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第39話 紅葉街へ

 レナ達を庇っているため、避けるという選択肢は取れない。即座に刀を構えて防御しようとしたが、間に合わなかった。  ヒスイが何事かをぼそっと呟く。 「青刃(せいは)」  瞬時に、無数の青い刃が錫杖から発射され、襲い掛かってきた。風の刃である。  魔九来来(まくらら)は代償なしにぽんぽん使えるものではない。使えば使うほど、使用者を蝕むデメリットがあるはずだ。それなのに、このヒスイという男、先ほどから連続使用して平然としている。魔九来来研究団の研究員とやらが、使用時のデメリットすら打ち消す「なにか」をも発見しているというのなら…… 「――っっ」  黒刀で急所は何とか防いだが、青い刃が掠めていき、耳や額がぱっくりと切れた。おまけに右大腿から腹にかけて広範囲に切り裂かれ、血が迸った。刀がなければこの傷は心臓まで達していただろう。  ニケに心配かけないよう呻き声を押さえるのが精いっぱいで、噴き出す鮮血にまみれ、地面を転がった。  黒刀はフリーの手から離れるや、薄情なほどあっさりと消えてしまう。 「おいっ!」  レナが駆け寄ってくるが、フリーは奥歯を噛みしめて痛みに耐える。  まだヒスイがいるのだ。起き上がらなければ。 「ぐっ……うわっ?」  腹筋を駆使して上体を起こそうとして、いきなり押さえつけられた。ごつんと後頭部を地面にぶつける。見れば、ニケが自分を起こすまいと抑え込んでいた。相変わらずの剛力だが、どうしたのだろうか。  ぼうっとニケの顔を見ていると、疲れた様子でレナも地面に腰を下ろし体育座りをする。 「はあ……逃げたな。気配がない」 「え?」  血の入った右目を瞑り、片目だけでヒスイの居た場所を見る。そこに、赤い袈裟姿はなかった。  レナは淡々と告げる。 「青い刃を放つと同時に、身を翻してめっちゃ走って行きやがった。やつめ。平静を装っていたが、魔九来来の使い過ぎにより限界だったのかもしれんな。……追いかけても良かったが」  ちらりとニケを見る。  青年の腕に顔を埋めるようにしがみつき、涙をこらえている。フリーの方も出血過多で、すでに意識を手放していた。流石にこれを放置して追いかける気にはならない。  ヒスイと言う男、余裕綽々な態度からてっきり最後まで戦うものだと思い込んでしまった。その心を見抜いたように反転されれば、レナと言えどあっけに取られてしまう。  あの袈裟の後ろ姿、思い出しただけでむかつく。みすみす取り逃した自分にも。  それと―― (最後に使ったあの青い刃。龍虎に刻まれていたものと同じだ)  つまり、龍虎を中途半端に傷つけ、村を襲わせたのもおそらくヒスイだろう。再び姉妹の顔が瞼裏に浮かぶ。なぜ村を襲わせたのかは分からないが、どうせろくな理由ではないだろう。……あいつを殴る理由が増えてしまった。  フリーとレナの二人がかりで、変質者を追い払うのがやっとだった。油断ならない相手。  ――だがまあ、いまは、 「疲れた……」  レナも手足を投げ出し、その場に倒れるのだった。   ♦  凍光山から一番近く大きな街。紅葉(もみじ)街。  動かなくなったふたりを担ぎ、ニケは山を一気に駆け下りた。目指すは紅葉街にある知り合いの薬師。  ニケの祖父の友人で、ニケも昔、熱を出したとき世話になっている。気が遠くなるほどの長命種で、祖父が子どもの頃から外見が変わっていない。患者の精神面は考慮しないといった困った面もあるが、基本的には優しく穏やかな人格である。  過去に都で流行した疫病、その原因を絶滅に追いやった伝説を持つ。腕前は本物。祖父や父も「病や怪我のときはこの人を頼れ」と娘息子に言い聞かせたくらいだ。  「医者です」と名乗れば医者になれてしまうため、藪医者が蔓延る中、唯一ニケが信頼できる医者でもあった。……医者とは最近入ってきた呼び方で、目新しいものが好きな若い人は、薬師を医者と呼ぶことが多い。  途中、差し掛かった衣兎族の村で、血まみれの人を抱えたニケを見てギョッとした村人が声をかけてきた。気が急いている中で呼び止められ、激しく苛立つ。初めは無視しようかと思ったが白うさ耳の青年は訳もきかず、フリーとレナに応急手当をしてくれた。簡単なものだったが、急ぎすぎてそんなことすら頭に無かったニケは、自分に呆然とした。 「がんばれ! もう少しだ」  しかもしかも……街の近くまで、一緒に走ってくれたのだ。  青年とは言え衣兎族にニケほどの力はないため、怪我人二人は相変わらずニケが担いだが、ずっと隣で励ましてくれた。よほど自分は酷い顔色をしていたのだろう。  いま思い出したがこのお兄ちゃん、ニケに懐いている白うさ耳っ娘の、年の離れた兄貴ではないか。とうに独り立ちしたしたためめっきり会わなくなったが、挨拶した記憶はある。向こうはそんな一~二度会っただけのニケのことを覚えていてくれたらしい。  たまたま帰省していたのか、ほつれは目立つがこの辺では見ないシャツにズボンという、都会人らしい洋装だった。和装に比べると、かなり動きやすそうである。  雪の上を走ることにかけては衣兎族の方が優れているので、彼が先導してくれた。おかげで一度も滑ったり、雪に埋もれた木の根に躓いたりすることなく、山を下りることが出来た。 「スミさん……」  彼のおかげで精神的にかなり助けられたのは間違いない。  あの衣兎族村が、ミステリー小説の題材にされそうなほど頭のおかしな村である事実は揺らがない。それなのに。そんな狂った村の住人なのに、どうして優しいの?  体力が尽きたのか、兄貴は街の入り口でばたっと倒れる。  ニケは振り返りざま、お礼を大声で言った。 「スミさん! ありがとうございます」 「ぜぇぜぇ……久しぶりに走った。き……気を付けろよ」  スミ――本名アイスミロンは倒れたまま手を振ってくれた。落ち着いたらちゃんとお礼をしよう。  いまはこの二人を助けなければ。  ニケは脇目も振らず、紅葉街の大通りを駆けた。

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