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第49話 無患子

 (冷や汗で)汗だくになったふたりは、仕事を再開した。  疲れ切ったように目が死んでおり、声にも覇気が全くない。 「おい……。いいかお坊ちゃん。ちゃんと聞けよ? この木の実、知ってるだろ?」  金平糖のようにつぶつぶした、二種類の小粒の木の実を見せる。  フリーは首を振った。 「初見です」 「? オレンジの方が無患子(むくろじ)で、こっちは青泡(あおあわ)の実。どっちも水につけて揉むと泡が出る。その泡に、汚れを落とす効果があるんだ。ほれ」  そう言って、小袋に十個ほど入れて、桶の中で揉んでみせる。すると白い泡が水面に浮き始めた。 「不思議ですね。見た目普通の木の実なのに、泡が出るなんて面白い……」 「……逆に、この木の実を知らないやつを初めて見たぜ。どんな僻地で暮らしていたんだよ」  あきれ顔で、サイドの髪を耳にかける。よく見るとその耳は牛のように、整ったダイヤ型をしていた。  ――めっちゃ触りてぇ~。柔らかいのかな? やわらかいのかな~?  額の角と合わせて、牛の獣人に見えなくもない。  そんな牛耳を穴が開くほど見ながら上の空で応える。 「世間知らずなもので」 「はあ、いいけどよ。もっと勉強しとけよお坊ちゃん」  泡立った水に洗濯物を投入していく。大半が褌や襦袢で、何枚かは銀杏色に染まっているものや、異臭を発しているものもある。  それらを気にした様子もなく、リーンは慣れた手つきで鷲掴んでいる。ちょっと尊敬した。 「そんなまとめて入れちゃって、どれが誰のか分からなくなったりしないのですか?」  やれやれと、リーンは一枚の褌を見せる。 「端っこに名前が刺繍されてっだろ? 字を書けない人は模様を入れているから、そこんとこは心配いらん」 「ほほう」  感心した風に頷く。 「水はオキンさん家の共同井戸から汲んで使う。川の水でもいいけど、そっちの方が近い」 「タダで? 勝手に使っていいんですか?」  リーンに二度見された。 「なに……? お前んとこの井戸は有料だったの? ここは水豊かな土地で別名「水の国」とも呼ばれてるんだぞ……? その分、水害も多いが水は基本無料だろうが。え? お前「砂の国」からきたわけ? 異国人だったんか? そのわりには肌焼けてねーな」  そんな幽霊を見たような顔をされても。そもそもここがなんという国なのかすら知らないフリーは、ぽりぽりと頬を掻く。 「世間知らずで」 「それしか言えねぇのか。世間知らずって言うか、ここまでくると宇宙人くらいの知識量だぞ……。わけわからんな、お前」  盛大なため息をつかれるも、宇宙人がいるということに驚いていた。 「で、あとは踏み洗いするだけだ。濡れるから裾をまくり上げろよ。ほれ、一回やってみろ」 「ふむふむ」  立ったまま草履を脱ごうとして、バランスを崩して真横に倒れこんだ。どしんと結構いい音がした。 「いでででで……」  肘を摩りながら起き上がると、すごく残念なものを見る目でリーンがこちらを見ていた。  その瞳がニケの赤瞳と重なり、フリーは膝を抱えて泣く。 「おい。泣いてないでやれや」 「ぐすん……」  なんで自分はこうもコケやすいのだろうか。地面に好かれて吸い寄せられている可能性が……そんなことを考えている場合ではない。  袴の裾を持ち上げ、桶の中に足を突っ込む。思ったより冷たい水は、夏の暑さには心地よい。 「ああ~。冷たい」 「足湯みたいな顔してないで、足踏みしろ。ほれ! いち・に。いち・に!」  リーンの手拍子に合わせて足を上げ下げする。ぱちゃぱちゃと水が跳ねて面白い。が、踏んでいるものが他人の汚れた下着だと思うと、気が遠くなりそうなので考えないことにする。 「これ、冬場は、きつそう、ですね」 「余裕があるならお湯を使えばいいが、たいていはこのままだな。季節が秋の終わりにもなると、一気に仕事量が増える。だから従業員が増えることは純粋に嬉しい……んだがな。どいつもこいつもすぐにやめていっちまう。けっ。じゃあ俺も隣でするから、疑問に感じたらすぐに聞けよ」  手を叩くのをやめ、大きめの桶二号を引っ張ってくる。水瓶に溜めてある水を流し込み、同じように洗濯物を踏んでいく。  従業員がすぐにやめていくのは、あなたが噛みつくからでは? と言いたいのを頑張って飲み込んだ。今度ディドールさんを怒らせれば、生きて帰れないかもしれない。 「どのくらい、足踏みしていれば、いいんですか?」 「あー? 別にいつも家でやっているのと同じ時間で構わねえよ。ま、金もらってる分、ちょっとは時間伸びるけど、そこまで変わらん……」 「……」  見つめてくるフリーに、「もしかして洗濯したことねぇの?」と不安な目をした。 「……汚れ具合にもよるけど、絞ったり干したりするの含めて、んー、一時間や二時間くらいだな」 「そんなに⁉」  ニケがキレた理由が分かってきた。  なんで驚いてんだと言いたげに首の後ろを掻く。 「普通だろ、普通。主婦方はそうやって井戸の近くで世間話に花を咲かせているし。話し込んでいるとすぐって言うし。ま、女性たちのお喋りタイムってとこかな」 「ほへぇ」 「それに足の白い女性が洗濯やってると、つ、つい見ちまうよな。へへっ」  鼻の下をこすり照れた様子のリーンに、そうですねと付き合いで頷いておく。  のちの「井戸端会議」という言葉になる光景である。 「……」 「……」  親しくない者同士。唐突に会話が途切れるも、やることがあるので沈黙はそこまで重苦しくならない。  どのくらい時間が経っただろうか。顎の先から汗をこぼしていると、リーンが桶からぴょんと飛び出た。 「うっし。こんくらいでいいだろう。おら、次は絞っていくぞ」 「……はい」  同じように地面に足を出そうとして、盛大にずっこけた。 「ごふっ!」  なにかに躓いたとか、ぬかるみに足を取られたとかでもないのに、身体が前に倒れた。 「ぐぅぅ……」  治りかけの腹が悲鳴を上げた気がして、すぐに起き上がれずに震える。  顔から行ったフリーの背中を、ヤンキー座りのリーンがつついてくる。 「なんやお前。どっか悪いんか?」 「……いや、あの。何故かよく、転ぶんです……」 「やめとけお前。高身長がそんなキャラ付けしても、寒いだけだぞ」  なにか誤解されたが、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。腹部を押さえて呻いているフリーに、腹を打ったと思ったのかもしれない。

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