしたのだ。
「走れ!」
すっかり忘れ去られていたフリーである。レナがニケを抱えて道を開けるように跳ぶと、フリーはおもむろに魔物の間合いに飛び込み、次の瞬間には天熊の首を飛ばしていた。
「なっ……!」
動体視力の良いニケでさえ、斬り捨てた瞬間が霞んで見えたほどである。
首を失っても足を止めない魔物の身体を、やはり降ってきた雷が粉砕する。
「っ」
今回は魔物との距離が近すぎたため、フリー自身も雷の衝撃から顔を庇う。どうやら使いこなせているわけではないようだ。
しかし、突進してきた魔物の首を骨もろとも真正面から刎ねるなど、どういう腕をしていたら出来るのか。時にはギロチンの刃の方が負けてしまうほど、首の骨というのは硬いというのに。
才能や技量という言葉だけでは片付けられない、恐ろしい「なにか」を感じた。
小さな手が無意識に中華服を強く握る。レナはそれだけで腕が治った気がした。
炭化した翼がぼろぼろと崩れる様から目を離さず、レナは言う。
「貴様、さっきから「走れ、走れ」となんなのだ。思わず身体が動きそうになるからやめろ」
「! す、すいません。でも、あれを言わないと雷が落ちてくれないんですよ……」
魔物を屠った凛々しさは瞬時になりを潜め、レナに何度も頭を下げる。完全に魔物より彼女に怯えていた。
そして、空に広がる雷雲を見上げた時のような、不安な気持ちになる刀を引っさげ、フリーは静かにヒスイに振り向く。
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