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第78話 負けそう

 鬼に飛び掛かられた直後、フリーは民家の壁に叩きつけられていた。空き家のようで、住人が騒ぎ出す気配はない。 「……かっ!」  尋常な力ではなかった。  フリーが苦痛にあえぐ。一瞬とはいえ、意識が飛びかけた。  身体強化をかけていなかったら、今頃投げつけられたトマトのような前衛芸術となって、民家の壁を飾っていただろう。脆弱な人の身でありながら、フリーの身体強化は防御よりも攻撃方面に特化している。そう何度も相手の攻撃をもらう余裕はない。  よろめきつつすぐに起き上がると、鬼が腕を伸ばしてきた。恐らく、リーンと同じように首を締め上げようと考えたのだろう。  ――そうはいくか。  フリーは逆に相手の腕を捕らえて投げようとした。しかし、動かない。  鬼男は土に根が生えたように微動だにしなかった。そこそこ大きな魔物と戦ってきたが、ビクともしないという経験は初だ。 「そんなっ」 「――くだらぬ」  驚愕するフリーを、寒々とした目が見つめている。そして目と目が合った瞬間、相手の腕が持ち上がり殴られた。相手を「殴ってやろう!」という意志の元で振るった拳ではない。邪魔なハエを叩き落とさんとする無造作なもの。フリーは、今度は地面に叩きつけられた。 「――がっ?」  一瞬とはいえ、意識を失った。  血が、流れている気がする。外傷ではない。内臓が傷つき、悲鳴を上げているのだ。腕の靱帯も損傷したのか、燃えるように痛い。肘まである手甲に守られていなければ、折れ曲がっていたはずだ。  奥歯が砕けそうなほど噛みしめた。  全身が痛い。これほど手も足も出ず苦戦したことがあっただろうか? あったかもしれないが、すぐには思い出さなかった。 「考え事か? 悠長なことだ」 「うっ」  胸ぐらを掴まれ、強引に引き起こされる。しかし足に力が入らず吊り下げられているだけだ。首に体重がかかり、かなり苦しい。 「ぐう……っ」 「なんだ。思ったより脆い。もっと殴り合いを楽しめるかと思ったが、星影の小僧とそう変わらぬな。しかし、何の種族だ? 白鳥族……いや、違うな」  種族の最大の特徴である翼が見当たらない。まれに空を飛ばない鳥族もいる。やつらは翼を持たぬ代わりに髪の毛が羽のようになっているが、この白い男の髪は蜘蛛の糸の如し。  翼族のことを考えたせいでついでに主の茶色の翼も思い出してしまい――ゾッとしたように首を振って記憶を散らす。 「どうした? 答えぬか。我は見ての通りの黒鬼(こっき)族。強さを至上のものとし、強者に仕えることを誉としている鬼の綺羅(きら)である!」 「……へぇ」  相手が鬼でなければフリーは馬鹿正直に名乗っていたであろうが、(この前やらかしたばかりでもあるし)さすがに踏みとどまった。鬼相手に「幽鬼です」と名乗っても一発で嘘だとバレるだろう。  ちなみに「綺羅」とは鬼族特有の数の数え方であり、「綺羅」は「一人」を意味する。  無論、そんなことを知らないフリーは、それを名前だと勘違いした。 「先輩の足……血が出ていましたけど、あれ、綺羅さんがやったんですか?」 「え?」  鬼は思わず素の口調に戻った。  綺羅さん? 「先輩に怪我させたヒトに、名乗りたくありませんね……!」  酸素不足で視界が霞んできたが、言いたいことは言っておかないと。 「左様か」  鬼は手を離す。急だったがために、フリーは無様に地面に転がった。だが、息を吸い込む暇もなかった。見れば鬼男が足を上げ、胸を踏みつぶそうとしている。  ――あれはいけない!  冷や汗が噴き出す。  肋骨どころかその下の心臓まで潰す気であろう。即死は免れない。  仕方なく酸素を確保するのを諦め、転がって避けようとしたが、完全には避けきれなかった。燃えるような痛みを発している方の腕を、存分に踏まれる。 「ぐあああぁぁあ……っ!」  激甚たる痛みと共に枯れ木が折れる音が響き、視界が一瞬白に染まった。  気絶すらもできなかった。  何故なら蹴鞠のように蹴とばされたからだ。何度も地面を跳ね、白い髪を砂だらけにしながら、ようやく止まる。幸か不幸か、その頃には意識が薄れかかっていた。霧など出ていなかったのに、視界が白く霞む。瞼が落ちてくる。そのせいか、痛みは一時的に薄まっていた。  無遠慮に歩み寄ると、鬼は物のようにフリーの白髪を掴み、強引に持ち上げ顔を覗き込んだ。ブチブチッと何本か髪が千切れるも、フリーは呻き声ひとつあげない。 「つまらん。もう終わりか」  どこかがっかりした声音だった。  この男が主より強ければ、鞍替えするのもいいと思ったのだ。  お嬢の外見は好ましいし強さも申し分ないが――婚約者がいる。あれよあれよという間に子どもが出来るだろう。出産は命懸けなので当然とはいえ、女子は妊娠出産するとどうしても弱まってしまう。種族によっては、子を生み出すと同時に、命が終わる種族もあるのだ。  鬼族は自分より弱い者には従わない。鬼を手駒として置いておきたくば、常に強者として頭上に君臨せねばならない。隙を、弱点を晒そうものなら、即座に食い殺されてしまう。  と、まあなんとも面倒くさい種族である。  なので、次の主(強者)を探し求めていたのだ。夜宝剣を欲しがったのも、お嬢の出産祝いにプレゼントしようと思ったから。自分はもう側で守れない。その代わりとして、守り刀と名高い夜宝剣を側に―― 「おっ」  夜宝剣で思い出した。  そうだった、そうだった。星影の小僧を追いかけ、夜宝剣を手に入れねば。こんな雑魚に構っている場合ではない。  飽きたような顔で、掴んだまま忘れていた生物を見下ろす。 「貴様は空っぽだな。強さはあるが――意気地も覚悟もない、美学も矜持もない。その強さに、相応しくない」  フリーは重たい頭で言葉を拾う。  ――なにを……言っているんだろう。 「だが、その手甲に変形する刀は申し分なし。貴様の代わりに我が使ってやろう」  どれ、と言いながら、腕から手甲を外そうとする。 「ぬっ!」  しかし、手甲は吸いついているかのようにフリーの腕から離れない。  鬼は目を閉じた。  仕方ない。 「腕ごと外すか」

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