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第63話 ニケの本音

 さわやかな顔で布団から出ようとしたが、足を掴まれ、すごい力で布団の中に戻される。 「ああああっ?」 「話は終わってないぞ」  話どころか人生が終わった気がする。ニケやうさ耳や尻尾を見ていたことまでばれているのだから。幼い子をジロジロ見ているなんて、どう言い訳してもただの変態である。  死んだように動かないフリーを無視して、ニケはしばし恥ずかしそうに目を泳がせたのち、自身の頬を両手で押さえる。 「……っても、いいぞ」 「へ?」  ニケは真っ赤になって怒鳴る。 「だあもう! 二度言わすな! 触っていいぞと言っとるんだ」  フリーは神速で顔を上げた。  ビクッとニケが怯えたが、真顔で聞き返す。これは聞き捨てならない。 「え? いいの?」 「目が怖い! ……ま、犯罪に走る前に、僕を触って発散させておけばいいかなって。やらかしたお前さんを捕らえるのは、この街の治安維持の者ではちと荷が重いだろうし」  歯の隙間からヒイィと声を上げ、フリーは首を振る。 「いやいや! そんな。ニケを生贄みたいに。そんな!」  俺は魔王か邪神か。  激しく動揺するフリーなど気にした様子もなくうつぶせになり、組んだ腕に顎を乗せ、ニケはポツリとこぼす。 「僕は……知らないヒトに触られるのは殺すぞと思うほど嫌だけど。……親しいヒトには触って、構ってもらいたいの」 「……」  目を見開いて声を無くす。  ――ニケが本心を語ってくれた。  それも、誰にも言ったことはないであろう。気が強い彼の心の奥に秘めた、柔い部分。  フリーの唇が震える。 「親しい、人? 俺のこと、そう思ってくれてるの?」  ニケはなんでもなさそうに近い壁を見つめる。 「初めは……お前さんのこと、馬車馬のようにこき使って、ぼろ雑巾のように捨ててやろうと思ってたっけな。伝説の種族だし、何か役に立つだろう、すごい特技もあるんじゃないかって。内心期待していたんだ。本当だぞ?」  人族と聞いた衝撃は、今でも覚えている。一緒に暮らすうちに、恐ろしい面が垣間見えるのではないか。豹変して襲い掛かってくるのではないか。ひそかに警戒していたものだ。 「それが蓋を開けて見ればどうだ? ドジで無知で阿呆で空気読めないで、体力無いわ腕力もない、すぐ泣くわメンタル弱いわ何もないところでこけるわ……。はー、カスかよ。ハズレ引いた気分だ。今すぐお詫びして新しい品と交換してほしい気分だったわ。拾うんじゃなかったこの無能が」  立て板に水。  フリーは動かない。屍のようだ。  知ったこっちゃないと、ニケは頬杖をつく。 「取り柄と言えば高い所の物を取れるその長身と、僕の言う事は素直に聞くところか? かと思えば、魔物相手に逃げろって言っても言うこと聞かないし。クソ弱なのに魔物倒してしまうし。大して親しくもない僕やレナさんのために体張るし……。こんな矛盾した生き物もそういないな」  うん、と頷くニケ。隣から反応はない。  黒い前髪を人差し指でいり、夏布団の中で尻尾をパタパタさせる。 「でも、ずっとそばにいてくれたのは、ありがたかった。宿しか居場所がなかっただけだろうけど。その……僕は嬉しかった」  赤い目が、こちらを見てくる。 「さみし、かったんだ」  フリーのことを下僕扱いしていたから、自分の考えや気持ちをあまり伝えていなかった。だって、こんなに大切な存在になるなんて。一緒にいて楽しいなんて、想像してなかったし、思わなかったんだ。 「ニケ。俺は」 「うるさい。まだ僕が話しているだろう」 「はい。ごめんなさい」  やはり空気が読めないやつである。  思い出すのは、リーンが祭りに誘いに来た日のこと。  彼がリーンと親しそうに話しているのをみて、モヤモヤした。  それと最小狐(こぎつね)の末子。強がりですぐ手が出て全然かわいげのない自分より、素直で愛らしいフリー好みの幼女の出現。焦った。自分以外のモフモフになびいて、ニケのことなど忘れてしまうんじゃないか。そんなことで悩むのも思うのも、もう嫌だった。  そう。彼がどこにも行かないという、絶対の確証が欲しかったのだ。  一緒に宿をまたやると言ってくれた。でも、心を埋めるものを求めているニケはもう一声欲しがる。  だってフリーはフリーのものではない。自分の、ニケのものなのだから。どこかへ行くなんて許さない。  ニケはビシッとフリーの鼻先を指差した。 「お前さんは僕のものだ。だから、僕の側を離れるなんてとんでもないことだし、そう考えることも許さないからな?」  いいな? と念押しして、反応を見るために一度黙る。  親しいと思ってくれているのか? という問いの返事としては脱線した変な答えだったが、これがすべてだった。 「……ニケ」  正直、フリーがニケの元を去ったとしても、自分にそれを引き止める手段はない。ならば彼の好みの「幼い子」という面を生かし、愛想を振りまきこびへつらい、フリーを繋ぎとめるべきではないのか?   そう分かってはいても、プライドが邪魔をして出来そうもないし。やったらやったで、確実に羞恥で死ぬ。キミカゲがどれほど手を尽くしても死ぬ、絶対。  もし彼が去ろうとしたら、なりふり構わず出来ることをするだろう。両手足をへし折ってみるのはどうだろうか? 翁には叱られるだろうが、手足がなくてはどこにも行けまい。  などと、怖いことを真面目に思案していると、フリーの白い手が伸びてきた。  彼は真剣な顔で言う。 「本当にほっぺ触ってもいいんですかっ⁉」 「……」  こやつ本当に話聞いていたのかと心配になった。結構大事なことを言ったつもりなのだが。これ、もしスルーされていたら、別件で手足へし折るしかない。  ニケはとりあえず頷く。 「ああ、いいよ」  なんか自分のものとは思えない脱力しきった声が出たが、なんとか言葉にはなった。  フリーの瞳に星が宿る。 「マジか! 嬉しすぎる。俺今日死ぬのか? はっ。――はっ! くっ、鎮まれ我が右手よ!」  奇妙な台詞を吐きつつ、震える右手首を押さえている。翁も中二病は治せないと嘆いていたのに患っていたのかこやつ。まあ、許そう。どうせフリーだし。 「はあっ、はあっ!」  じりじりと白い指が迫ってくる。額に汗までにじませて、どれだけ緊張しているのだろうか。こっちまで緊張してくるから、爆弾解体中みたいな顔つきやめろ。  ぷにっ。  ついに指の先端が、頬肉に埋まった。  ぷに。ぷにぷに。  押しても押し返される。なんという弾力とやわらかさ。  ぷにに。ぷにに。  きちんと爪は切っているようで、痛みはない。  ぷにに。ぷよぷよぷよぷよ。

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