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第81話 第四形態

   雨が降る。月明りすら届かなくなった紅葉街はより一層暗くなり、人間の視界は黒一色となる。対する鬼は、闇でも昼間のように見通す目を持つ。  フリーの左手はだらんと力なく垂れ下がり、まったく動かない。それに身体のあちこちが痛い。少しでも気を抜けば意識が途切れる。  笑ってしまいそうなほど不利な状況だが、フリーに怯懦の気配はない。  地道に強くなろうとしていた。努力の果ての力を身につけようと。でも、たとえ借り物の力だろうと、ぽっと出の力でも構わない。――今は。  刀に戻した呼雷針(こらいしん)を、まるで供物でも捧げるように天へ掲げる。  そして、呪文のように囁く。 「雷翼(らいよく)」 「いいねぇ! その余裕」  隙だらけだった。これを見逃す真似はしなかった鬼が、爪を振りかぶる。鉄をも切断する一撃を、フリーは宙を舞う花びらのように回転して躱す。 「ぬっ」  その間も黒い刀は糸が解けるように崩れていき、フリーの背中へと集結していく。曇天色の光で紡がれたのはバチバチと光を放つ黒い翼だった。  ――呼雷針、第「四」形態。 「ははっ」  鬼が笑う。楽しくて仕方ないと言うように。ガツンと拳同士をぶつける。  フリーは翼を大きく羽ばたかせた。つま先が、ふわりと地面から離れる。 「面白い! その羽でどんな風に戦うんだ? 我に見せてくれ!」 「……うん。分かった」  血の涙をこぼしつつ、フリーは更に上空へと疾駆する。逃げる、ためではない。  ニケの命を脅かすものを、排除するために。  ――つまりは、自分の欲望のために。  地面と雲の中間までくるとふらりと一回転し、宙に佇む。飛翔しているというよりかは、まるで水中を泳いでいるような動き。フリーはすっと片手をあげる。 「走れ」  渦巻く雲の中心から、黒雷が発射された。自然界の雷とは威力も速度もけた違いのそれが、躱す間もなく標的を打つ。 「グガッ……!」  魔九来来(まくらら)防具などなくても、自前の堅牢さだけで大抵の攻撃を耐えることが出来る鬼の肉体に、シャレにならない電撃が流れる。――だが。  炭化しなかっただけでも恐ろしいというのに、鬼は一瞬痙攣したのみで、それを力づくで振り切るようにして跳躍。フリーへと接近する。  再びあの、破壊的な爪が振るわれる。 「地上に戻るがいい! ここでは存分に戦え合えぬ」 「そうはいかない」  浮いているのにも、理由があるのだ。それにフリーは殴り合いを楽しみたいわけではない。  翼を用いねば到達できない高所へ踏み込んできた鬼の身体能力には驚いたが、場所が悪い。ここは地表ではなく、寄る辺なき空中。一度跳びあがってしまえば、方向転換は利かない。  なので、ここは攻撃よりも回避を選ぶ。こうして避けてしまえば、その一撃は宙を虚しく切ることになる。あとは地表へと落下するだけだ。 「小癪っ」  重力に従い、巨体が地に吸い寄せられていく。フリーはわずかに安堵の息を漏らした。  鬼のことをよく知らないため、彼まで空を駆けだしたらどうしようかと思ってヒヤリとしたのだ。現に、フリーの着物は触れられたわけでもないのに、ぱっくりと裂け胸元を晒している。よく見れば袖も同じように切れている。先ほどから回避は間一髪であった、ということだ。  鬼は身を捻り、土砂を舞い上げ二本の足でしっかりと着地する。足でも挫いてくれれば嬉しかったが、この程度で負傷するならさっきの黒雷でこの世から消滅している。期待するだけ無駄である。 「引きずり落とすのは難しいか。だが、飛んでいる相手は、撃ち落とせばいい」 「!」  フリーは表情を引き締める。撃ち落とすということは、石でも投げる気だろうか。レナの蹴った石が弾丸じみた速度を出していたことを思い出す。あれを鬼の膂力でやられれば、果たして反応できるだろうか。  その前に、片を付けるべきだ。  決意を固めたフリーは両手を――使いたかったが左手が動かない。千切れていないだけありがたく思うべきだろう。仕方ないので片手のみでやる、しかない。  鬼は何を思ったか民家に近づくと、家全体を抱きしめるように掴み、  そして―― 「うおおおおおおおっ!」  バキバキ、メキィ! なんと、家をまるごと持ち上げ、それを頭上で構えたのだ。 (まさかそれを投げる気⁉)  馬鹿力に物を言わせた、飛び道具の確保。突然家がなくなった民家の老夫婦が、雨を見上げて目を点にしている。  てっきり石や岩を拾って投げるものだと思っていた。石ではなく家ですか、そうですか。  だがその頃には、フリーの攻撃準備も整っていた。両手が使えないので少し時間はかかったが。これならどうだ。  鬼は助走も付けず、民家だったものをぶん投げる。 「喰らええええぇぇーーーいっ」 「喰らってたまるか、そんなもん。――走れ」  雷雲から雨のような無数の稲妻が光り降り注ぐ。だがそれらは地表には届かなかった。避雷針に吸い込まれるように進路を変えると、フリーの右手に集まり、一本の光の矢と化したのだ。  雷を束ねた一撃。  呼雷針の第四形態――雷翼――は、雷の威力を限界以上にまで高める、増幅装置のような役目を持つ。その時身体が自然と浮かび上がる。フリー自身が空中にいないと、上手く雷を集められないからだ。  だから耐える。高い所が……苦手であろうとも。  この矢の威力はさっきまでの雷の比ではないぞ。 (倒れてくれ。頼むから!)  これで倒せなかったら、身体がもたない。 「はあっ!」  かくして、雷矢は放たれる。迫る家を貫き一瞬で炭と変え、鬼へと向かう。それは一条の光芒。音速を超えるそれを、躱せる生き物などいるだろうか。  鬼が気づいた時は、胴体におおきな穴が開いており、後ろの景色が覗いていた。  腹を呆然と見つめた鬼が、ゆっくりと顔を上げる。 「見、事……!」

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