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第38話 貴方の持っているものが欲しい
「うえっ。口に入った!」
魔物の血は人体に毒だ。それを知っているのかは怪しいが、フリーはぺっぺっと吐き出す。
血が目に入りそうになったのだろう。袖で拭うが着物も血を吸って重くなっている。それでいくら拭ってもフリーの顔は白くならない。
フリーは諦めたように頭を振って、瞼を上げた。
ヒスイが錫杖を脇に挟んで拍手する。
「いやはや。お見事」
手を叩くのをやめると、錫杖を持ち直す。一時たりとも錫杖を手放す気はないようだ。
魔物との戦闘が終わったと判断したレナがずかずかと近寄ってくる。
「貴様――「魔九来来(まくらら)研究員」の者だな?」
「魔九来来、研究……?」
ニケとフリーの疑問声が重なるが、レナは幼子にのみ頷いた。
「魔九来来研究員」。謎が多い魔九来来を研究し、解き明かそうとしている集団。――と聞こえはいいが、やっていることは人攫い人買いから始まり人体実験と、悪の組織。
――始まりは、純粋な好奇心から。そして、魔九来来を持つがゆえに差別されたヒトを救いたいという気持ち。たった三人のチームだった。
……いまや構成員千を超える巨大組織へと成り果てた。
厄介なのは「魔九来来使いから魔九来来を奪う」――その方法を彼らが見つけてしまったことにある。
ニケは、炎めいた赤い瞳を丸くする。
「魔九来来を、奪う? そんなことが?」
出来るの? と言う前にレナは頷く。
「そのようだ。さらに奪った力を自分の物にでき、複数持てるようになるとも聞いたことがある。あの……ヒスイとかいったか? あの男はまさにそれ。研究員の一人で召喚、魔物強化、使役。どれも奪った力だろう」
言いながら、レナは横に立つ白い青年に目を向ける。
こいつの力もなかなか意味不明だが、今は置いておいていい。敵ではないようだし。
フリーからすればレナの地面に潜る力も謎なのだが、まあ、あとで訊こう。
ヒスイは好きな音楽でも聴いているかのような顔で、うんうんと頷く。魔物を倒されても、余裕の表情は健在だった。
「左様。ニケ様の魔九来来をいただきたく参った」
レナの腕からぴょんと飛び降りる。
「生憎だが、僕の魔九来来はしょぼいぞ? 僕は第一の「種火」までしか使えない。自分で言うのもアレだが確かに便利だ。でも大きな火は生み出せない。奪ってもいいことはないから、帰れ」
しっしっと手を払う。
これ以上、不審者と関わり合いたくない。怪我人もいるし宿の修復もしなくてはならない。なんならお土産に凍光山まんじゅうもつけてやるから山から出ていけ。という意味を込めて手を振る。
もちろん、ヒスイは物分かりよく回れ右したりはしなかった。
「魔物四体。これほどの損失を出しておきながら、おめおめと帰れぬ。それにニケ様。貴方様が思うより「火」の魔九来来は貴重でな? ……魔九来来は総じて貴重だが、我らは火のストックがないので。是非とも手に入れたいところ」
「と言われても、はいどうぞと手渡せるものではない」
ヒスイは親しい友と話しているかのように笑顔で頷く。
「なに。ニケ様はそこで立っておればよい。この錫杖……毒蜀杖(どくしょくづえ)で魔九来来使いを殺すだけで奪える。素晴らしいであろう? 長ったらしく面倒な「魔九来来を奪い取る儀式」を、ここまで省略化することに成功したのだ。まったく、上層部の手腕には舌を巻かされる」
錫杖に刺さったしゃれこうべ、眼球のない空洞に二つの光が灯る。見ているだけで精神を揺さぶられるような、人魂に似た紫の光。実際にそのような効果があるのだろう。ふいにニケの頭の中が重くなり、立っていられないほどに足元が揺れた。
「――っ」
だがそこで目を見開いたのはヒスイの方だった。
異変を感じ取ったレナがニケを下がらせるより速く、黒い切っ先が目の前に迫っていたのだから。
「ぬっ」
