59 / 86
第59話 過去が空虚でも
音楽が鳴り止み、巫女が神座に一礼する。
神楽とは書いて字の如く、神様を楽しませるためのもの。ここになんの神がいるのかフリーは知らないが、楽しんでくれただろうか。そうだといいな。
肩上で先輩が歓声を上げている。応援していた球団が優勝したように、熱い涙を流している。ニケは顔を背けて他人の振りをしていたがそもそも同じ人に乗っているので、もう手遅れだろう。
人とは慣れるもので、フリーはもう巫女さんから目を逸らさなくなっていた。ひとり真剣な顔して、モフモフに夢中である。頭の中は「毛並みに腕を突っ込んでみたい」で一杯だった。
惜しむような空気の中、巫女さんが退場しようとお互いの顔を見合わせる。
その時だった。
「おねえぢゃ~」
母を求めて泣くような、舌ったらずな声。観客はざわめき、巫女たちは目を丸くして耳をピンと立てる。
まさに巫女たちが入場してきた場所から、小さな女の子が歩いてきた。
年は四つか五つくらいで、ニケよりももっと幼い。幼女、である。身体の半自分以上ある大きな尻尾を引きずり、巫女に手を伸ばしてよちよちと歩いてくる。耳や尻尾の形を見るに、巫女少女と同族であることは明らかだった。
フリーはそれを瞬きもせず眺める。
涙で頬をべしょべしょに濡らした幼女は左目を隠した方、だからつまり……マチルダさんの足にしがみつく。
妹巫女は慌ててしゃがみ込む。
「んもう。またなの? ここには上がってきちゃダメって、教えたでしょ?」
「おねえちゃ~。あああん。うえっ、うえええん!」
もしかすると姉妹なのだろうか。巫女装束を握りしめ、大粒の涙をひたすらこぼすだけで、何も言わない。
これにはマチルダも大きな耳を困ったようにぺたんと倒す。姉のスイーニーは硬直したままだ。
すると奥から、またしても誰かが走ってきた。どたどたと、これは大人の足音だ。
姿を見せたのは水色の袴をはいた、男の人だった。実年齢はともかく「おじさん」と呼ばれる一歩手前の容姿をしている。
しかし、彼に巫女少女と同じ獣耳はなかった。身内ではないのだろう。
マチルダは彼を見るなり頬を膨らませる。
「どうかしたの? 見ててって言ったでしょ?」
「すいませんねぇ。寂しくなっちゃったようで、目を離した隙に走り出しちゃいまして……。いやぁ、良い子で待ってたんですよ?」
なんとなく状況が読めた。
彼女は叱ろうとして、えぐえぐと泣く妹を見て諦めたようにため息を吐いた。
そして、優しく幼女の頭を撫でる。
「お姉ちゃんお役目があるって、前から言ってたじゃない」
「おねえぢゃ。おねえぢゃ~ん。どっか行っちゃやだああぁ」
駄々をこねる幼女を愛おしく思ったのか、尻尾ごとぎゅっと抱きしめる。
「ハッ」
和やかな光景だが、ここは神前である。姉のスイーニーは我に返ると、妹と末妹とついでに水色袴まで小脇に抱えて走り去っていった。
女性の身で素晴らしい腕力だが、三人も持つのは結構ギリギリだったようで、歯を喰いしばっていた。
主役がいなくなった舞台。音楽を奏でていた者たちも慣れた顔で撤収するのを見て、観客もちらほらと祭りに戻っていく。
リーンなら色々知っているだろうが、訊ねる前にフリーはその場に片膝をつく。そろそろ身体強化が切れそうなので、その前にニケはともかく先輩を下ろさねばならない。
地表が近づくと、リーンは何も言わずに下りてくれた。ううんと背伸びする。
「っはー。前のヒトを気にせず、背伸びしないで眺める神楽って最高だな。助かったぜフリー。どこも痛くないか?」
「はい。平気です。あれが神楽……なんですね」
かすかに疲労の色を滲ませるフリーに、先輩は頭の後ろで手を組んでにっと笑う。
「最後はちょっと締まらなかったけど、何度見ても洗練された舞いだぜ。これがタダで観られるなんて感動だよな。正直に言うと月一で拝みたいぜ」
「あの最後に現れた女の子は? 巫女さんたちの妹さん、ですか?」
「おう。末っ子ムーンちゃん」
そこで区切ると、肩を揺らしてリーンは可笑しそうに苦笑する。
「たまーにだけど、ああやって乱入してくるんだ」
それはまあ、なんというか。ほほ笑ましいというか。保護者なにしてんだというか。
ところでニケがちっとも下りてくれない。お子様一人くらい平気と言えば平気だが、もう身体強化は切れたので、いつコケるか分からないぞ。安全が保障できない。
