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第61話 苦い薬が苦手

 実を落とす樹木のように揺すられているフリーは、視界がブレて何も見えていなかった。  困り顔の彼女たちは左右からアキチカを取り囲む。 「もう。キミカゲ様が呼んでおられましたよ」 「薬の時間だから、あの角野郎連れてきてって、ですって。また逃げたんですね」  リーン含め周囲にも角の生えた者はいるが、この場合は間違いなくアキチカのことを言っているのだろう。  くすくす笑うスイーニーに、神使の顔色が若干悪くなる。  姉の腕に抱かれている末っ子のムーンが、こてんと首を傾げる。 「まま、おくすりのまなきゃ、だめよ?」  ……………………………まま?  そんなことは気にせず、アキチカは自分を守るようにかい抱いた。 「だって薬苦いじゃん! やだよっ、キミカゲさん、僕に恨みでもあるのかって言いたいくらい苦い薬出すんだもん!」  末っ子を抱っこしたまま、マチルダは声を荒げる。 「だもん! じゃありません。薬は苦いものでしょうに。そんなんだから殺人注射器持って追い回されるんですよ!」  日照り病で倒れた際にディドールが話してくれたことを思い出す。  ――あれ、このヒトのことだったのか。  神使としての威厳を自ら地に叩き落としている青年に、生ぬるい視線が集まる。だが誰も非難しないあたり、アキチカはこういう性格だと周知されているようだ。 「と、とにかくやだ! もう頭痛くないし、気分も悪くないし。薬飲まなくても大丈夫だもん。って伝えといて! ねっ?」 「「いやですよ」」  仲間のはずの巫女ズに即答され、アキチカは涙目になる。 「ええっ? 僕の味方してよ!」 「怒ったキミカゲ様、怖いんで」 「ムーン。いい? あんな大人になっちゃ、だめよ?」 「あいっ」  とても素直に手を挙げる幼女に、アキチカは殴られたようによろめく。 「ぐっ。教え子たちに裏切られた……! もう何も信じない。神以外」  そこで、何かを見つけたらしいニケが手を振った。 「あ、翁」  その瞬間、アキチカはその場を走り去った。風より速く森へと消えていく。迷いのない鹿らしい俊足である。マチルダはあっけに取られ、スイーニーは末っ子の頭を撫でるのに忙しかった。 「あの野郎! 逃げやがった」  人違いかと思うほど言葉遣いが荒くなっているが、やってきたのはキミカゲだった。走ったせいか髪はぼさぼさで眼鏡も若干傾いている。きりきりと眉を逆立て、普段の彼の性格を知っている者なら確実に驚くであろう。あの実家のような温厚さが家出していた。 「翁。……なんかすみません」  自分が余計なことを言ったから逃げてしまったのだ。そう思うと申し訳なくて、ニケはぺこりと頭を下げる。ニケはキミカゲにこういう面があると知っているので、驚きはしなかった。  おじいちゃんはニケを見ると、即座にいつもの、慈父めいた笑みに切り替わる。 「おや。ニケ君。君は何も悪くないよ? よしよし。疲れてないかい?」 「はい。フリーが肩車してくれたので、楽でした」  頭を撫でられ、ニケはふふんと胸を張る。 「肩車? おや、いいじゃないか」  姉妹巫女は、薬師の顔色を窺うようにそろそろと近寄ってくる。ふんわりと白檀の香りがした。 「ほわ、あああっ」  こんな間近に双子巫女が!  リーンは喜びを隠しきれず、白い背中に何故か隠れる。揺すられすぎてフリーは立ったまま泡を吹いていた。 「キミカゲ様。アキチカ様が申し訳ありませんっ」 「別にキミカゲ様のことが~、嫌いというわけでは~、ないですよ?」 「くすり、にがて」  しょうがない長のフォローをする少女たちに、キミカゲは頷いて微笑む。 「君たちが謝ることじゃないさ。あの子の薬嫌いは今に始まったことでも、今後どうなることでもないし」  薬師が「どうにもならない」とか、匙を投げないでやってほしい。 「スイーニー君。怪我の調子はどう?」  巫女の片割れは、そっと眼帯に触れる。 「ん~? もう雨の日になっても疼かなくなりました~。かゆみ止めも最近は~使っていません~」 「そうかいそうかい」  我が事のように微笑み、おじいちゃんはリーンを探すように首をめぐらす。 「あ。あれから痛みは、どう?」 「大丈夫です! すっかり忘れてました」  親指を立てる少年に、おじいちゃんは頷くと、また走り出そうとする。 「なによりだ。では、私はこれで」  軽く手を上げると、彼も森の中へと突っ込んでいく。神社と密接している何の変哲もない森だが、あまり奥に行くと迷ってしまう危険もある。  とはいえ片や最年長で、もう片方は歩く神の加護。迷子の心配する者は皆無だった。それよりも、おじいちゃんあんなに走って大丈夫だろうか。そっちの方が心配である。  ニケは白い袖を引っ張る。 「おい、フリー」 「は! ここはどこ?」 「なんで記憶失ってんだ。ほれ、お守り買いに行くぞ!」  んっと両手をあげる。どう見ても抱っこ待ち体勢だったので、迷わず両手で持ち上げた。 「……」 「……」  赤い瞳と見つめ合う。  持ち上げたのはいいものの、こっからどうすればいいんだろう。  ぴんと両腕を伸ばしたまま考え込む。  リーンがそっと耳打ち(届いていない)をしてくれた。 「きっと、また肩車してほしいんじゃないか?」 「あ、なるほど」  肩に座らせる。正解だったようで、揺れる尻尾が背中に当たる。この「尻尾で叩かれる」というのがなかなかに幸せであった。  笑顔になる二人を見て、ムーンは姉の髪を引っ張る。 「ん? どうしましたか?」  幼女はぴっと白髪と犬耳を指差した。 「わたちも、あれしてほしい」  あれとは、肩車のことだろう。  妹の要望に姉二人は凍りついた。 「い、いやいやいや~……」 「ほら! ねえ? ムーンもその、重……大きくなってきたし。ちょ~っと首がしんどいかな~、なんて?」 「……う?」  ふええと末っ子の顔が歪み、大きな目に涙が滲む。拒まれたのが悲しいのだろう。それを見て取り乱す姉たちの反応は実に可愛らしいものではあったが、 「あ、では自分たちはこれで」  修羅場の予兆を感じ取ったフリーは、巫女さんたちに話しかけようとしていたリーンの着物を掴むと、アキチカを真似てその場から走り去った。 「お、ちょい! フリーとまっ、止まれって! サイン! 双子巫女のサイン欲しああああああっ」  先輩がなんかうるさかったが、お守り売り場へいい加減向かいたい気持ちもあったので我慢してほしい。

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