咄嗟に錫杖を持ち上げ、黒き刀身を受ける。耳障りな音と共に火花が散り、刀はヒスイの首すれすれで停止していた。
金緑石のような瞳と、至近距離で見つめ合う。
「危ないではないか。フロリア様」
どの口が言うのだろうか。
「ヒスイさん! こんな小さな子に殺すなんて言って、恥ずかしくないのか? それでも大人か」
大人に「殺す」と言われたときの、ニケの悲壮な顔。衝撃だっただろう。深く傷ついたはずだ。
ヒスイは理解できない異国語でも聞いたかのように、目をぱちくりさせる。
「え……っと? フロリア様はわしの話を聞いておられたか?」
「ニケの火の力が欲しいんだろう?」
「然り。なので」
刀を振り回す癖に腕力がないというのは変な話だが、ヒスイが少し力を込め押し返すとフリーはあっさり後ろへ飛んだ。紫の光から庇うように、レナ達の前に立つ。
「用があるのはニケ様のみ。フロリア様、レナ様。大人しくニケ様を差し出すというのであれば、見逃すが。どうだ?」
フリーの背から、ブチッと何かが切れる音がした。
血を吸った肩を押しのけ、レナが背後から出てくる。ものすごく据わった眼で。
「おい。フリーとやら。私と貴様であれを殺すぞ」
フリーの体温が急下降する。
「あ……自分、人殺しとかはちょっと……」
瞬時に黒青い瞳がフリーの方に動く。
「あ、なんでもないです。やります……殺ります」
「よろしい」
震えるフリーに満足げに頷き、折れた左腕以外のヒレを突き出す。
「ニケ殿は下がっているように」
「……」
てっきり威勢のいい返事が返ってくると思っていたレナは、違和感を覚えて後ろを向く。
そこには、レナのドレスとフリーの袴を掴んだニケが、泣きそうな顔でこちらを見上げていた。
「……」
あの気の強いニケが涙を浮かべている。二人は同時に口を開けて硬直した。
視界の端では、ヒスイは攻撃を仕掛けようとしている。召喚かもしれないが、いまのニケをそのまま放っておくこともできなかった。
二人は一瞬目を見合わせ、ヒスイの相手はフリーに任せ、レナはニケの目線に合わせてしゃがむ。
「ニケ殿? どうした。どこか痛むか?」
ニケはふるふると黒髪を振る。
「うぅ……」
ニケはレナの左腕を見ていた。
ここでレナはハッとする。
しっかり者の仮面に隠れて忘れがちだが、ニケは正真正銘の子どもなのだ。まだまだ親を必要とする年齢の幼児が、こんな修羅場に巻き込まれて、気丈でいろと言う方が無理だ。むしろ今まで泣かずにいただけ、強い子だと褒めてもいい。
「ふうむ」
相変わらず余裕があるのか、ヒスイも錫杖を下げて成り行きを見守る。
年齢が大人に片足突っ込んでいるフリーや、魔物慣れしているレナと同じように括るのは酷だろう。親しい者が怪我をしてまで自分のために無茶をする姿に、精神が限界を迎えたらしい。
爆発寸前だった怒りが急速にしぼみ、レナはあわあわと手を振る。
「な、泣かなくてもいい。私が勝手に怪我をしたのだ。誰のせいでもない。そ、それに私は目の前の幼子を捨てて逃げるほど、薄情ではないぞ。安心しろ」
「……」
ニケの心情では、自分のせいで怪我をするヒトを見たくない。さっさと逃げてほしかったのだが、レナには「置いて行かないで」と泣いているように映ったようだ。
フリーが何か言いたそうな空気を向けてくるが、構っている場合ではない。
「魔物とそれを操る阿呆は、私がこの世から追い払ってやる。以前も似たような力の持ち主を退けているのだ。任せよ」
「……ぅ」
ニケがぎゅっと服にしがみついてきた。反射的に抱き返そうとして左腕を動かしてしまい、稲妻のような痛みが脳に走る。
「いっ」
「レナさん!」
フリーはつい顔を後ろに向けてしまった。その瞬間を待っていたように、ヒスイは錫杖を掲げる。
「美しい友情だな。では諸共に死ぬがよい」
「くっ」
後ろを見てしまったフリーの反応が、一瞬遅れる。
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