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第69話 無事で何より
やっと仕事が終わった。
祭りに行くこと忘れるなよ! という先輩の声を背に、フリーは街中を草履で駆ける。
「あらぁ、フリーさん」
「! トメさん。こんにちは。急いでいますので失礼します!」
打ち水をしていたトメさん(くすりばこの常連)がフリーを見つけて片手を上げてくる。頭がニケで一杯のフリーは、急ブレーキとともに身体を九十度に折り曲げお辞儀を決めるとまた走り出した。
「あらまぁ」
後ろでトメさんが「元気ねぇ」と微笑んで手を振っていた。
「あ。白助」
「シロちゃん~」
飴屋のチビッ子が駆け寄ってくる。結構人通りの多い道を通っているのだが、知り合いたちは簡単にフリーを見つけてくる。「なんで?」と思ったがすぐに、白髪が目立っているのだと思い出す。
四回くらい名乗ったのだが、いまだに名前をちゃんと憶えてもらっていない。
「ごめんっ。今日は遊べないんだ」
いつもなら満開笑顔で抱きしめるのに、今は間が悪い。ジャンプで二人の頭上を通り過ぎる。
ふくふくほっぺの幼子をスルーするなど、血の涙が流れそうだった。が、ニケに勝るものはない。奥歯を噛み砕かんばかりの形相で、一軒だけやたら古い家へと駆けこんで行く。
「ただいま帰還しました」
早口にスパンと表の戸を開けると、キミカゲとニケと患者さんが一斉にこちらを向いた。
「「「……」」」
ニケとキミカゲの顔を見た途端、水を被ったように頭が冷えたフリーは口に手を添え、「ヤベッ」という表情になる。
「す、すみません……。大声出して。消えます」
患者さんがいるときはなるべく裏口から入らなければならない。
ニケが無事だったことに安堵しつつ、すごすごと戸を閉めようとするフリーを、キミカゲが手招きする。
「おかえり。いいよ。入っておいで」
家主の許可を得たので座敷に飛び込み、スライディングでニケの前までくると、その小さな身体を抱きしめた。
「ただいま帰りました! 好き! 会いたかった」
「ぬ?」
あっつい抱擁にニケは目をぱちくりさせるも、すぐにその肩に頬を擦りつける。
「……耳元で大声出すな」
キミカゲと患者さんが二度見してくる。スライディング帰宅もそうだが、てっきり「くすりばこで大声出すな」と、フリーがニケに叱られると思ったのだが……
「走って帰ってきたことは褒めてやらんでもない」
小声でそう言うと、フリーを抱きしめ返した。
ひしっ。
「「何事っ?」」
十年ぶりの再会みたいな空気の二人に、患者さんは口を開けたまま固まる。キミカゲも二人の仲良し度がケタ違いに上昇していることに驚いた。思わず患者さんと声がハモってしまった。
――たった一日で何が?
(しかし……)
黒い尻尾を振り、実家に帰ってきたような安らかな顔をするニケを見て、彼は昔を思い出す。姉に抱かれていたニケは、こんな表情だった。
キミカゲはそっとほほ笑む。哀しいような、嬉しいような、ホッとしたような――そんな笑みだった。
そんな笑みをすぐに引っ込め、患者さんの顔を両手で挟み込むと、無理やり自分の方へ向かせる。
「ぐはっ」
顔色の悪い患者さんの首からグキッという音がしたが気にしない。
「はい。これ二日酔いに効くお薬ね。これに懲りたらお祭りだからって、羽目外しすぎないように。いいね?」
「うぐぐぐぐ……。頭にくわえて首まで痛くなったんですが?」
「迎え酒とかふざけたことをするヒトに、私は優しくないよ。苦しめ」
トドメにデコピンまでされ、患者さんは薬袋を引っ掴むと泣きながら出て行った。
「医者が苦しめとか言った~。ままぁ~」
「お大事に」
若者を笑顔で見送ると、一塊となっている同居人に首を向ける。
「フリー君。ずいぶん慌てて帰ってきたけれど、怪我でもしたのかい?」
「あ、キミカゲさん。ただいま帰りました。あの、実は魔物が暴れていて海開きが、っていう話を聞いて。急いで帰ってきました」
「?」
キミカゲはきれいな形の顎に手を添えると、やがて頭上にピコンと電球を点らせる。
「ああ、渦大蛇(うずしお)のことかな?」
「はい。それでニケ、大丈夫かなって……。ヒスイさんの可能性もあるし」
ヒスイの名を聞いて、犬耳がぴくっと揺れる。
「そうだね。私も昨日、オキンのケツ蹴って聞き出したんだけど。どうやら治安維持隊は渦大蛇の方に人員が割かれていて、ヒスイ確保には至っていないって」
聞き出し方にちょっと引っかかったが、今は置いておこう。
フリーははぁとため息を吐く。
「その話を聞いてから、仕事どころじゃなかったですよ。仕事場にニケを持って行きたい気分です」
「お前さんなぁ。仕事放って帰ろうとしなかっただろうな?」
ぎくりとフリーの身が強張る。ニケは「だめだこやつ」と言わんばかりの顔で首を振った。それはそうと、まだぬいぐるみのように抱かれたままである。
キミカゲは肘置きを手繰り寄せると、もたれるように身体を預ける。
「治安維持隊の何人かを、ニケ君の護衛として回してもらおうか?」
「え?」
「落ち着かないのだろう?」
「で、でも。強い魔物が暴れているんでしょ? 俺としては嬉しいですけど、いいんですか?」
話の途中だが、ニケはフリーを見上げて割り込む。
「おい。渦大蛇(うずしお)は魔九来来(まくらら)を使えないから魔獣だぞ。誰だ魔物とか言ったやつ。それに渦大蛇はそこまで手ごわい魔獣ではない。お前さん、サッと行ってサッと倒して来たらどうだ?」
「え?」とフリーは二秒ほど硬直したが、振りほどくように頭を振った。
「そんな大人数でも倒せないまもっ、じゃなくて魔獣を、俺一人でなんて無理だよ!」
「は?」
「だって治安維持のヒトたちが、大勢でも敵わないんでしょ?」
ニケは怪訝そうに眉を曲げる。不機嫌そうな顔つきになった。
そして、納得がいったように「あー」と声を上げる。
「お前さん……まさかとは思うが、治安維持隊がみんな、レナさんみたいな強さだと思っていないか?」
「え? ち、違うの?」
ため息をついてニケは胸にもたれる。
「あのなぁ。レナさんはだいぶ上澄みの方だぞ。お前さんやレナさんのような戦闘慣れした者が、その辺にごろごろいるわけないだろう。海の中は知らんがな」
その発言に、キミカゲの目が興味深そうに煌めく。
「おや。フリー君はそんなに強いのかい? てっきりレナ君が全部片づけたのかと思ってたよ」
大怪我をしたレナとフリーを担ぎ、転がり込んだ日のことだ。ニケもだいぶいっぱいいっぱいだったので、説明が雑だったかもしれない。
「うぐ。至らない説明でした。すみません」
「ああいや。怒ってないよ。ちょっと意外だったから」
優しい白緑の瞳でフリーを見る。
「幽鬼族は殴り合い不得手なのに。あ、もしかしてレナ君のサポートに徹していたってことかい? なるほど。やるじゃないか」
「「……」」
「すごいねー」と、棒読みの賛辞がツラい。
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