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第50話 日照り病

「おら、さっさと起きろ。一枚一枚、丁寧に絞るんだ。こうやって……ぎゅうう~っと!」  頬を膨らませ、布をねじ切る勢いで絞っていく。 「ここまで水気を絞れたらいいぞ」 「はい」  同じように両手で布を絞るも、握力のないフリーではなかなか「良し」をもらえなかった。  顔を真っ赤にして絞るに絞ること三回。ようやく、一枚目が合格できた。 「はーっ。はー」  早々に虫の息になってる青年に、リーンの目つきが可哀そうなものを見るそれになっていく。 「お前、何でこの仕事選んだんや……?」  若干優しくなっている声音に、フリーはたまらず顔を覆った。 「いえ。あの。一回り成長してこいと、言われまして」 「親父さんに?」 「……雇い主に」 「ああ、うん……」  確かにこれは使い物にならない。てっきり甘やかしすぎた息子を叩きなおすために、親御さんが洗福に放り込んだのかと思えば。この予想は外れた。  絞った布をパンッと広げると、立ち上がって庭の隅の物干し竿にかけていく。 「ここに干していけよ。夏場だと一時間もあれば乾く」 「ふぁい」  酔っ払いのような足取りでリーンの横に引っ掛ける。  広くはない庭に、物干し竿は三つしかない。これではすべての洗濯物を干せないと思われる。 「んなこと気にしなくていいから、どんどん絞っていくぞ」 「ほわっ」  顔に出ていたのか、心を読んだかのような言葉にフリーは自分の顔を思わず触る。  それとは別として、ほのかに熱くなっている気がした。 「……?」  気にはなったがフリーは無視して作業を再開した。  風はないが、ギラギラした陽射しが容赦なく降り注ぐ。リーンの言った通り、これなら洗濯物はよく乾きそうだ。  絞って干してを繰り返し、一本目の物干し竿がいっぱいになった頃だろうか。  やや乱暴に腕を揺すられた。 「……ぃ、おい!」 「へ?」  斜め下を見ると、やけに深刻そうな表情をした少年が腕を掴んでいる。 「お前……、なんか顔真っ赤だぞ? 汗もすげーし。いや、汗なら俺もかいているけど」  何を言っているのか、よく分からない。耳に水が入ったように、声がぼわんと滲んで広がる。うまく聞き取れない。 「……なに?」  そういう意味を込めて首を傾げると、少年はゾッとした顔を見せた。 「ちょ! いいからこっちこい」  力づくで店の中に引っ張って行かれる。照りつける陽射しになれた目では、店の中は酷く暗く感じた。  どうしたのだろうか。まだ洗濯物が残っているのに。指が動かない。仕事しなきゃ、いけな、 「おい。ちょ……、嘘だろ! おいってば!」  誰かが身体を揺すっている。  目を開けていられなくなって、瞼を閉じた。 「……っ。ドールさん。ドールさん、すいません来てください!」  バタバタと、誰かが走っていく音がした。 「日照(ひでり)病だね。熱さにやられて意識を失ってしまうんだと。毎年、夏になるとキミカゲ様が耳タコで警告し回っているよ」  小型包丁を手にしたディドールが、酸い香りのする果物の皮を剥いていく。 「野外室内関係なく、夏場は一時間に一回休憩を取り、日陰で水を飲めってさ」  果物を一口サイズに切り、琥珀色のどろりとした液体をたっぷりとかけて、器ごとフリーに差し出す。 「ほら。お食べ」 「あ、ありがとう……ございます」  神妙に両手で受け取り、指で摘まんで口に入れる。知らない果実と知らない液体の競演だったが、あまりのいい香りに迷わず口に入れた。  噛むと果物の強烈な酸っぱさが口内で弾けるが、それをどろりとした液体がいい感じに包み込む。この液体、すごく甘い。ニケに食べさせてあげたいと思うほど、かなり美味しい。 「美味!」  甘いものはそれほど好きではないが、なんだろうか、上品な甘さ、とでも表すればいいのか。がぶ飲みしたいまである。 「そりゃよかった」  目を輝かせていると、呆れ顔のディドールの口元が緩む。出来の悪い息子を見るような眼差しだった。  勿体なくて、液体のついた指を舐める。 「これ、甘くて美味しいですね。なんなんですか、この琥珀色の液体」  ディドールはばちりと瞬きする。 「蜂蜜だよ。……知らないのかい?」 「はちみつ?」  オウム返しするフリーに、本当に知らないんだなと苦笑する。 「ミツアツメバチっているだろ? 