「ニケ? 下りないの?」
赤い瞳が不機嫌そうな色を伴いフリーを見る。
「下りてほしいのか?」
「あ、いえ。お、お好きなだけどうぞ」
「うむ」
言いたいことはあったが、ニケが良いならいいか。
「お前……。尻に敷かれるタイプか?」
「?」
ニヤついているリーンの言葉に首を傾げる。肩車しているのだから、尻に敷かれるものだろう。
そう言うと、彼は三秒かけてため息をついた。
「んは~~~。そうじゃねぇよ! 物理的にって意味じゃなく、妻に主導権を握られていることだよ!」
「えっ? いつニケと結婚したの、俺っ?」
頭上でニケが呆れて声も出ないといった表情だったが、フリーは気づかず立ち上がる。
リーンは頭痛を覚えたように額を押さえる。
「お前……。これまでどういう風に生きてきたんだ?」
そんな、宇宙人と会話を試みて疲れたような顔をしなくてもいいじゃないか。いや、これは俺が悪いか。知らないことが、多すぎる。まともに他人と会話しなかった弊害が。
思い出すのは、なんだろうか。ろくでもない無味無臭の記憶。檻の中から見た、たまに飯を運んでくる名も知らないヒト。言われるがままに力を振るい、魔物やヒトを殺す自分。血に濡れた呼雷針(こらいしん)。そんな自分に向けられる嫌悪と侮蔑の眼差しに、心無い罵倒。あとは……なんだったか。
どれだけ記憶を探っても、村の誰かと話している映像がない。
――ああそうか。どれだけ話しかけても叫んでも無視されるから、いつしか声を出すことを諦めたんだ。
生き物と認めていない物と、会話するヒトなどいない。あそこで俺は、生物ですらなかった。
「――おいってば」
誰かに腕を掴まれた。
パチンっと思い出の泡が弾ける。
周囲に色と音が戻り、視界に煌びやかな着物の少年と赤い瞳が飛び込んでくる。
「え?」
フリーはぽかんと立ち尽くす。
腕を掴んでいるのは、リーンだった。
目が合うと、彼は怒っているような困っているような表情に変わる。この表情、以前見たような……
「どうした? また日照り病(ひでりやまい)か? 暑いか? 頭がぼーっとする感じか?」
「腹痛か?」
記憶の海に立ったまま沈んでいたようだ。いけないと思い、パシパシッと頬を叩く。
あと、何かあるたびに腹の心配をしてくるニケに、なんだか笑ってしまう。
「あー。すいません。神楽舞いの余韻に浸ってました」
前科があるため、リーンは暑さに当てられたと思ったのかもしれない。夜とはいえ、気温はそれほど下がっていない。
心配されると胸があったかくなるも、申し訳ない気持ちも生まれる。ニケたちを不安な気持ちにさせたいわけではないので、適当な嘘を並べ、頭の後ろを掻く。
「そんな顔じゃなかったぞ?」
「お前さんよぉ。僕に嘘をつくとは良い度胸だ。歯ぁ喰いしばれ」
「待って待って待って。ごめんなさいすいません!」
秒で嘘がばれた。
軽やかに飛び降りた犬耳幼子が、肩を押さえて利き腕をぐるぐると回す。
見てる分には可愛いが、その拳は決して可愛い威力ではない。
桜吹雪を見た罪人のように、フリーは「へへぇー」と地に伏せる。
「勘弁してください。御代官様……」
「僕にくだらん嘘をつくな。いいな?」
ニケは不出来な弟を叱る兄の気持ちで腰に手を当てる。まったく、フリーのクセに生意気である。
赤犬族はにおいや心音から相手の言葉が嘘かどうか、なんとなく判別できるとしても。それはそれ、これはこれ! 僕の物が僕に偽りを言うなど、けしからん。許可した覚えはないぞ。
ぺんぺんと尻を叩く幼児に、ごめんねごめんねと謝罪する青年。なんだろうか、この光景は。
リーンは白けた目で、鼻をほじる。
「で? 体調不良じゃないのか?」
「あ、はい……。先輩。鼻穴に小指なんて入れて。美少年が台無しになってますよ」
「お前も相当だぞ?」
叩かれながら小さい子に真剣に謝っている青年。
周囲のヒトは妖しい遊びか儀式にみえたか、関わらないようにと遠ざかっていく。
それを見ていたが前髪を掴まれ、顔を見合わせられる。
「おい、フリー。なに無視しとるねん」
「ひえっ! で、でも。嘘をつきたいときもあるって言うか……ほら、本音ばかり話していると、そのあの……うえええぇぇ」
びよーんと頬を伸ばされ、フリーが滝のような涙を流す。
酷い絵面にリーンも全力で他人の振りをしたかったが、あいにく遅かったようだ。
ともだちにシェアしよう!