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第37話 フリーの魔九来来 ③

 金緑の瞳は睨むでもなく非難するでもなく、ただヒスイと魔物を見ていた。  ヒスイの方もフリーのことを忘れていたようで、頬に汗が伝う。あれほど暴れていた奴を忘れるなど我ながらどうかしているが、それをのんびり考えている場合ではない。 「これは……フロリア様。黒小僧と天熊(あまゆう)、そして今の強化版天熊を屠った腕、実にお見事。フロリア様のそれも、魔九来来(まくらら)ですかな?」  素直に頷きかけたが、自分は今、変な力を使う幽鬼族という設定だ。  白い髪を振って否定する彼に、ヒスイは興味深そうに顎を撫でる。 「なるほど。幽鬼族の持つ不思議な力も、いずれ解明しようと思っておったところ。丁度いい」  背後に控える黒小僧に目をやると、置物のようだった魔物がいきなり吠え出した。 『グオオオオ』 「死んでも構わん。暴れよ」  声に従い、黒小僧はフリー目掛けて狂ったように駆け出す。涎を飛ばし、濁った二つの目がフリーひとりを睨みつけている。 (家族と言っていたのに、死んでも構わんと言うのか) 『グッ』  唸りを上げて黒小僧が突き刺すような蹴りを放つ。筋肉の塊をさらに強化した、大木をも突き破るであろう一撃。人間の視力では到底目で追えないそれを、フリーは刀で受け止めた。  ――ように見えた。 「っ」  八歳児にも劣るフリーの腕力で受け止められるはずもなく、フリーの足は地面から離れた。大きく後ろに吹き飛びはしたものの、宙で身を捻り、すとんと着地する。  黒小僧は困惑気味に瞬きをした。  まるで、枯れ葉を蹴ったような手ごたえのなさ。 『グウウ……』  しかし今は知能より筋力に強化を振られている状態。黒小僧の脳内から疑問が朝露のように消え、代わりに沸き上がるのは、目の前の獲物を踏みつぶしたいという破壊欲求。強化の代償に、知能が著しく低下していた。 (あの白いの、自分で後ろに跳んだな……)  レナは冷静に、目だけで魔物と青年を交互に見る。 「手助けは必要か?」 「いえっ。レナさんはニケを守っていてください。それなら安心です」  生意気を言うではないか。  かすかに笑って了承の意を示し、ニケを抱いたまま後ろに下がる。 「フリー……」  ニケの小さな声は確かに聞こえたが、魔物から目を逸らさなかった。  レナの腕の中。上の空でニケは周囲を見回した。  魔物に、それを操っているらしいヒスイ。  自分を守ってくれるレナとフリー。  赤い瞳が白い青年を映す。  レナは魔物を狩ることを仕事にしているヒトだからまだ分かるが、……フリーは、彼はどうして自分を守ってくれるのだろうか。  ニケがいないと住むところがないから? 食うものに困るから? それだけが理由なのか?  ヒスイが自分を狙う理由より、そちらばかりが気になった。  両腕をめちゃくちゃに振り回し、黒小僧は暴れまくる。  一発一発が掠っただけで骨が粉になりそうな威力。だが、相手目掛けて振り下ろしていた時と違い、今は動きに知性を感じない。  その証拠に、黒小僧は白目を剥いた状態だった。  意思無き暴風を、フリーは刀を肩に担いでひたすらに躱す。蹴りは跳んで、拳は地面すれすれに屈んで、攻撃を紙一重に避けていく。  当たらない、当たらない。――当たりそうなのに、当たらない。  まるで降ってきた花びらを相手にしているかのような。拳が生み出す風が、花びらを遠ざける皮肉。けして速いわけでも激しいわけでもないその動きを、ニケは見たことがあった。 (川で……食事をした時の、舞)  ニケが時間を忘れて魅入った動き。 (剣舞だったのかアレ)  本来は刀や舞扇を持って踊るもの。川で舞った時フリーは手ぶらだったが、確かに利き手は常に何かを握っているような形だった。  洗練された足さばきに対し、黒小僧は速いが動きに無駄が多すぎる。  素人が見ればどこに無駄があるのかサッパリだが、レナの目はそれらを捉えていた。 『グッ!』  大ぶりの一撃は、虚しく土を叩いた。地面は陥没するが、フリーの姿はない。  そのままの体勢で、二つの目が素早く青年を探す。  すると頭上から白い着物が降ってきた。真上に跳んで躱していたようだ。  フリーはそのまま黒小僧の地面を叩いた腕に着地すると、間髪入れずに刀を掬うように振り上げる。 「――はぁっ!」  不安定な足場と不安定な体勢から繰り出された黒刀。そんな体勢ではなにも切れないと思われたが、刀は見事に黒小僧の顔を、顎から脳天目掛け真っ二つにした。 『グウッ!』  それでもしぶといのが魔物――だったのだが。またもやフリーの腕が霞んだ。目視できないほどの、達人めいた高速剣。  籠目状(六芒星)に剣閃が走り、斬られた黒小僧がのけ反る。 「走れ!」  その網目をなぞるように、雷の閃光が駆け抜けた。雷を「落とす」だけではないようだ。体内を文字通り光の速さで雷が駆けた魔物は、電子レンジに入れられた生物の如く破裂した。  ――ビシャァ。ビチャビチャッ。  爆散、と表現した方が正しいかもしれない。  あとに残ったのは赤い水溜まりに浮かぶ肉片と、上半身を失ってなお立つ両足。  焦げ臭いにおい、そして真っ赤に染まったフリーだった。

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