彼らが女王のために集める花の蜜さ」  女王の食べ物は正確にはローヤル・ゴールド・ゼリーなのだが、ディドールは説明を面倒くさがった。  果物を口に入れる手が止まらない。 「あの、もぐもぐ。ミツアツメバチって、黄色と黒の縞模様の?」 「そうそう」 「毒針で刺してくるやつ?」 「それは違うよ」  スズメノヨウニオオキイバチの話はしていない。 「毒針のない蜂。ミツアツメバチはあたしらの良き隣人さ」 「もぐもぐ(そうですか)」  頬袋をパンパンにすると、ディドールは小さく吹き出した。 「元気になったようだね。今日は無理せず、落ち着いたら帰りよ」 「え! でもまだ洗濯物が! 仕事が途中で……」  慌てるフリーの言葉を、首を振って遮る。 「無理はいけないよ。何年か前、無茶して倒れた御方が、人殺せそうなぶっとい針の注射器持ったキミカゲ様に追い回された事件……じゃなくて、そういう事があったから。アンタもトラウマ刻まれたくなかったら、大人しく言うこと聞きな」  そう言って部屋を出て行く。  あの薬師。身体は気遣うのに精神面を配慮しないのはそういう方針(ポリシー)なのだろうか。精神みたいに見えないものは治せないから、どうなろうと構わないぜ。という考えだったら、めちゃくちゃ怖い。  キミカゲの下に七日もいて、よく無事だったなと小さく感動した。  あのうさ耳族(うろ覚え)もそうだが、優しい顔の下に別の顔が潜んでいるのが普通、なのか?  これから優しいヒトを見ると、まず疑ってかかりそうだ。  ふぅと息を吐くと、少年が顔を見せた。 「おい。起きたってきいたぞ?」  どかどかと足音煩く入ってきたのはリーンだった。室内でもぼんやりと着物の星が光っていてとてもきれいだ。ただの布ではないのだろうか。 「あ、はい。心配おかけしました」  座ったまま頭を下げると、頭に拳骨が落ちた。  こつん。 「え?」  まったく痛くはなかったが、顔を上げるとリーンはこちらを睨んでいた。 「お前の心配なんかしてねーよ。自惚れんな。ったく。心配かけさせやが……心配なんかしてねーよ!」  心配をかけたようだ。  にやけそうになる口元を手で隠し、空になった器を床に置く。  目が覚めた時、ずぶ濡れで、見知らぬ部屋に寝かされていた。驚いて飛び起きたが、すぐ横にいたディドールさんが説明してくれたので、パニックは避けれた。  熱のこもった身体を冷やすために水をぶっかけ、奥の日当たりの悪い部屋に、ふたりで運んでくれたらしい。そんなことをすれば床が大変なことになるのに、ディドールさんは部屋が濡れることよりも従業員の無事を優先してくれた。いまも、フリーが寝ていたせいで、人の形に床が湿っている。この時点ですでに頭が上がらない。  さらに回復を早めるという花を咲かせ、フリーの上にせっせと撒いてくれた。  眠り姫のように花びらに包まれていたようだ。起きた瞬間、花に囲まれていたので本気で天国に逝ってしまったのかと、心臓が口から出かけたが。とても感謝しております。  どっかと隣に腰を下ろすと花を一輪摘まみ、くるくると回し出す。 「それで?」 「へ?」 「体調はどうなんだよ? 別に気にしてねーけど、一応聞いてやるから、ありがたく答えろ」  そういや心配をかけたんだった。  フリーは自分の身体をあちこち触る。怪我はなかった。 「ちょっと頭がまだ痛い、かな。そのくらいです」 「ケッ! 自分の身体だろーが。なんで気づかなかったんだよ。あれか? 無理して働けば、誰かが喜ぶと思ったのか? 馬鹿だろ! こうやってドールさんに心配かけて、キミカゲ様に叱られるだけで、良いことなんか何もないぞ」  吐き捨てられるように言われ、ちょっと瞳が潤んだ。  胸がじぃんと熱くなる。  こんなにも自分のことを想ってくれて、叱ってくれるなんて。  ニケより早く出会っていれば、うっかり惚れていたかもしれない。いけない、いけない。優しいヒトには警戒しなくては。  本人が聞けば「優しくしてない」全力で否定してくるだろうが、フリーはぐすっと鼻をすする。 「あ、ありがとうございます。リーンさんって、優しいんですね」 「はあっ?」  リーンの顔が朱に染まる。 「き、気持ち悪いことを言うな……。一生寝てろ!」  花を持ったまま、部屋の外にすっ飛んで行く。  初日から倒れ、仕事をこなせなかったと沈んでいた心が、少し晴れた気がした。

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