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第41話 目立つ ①

「こ、これは……!」  整理整頓が基本のニケは、思わず絶句した。汚部屋というわけではないが、とにかく物が多い。これ、地震が起きたらすべて翁に降り注ぐと思うと、いますぐ彼を連れて逃げたくなった。  信じられない思いでキミカゲを見るが、おじいちゃんは特に気にせず本を跨いで部屋の奥へと行く。  おそらく定位置であろう場所に座ると、入り口で固まっているニケを手招きした。 「どうしたんだい? こっちにおいで」 「は、はあ……」  お茶をこぼさないように足を上げて、山道より険しい室内を歩く。  どこに座ればいいのか。床を探していると、おじいちゃんがぽんぽんと膝を叩いた。 「ここに座るかい?」 「……」  魅力的な申し出だったが、おじいちゃんの足に体重をかけても大丈夫だろうか? という思いが湧いた。  二秒ほど真面目に悩むもニケは首を振る。 「僕はもう子どもじゃないんで、いいです!」  おじいちゃんに気遣える僕って大人、えっへんと胸を張る。  キミカゲは孫を見る目でお茶をすするのみだった。 「で、何をすれば?」  鼻息荒く意気込むニケに、おじいちゃんはそっと湯呑を置いた。そして胸に手を当て、軽く息を吸い込む。 「――」  歌だ。  それはもう、知る人がほとんどいなくなった子守歌の原型。  ただ、ニケはそんなこと知らなかった。会うたびに歌ってくれる歌だな~と懐かしく思ったくらいである。  キミカゲの透明な声が、すんなり心に入ってくる。  そして……この歌を聞くと必ず眠ってしまう。せっかくお手伝いする気だったのに。  どうやらフリーたちの看病でほぼ寝ていないのを、見透かされていたらしい。  二度寝するときのような、抗いがたい眠気がのしかかる。  ニケは畳の上で丸くなると、すうすうと寝息を立てた。狭いのか少し寝苦しそうに眉間にしわを寄せていたが。  夕方まで起きないだろう。  頑張り屋な幼子に、そっと羽織をかけてやる。そこでキミカゲはハッとなった。 「あ! お茶」  せっかく二人分沸かしたのに。ニケが飲み終わるのを待ってから歌うべきだった。  フリーの包帯が取れたのは、ここにきて七日目のことだ。  牛歩並みの回復速度にも驚いたが、もっと驚いたのが七日という膨大な時間――大げさ――とキミカゲの薬を使ってでさえ、まだ具合が悪そうなことである。  額の傷は塞がっている。裂けた耳もほぼくっついている。内臓すれすれだった腹の傷も、傷跡は残っているが塞がっている。  ニケからすれば「もう完治では?」と思うのだが、フリーの顔色は良くない。キミカゲも「激しい運動したらダメ」と言っていたし、理解はできないがまだ完治には遠そうだった。  しかし、起き上がれるようになったことは喜ばしい。  ニケはずっと室内にいたフリーの気晴らしにと、散歩に出ることにした。キミカゲにも許可はもらっているので、軽く街を歩くくらいなら大丈夫だろう。フリー自身も「退屈で死ぬ」とこぼしていたし。  足取りは少しふらついているが、ゆとりのある広い街道なので、ヒトとぶつかる心配はない。なによりニケがしっかり、フリーの手を握っておけばいいだけの話だ。  お祭りのときは外に出るのも億劫なほど混雑するが、平日なら「人多いな」程度である。  街道の中央には、旅のお供の馬が水を飲むために敷かれた用水路があり、透明な水がさらさらと流れている。その脇には風情ある柳並木。  高い夏の空を見上げ、フリーはほうっと息を吐いた。  がやがやと、街の喧騒が心地いい。 「暑いねー……」  初夏と吹雪を行き来する珍環境にいたせいで季節感が死にかけていたが、本来季節は夏。  何度でも言おう、夏である。  朝(もうすぐ昼)から照り付けてくる太陽に、さっそく汗が流れだす。  つないだ手も汗でしっとりしてくる。ニケが嫌がるかなと思って手を離そうとしたら、更に強く手を握られた。 「ニケ?」 「お前さんはどんくさいからな。本調子に戻るまでは手を繋いでおいてやろう」  と、まったくこちらを見ずに言ってくる。どうやらよくコケるフリーの代わりに、真剣に地面を見てくれているらしい。そこまでせんでも~と思うが、ニケと出会ってからこっち、己の醜態を思い出して口をつぐむ。 「あ、ありがとう」 「ふん」  フリーとしてはニケと手をつなぐのは不快でもなんでもない。むしろ嬉しい。  見慣れぬ白い青年と黒い犬耳に、街の住人はちらちらと視線を向けてくる。だが人の出入りの激しい街なので、誰も不振がりはしない。 「ところで……あれからどうなったか。そろそろ教えてくれない?」  ヒスイのこと。ニケの壊れた宿のこと。畑の作物のこと。ついでにキミカゲの種族。  たくさん気になっていたのだが、何度聞いても「いまは怪我を治すことに集中しろ」と言って、マジで教えてくれなかった。こっそりキミカゲおじいちゃんに訊いてみても同じ答えが返ってきて、もやもやしっぱなしの七日間だったのだ。  フリーの半歩前を歩くニケは、あきれ顔でため息をつく。 「怪我もだいぶ治ったようだし、まあ、よかろう。