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第70話 一人では危険
きりきりと胃が泣いている気がして、ふたりはそっと腹部を撫でる。
正体をばらしても、キミカゲなら受け入れてくれるかもしれない。頭では分かっていても、実行には移せない。追い出されて仮住まいの場を失うのが怖い、とかでもなんでもなく。ただ、嫌われたくないから。嫌われる勇気などなく、他者からの好意を失うことを人は恐れる。それだけフリーも、キミカゲのことを好いている証だった。
偽っているくせに、嫌われたくないなど自分勝手で滑稽な話だが。それでも。
どうしたものかとうつむく二人に、キミカゲはぽんぽんとふたつの頭をたたく。
「ごめんごめん。意地悪な言い方だったね。そんな思いつめた顔しなくても、話せるようになったら話してくれればいいから。待ってるから」
フリーの瞳が揺れる。ゆっくり顔を上げれば、キミカゲの笑顔があった。いつもの、夕暮れのような優しい表情。
「キミカゲさん」
「君が何を隠しているのかは知らないし、治療のためには正しい種族を教えてくれた方がありがたいけど。私は何があっても若い子の味方をすると約束しよう。だから、あんまり悩まないで気楽に暮らしてほしいな」
その表情が眩しくて、またフリーはうつむいてしまう。
「一生かかっても返しきれないほどの恩を受けているのに、隠し事をしてしまってごめんなさい……」
キミカゲは白い頭をノックするようにたたく。
「笑わせないでくれよ。誰でも隠し事の百や二百、あるに決まっているだろう? 自慢じゃないが、私も妻に隠し事がバレて何度も殺されかけているからね。正直、生きているのが奇跡かなって思ってる」
「「……ええー?」」
脱力しきった声が重なった。
ちょいちょい話を聞いて思うに、キミカゲは薬師としては優秀だが夫としてはなんというか、相当駄目っぽかったのではなかろうか。
意外そうにじぃぃと見てくる四つの目に、キミカゲはいらんこと言ったとばかりに咳払いする。
「んんっごほん。で、話を戻すけど、フリー君が強くとも、魔獣に特攻しろとは言えないな。だからニケ君の案は却下だ」
「え? この阿呆、本当に強いですよ?」
「えへへ。ニケに褒められ……照れちゃうなー」
「日常ではそりゃ、その片鱗も見えない残念野郎ですけど。心配はいりません」
悲しそうにキミカゲは首を振る。
「勘弁しておくれ。子どもが戦争に……じゃなくて危ないことしようとするなんて、私の心臓が止まりそうになる」
妙に重みのある言葉に、ニケは二の句を継げなくなった。
そして――空気読めない声が響く。
「それでは、俺ならその魔獣を倒せるっぽいので、ちょっくら行ってきますね!」
「座れ」
凍光山(常冬の山)に匹敵する冷たい声音に、立ち上がりかけたフリーは大人しく正座した。
「はい」
「お前さん。翁の話を聞いていたか?」
フリーは元気いっぱいに拳を握る。
「もちろん。渦大蛇を倒したら、ニケの護衛にヒトを割いてもらえるって話でしょ?」
頭の中はニケでいっぱいらしい。
ニケは真顔で翁に向き直った。
「翁……。すみませんが、阿呆を治す薬ってありますか?」
キミカゲは頭痛を堪えるように額を押さえる。
「うーん。ないなぁ。それ(馬鹿につける薬)の完成は薬師の悲願だからねぇ。成し遂げた者は未だにないなぁ」
「さいですか……」
割と本気で落ち込む黒髪を撫でる。
「まあまあ。フリー君は知能が低い、というわけではないと思うよ。長い目で見てやろう」
「……はい」
フリーは早く許可が出ないかなぁと、そわそわ身体を揺らす。
「その渦大蛇(うずしお)って、倒すとお金もらえたりしないんですか? 借金返済の足しにしたいんですけど。洗濯屋の給金だけではいつになるか」
「黙れ」
「ぬん……」
ニケが冷たい。
しゅんとなるフリーに、キミカゲは肘置きから腕を離し背筋を伸ばす。
「とはいえ、早く魔獣を片付けてほしいという気持ちはわかる。と、いうことでフリー君」
「はい」
「一人で行くのは許さないけれど、仲間と行くなら許可しよう」
ニケとフリーの頭上に「?」が浮かんだ。
心臓が止まるほど嫌ではなかったのか。ニケは二回瞬きする。
「え? それはどういう……?」
「なんかフリー君、一人で勝手に倒しに行きそう……っていうか、行く未来が見えるから。どうせ止められないのなら、仲間と行ってほしいなって」
「へーそうなのか」と言いたげに、ゆっくりとニケが振り返る。フリーは慌てた。
「ちょ! 待っ……ナチュラルに未来予知しないでください! じゃなくて、そ、そそそ、そんな一人で勝手に、い、行きませんって」
赤い目が剣呑に光る。
「その台詞、僕の目を見てもう一回言ってみろ」
――ひぃっ。ごめんなさい!
「星みたいにきれいな赤色だと思ってます!」
静霊が、またお前らかみたいな顔で通り過ぎる。
ニケの目を見て浮かんだ言葉と、本来言うべき言葉を思いっきり間違えた気がする。
あちゃーと額を叩くキミカゲだったが、ニケは照れた様子で顔を背けた。
「ふん。まあ、勝手に行く予定だったことは大目に見てやろう」
「ニケ君っ? チョロいよ⁉」
愕然とするも、ギュッと抱き合い二人の世界に入ってしまっていた。
ニケが幸せそうなのでツッコミは控えよう。疲れたように肩を揉むおじいちゃんに、フリーは言う。
「でも、仲間なんていませんよ? 俺、友達いませんし」
友達、かもしれないリーンの顔が浮かぶも、彼を危険な魔獣退治に連れて行く気は毛頭なかった。
悲しいことをハツラツと言ってのけるフリーに涙が滲みそうだったが、なんとか頷く。
「退治屋のヒトが来る予定だったから、その子に同行を頼んでみるよ」
なにか言葉がおかしくないだろうか。「だったから」って、何故に過去形?
フリーにしがみついたまま、キミカゲの方を向く。
「おや。今日の診察はさっきの方で終わりでは?」
キミカゲは後頭部を掻く。
「ううん……。今日の昼までには来るって連絡がきていたんだけどねぇ。遅いね」
もうすぐ夕方である。
「ちょっと俺、見てきますよ。転んでいるかもしれませんし」
「お前さんじゃ」
あるまいし、と続けようとしたが、扉を開ける音に断ち切られた。
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