……まず、宿にはあれから一度も戻っていない。一回、こっそり見に行ことしたんだけど、翁に見つかってめっちゃ叱られた……」  声が小さくなっていく。  ニケは拗ねたように唇を尖らせるが、キミカゲが正しい。  一人で宿に戻って、もしヒスイと鉢会ったら。考えたくもないが今度こそ殺されてしまう。ニケもそれは分かっているようで、止めてくれたキミカゲに不満はないようだった。  口を尖らせたまま続ける。 「んで、今回のことは翁の方から治安維持隊に報告してくれた。ヒスイはお尋ね者になっているはずだ。賞金稼ぎに狙われる身となったから、今頃どこかで死んでくれていると嬉しい」  それについては全面的に同意である。  二人は紅葉街を流れる川にくると立ち止まった。働き者な街人たちが後ろを足早に通り過ぎていく。 「畑の作物は、駄目になっているだろうな。もしかしたら空芋(そらいも)は無事かもしれんが、湯煙花(ゆけむり)の方は……」 「そっか……」  毎日欠かさずお世話したのにこの結果とは、少々やりきれない。しかし、これは農業従事者には必ずつきまとうものである。安定供給できる作物などない。生き物なのだから。  熱を孕んだ風が吹き抜ける。川辺だと涼しいかなと思ったのだが、全然そんなことはなかった。  患者用の生地の薄い衣に、汗が染み込んでいく。 「ところで、治安……いじ隊ってなに?」 「あん? あー……ここみたいに大きな街、または都くらいにしかない組織だ」  場所によって「おかっぴき」や「警察」と呼び名が変わったりもするが、やっていることは同じ。 「ようは駆け込み寺のようなものだ。ついでに犯罪者の確保もやってくれるところもある」 「ついでなんだ。そこ一番重点的にやってほしいのに」  ニケは肩を竦める。 「仕方ないだろう。人手不足だ。そんな危険な仕事に就きたがる者は少ないし。給料も低いらしいし。上司はクソらしいし」  ろくでもない労働環境のようだ。  冷や汗を流し、フリーは口を引きつらせる。 「そ、そうなんだね……」 「まあ、まともなヒトもいるだろうが、良い人材はさっさと都に引き抜かれるから、紅葉街にはお前さんほどの猛者はあんまりいないだろうよ」 「……」  赤い瞳がじっと自分を見上げてくる。フリーの魔九来来(まくらら)のことが聞きたいのだろうか。  ニケも七日間教えてくれなかったし、自分も意地悪してやろうかと一瞬考えた。もちろんあれが意地悪などではないとは理解している。……が、まあ、黙秘してもビンタされる未来しか見えなかったのでやめた。  再び並んで歩き出す。 「あれは……なんだろうね。物心ついたときにはもう扱えていたよ」 「かみなり? 雷の魔九来来か? やっぱ雷?」  なんだかニケの瞳が輝いているように見える。声も些か弾んでいるし、撫でまわしたいくらい可愛い。  フリーは悩ましげに腕を組……もうとしてできなかった。手をつないでいるのだ。 「多分……そうなんじゃないかな? 雷雨の日は気分がいいし」 「あの黒い刀は? お前さんのものか?」  矢継ぎ早に質問が飛んでくる。  フリーは首を傾げた。 「さあ? 雷より先に降ってくるからありがたく使ってるだけ。俺の物……なのかな? 名は「呼雷針(こらいしん)」。俺がつけたんじゃないよ? 刀を握ったら頭にこの名が浮かんだんだ」  ぐっだぐだな説明だが、魔九来来は謎多き力である。共通しているのは生まれながらに備わっているという点のみ。ニケも生まれた時、ボヤ騒ぎになったらしい。父と姉ちゃんがよく話していた。  こやつの場合は雷とついでに刀が落ちてきたんだろうな。普通に大惨事である。 「ふーん。そっか。ふーん」  魔九来来仲間が出来て上機嫌のニケの尻尾が大きく左右に振れる。今にもスキップしそうだったが、ふと思い出したように止まる。 「……川で僕が種火使って料理したとき、なんで自分も魔九来来使いだと教えてくれなかったんだよ」  ジト目で青年を見上げ、そして気づく。  青い夏空の下、フリーの白髪は言葉を失うほどに煌めいていた。 「――ッ」  毛並みがいいのは知っていたが、今までは輪郭のぼやける白い背景に溶け込んでいて、そこまで注目していなかったのだ。畑で作業している時も、日に焼けないようにフル装備だったし。それ以前に、フリー自身に興味がなく、関心が薄かった。 「……」  そこでちらっと視線を周囲に向けると、通行人は気持ちいいくらい二度見していく。恰幅のいいおじちゃんなんぞは、視線を固定させていたせいで「ぎゃっ」と川に落ちていった。  着飾っているわけではない。よれよれの衣一枚で、あとは草履をはいているだけである。  それなのに、雪に溶け込めないフリーの存在感はすごかった。 「………………はっ」  やっと、ニケは自分たちが視線を集めている事実に気が付く。  フリーが口を開きかけたが、手を引っ張り「くすりばこ」へいそいそとUターンする。 「あれ? 散歩もう終わり?」 「お前さん、まだ本調子じゃないんだろう? 無理は良くない」 「そう?」

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