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第82話 ピンチは続けざまにやってくる

 ぐらりと鬼の身体が傾き、大の字で地面に落ちる。鬼を貫いた矢が背後で大爆発を起こさなかったのは、鬼が予想以上に頑丈だったことと、フリーがそれだけ消耗していたからだろう。どっちが死んでもおかしくない、ぎりぎりの戦いだったが、  ――決着。 「勝っ……た?」  はあはあと肩で息をする。あれを喰らって消し飛ばないとは。もう嫌。二度と鬼と戦いたくない。  フリーの雷翼(らいよく)は薄れ、消えかかっていた。  雨を浴びながら、アキチカは渦の中心を目指して走る。ニケを抱いたキミカゲと、相変わらず荷物のようにリーンを担いで。  キミカゲのことは割と丁寧に――腕に座らせる形で抱いているのに、なんで自分はこういう扱いなのだろうか。まあ、三人も運ばないといけないうえに、おじいちゃんに無理はさせられないので、しわ寄せが自分にきたのだろう。そう己を納得させるも、リーンの表情は不満げだった。  ニケはと言うと、あのあとキミカゲの方がニケの存在に気がついたのだ。一人だったので「フリー君と一緒じゃないの? もしかして、はぐれた?」と、声をかけようとしたのだが、翁を探すのに必死だったニケにその声は届かず、二人はしばらくの間、追いかけっこをする羽目となった。人ごみをちょこちょこ走るニケに、なっかなか追いつけずにいた。 『お、おーい。ニケ君!』 『……(必死)』  そんな二人をアキチカが見つけた時は、キミカゲは地面に手をついてゲホゴホ咽ており、ニケは「すみません……気づかなくて」と詫びている最中だった。 「派手にやってるねー」  空をうねる雷光を見ながら、アキチカがのんきな声を出す。  民家っぽいものが空に向かって飛んだ場面を見た際は、回れ右しかけたが。 「……」  揺られながら、ニケは曇天に目を凝らす。  もしかしてあの浮いているのは、フリー……だろうか? 背中に羽らしきものがあるし、なんだか泥でも被ったように黒い。 (まあフリーだしな。泥の上で転んだんだろう)  と気楽に思っていたが近づくにつれ、そうではないのだと知る。 「え?」 「フリー?」  近くまで――と言っても、最低限の距離は空けて――アキチカは三人を下ろした。ニケとリーンが信じられないという思いで呟く。  髪も瞳も、着物さえ。  頬も、返り血なのか血涙なのかわからないが、赤く濡れている。  真っ黒だった。  普段の白を見慣れているニケとキミカゲとリーンは、あれが彼なのか判別が出来なかったほどだ。  リーンとキミカゲの目が、ニケに集まる。どれだけの変装名人でも、赤犬族の鼻は誤魔化せない。ニケがフリーだと言えばあの人は……そういうことになる。  幼子が呟く。 「フリー……」  間違いない。黒髪の人の流している血が、フリーの血のにおいと同じ。  なぜ浮いているの? なぜそこまで変わってしまったの? また僕の許可なく怪我をしている。  色んな思いが沸き上がり、頭が一杯になる。そのせいで――出遅れた。  フリーの身体がふらっと傾いたかと思うと、糸が切れたかのように地上へ落下し始める。呼雷針(こらいしん)はまたもや、薄情なほどすかっと消えたのだ。 「! 危ない」  リーンが咄嗟に駆け出す。フリーのやつは明らかに気を失っている。あの状態で地面へ落ちたら――  彼にわずかに遅れて、ニケも駆けていた。 (あやつ強いくせに! 弱いから……)  落ちたら死ぬだろう。  魔物の攻撃を喰らって、凍光山に落ちたレナの姿がフラッシュバックする。骨を折ったものの、彼女は余裕で生きていた。フリーはそうはいかないだろう。  だが、ここからどんなに急いでも、フリーが地面にぶつかる方が圧倒的に早い。  ニケは懸命に手を伸ばすが―― (間に合わないっ) 「よっと」  その時、影が頭上を飛び越えた。 「!」  顔を上げると、緑っぽい青い着物がはためいて見える。アキチカだった。勢いを殺してフリーを空中で抱きとめる。  相手が水の入った湯呑だったとしても、雫一滴こぼさぬだろう、完璧な受け止め。 「おおっ」  それを見たおじいちゃんが「たまにはあいつも役に立つ」とガッツポーズを決めたのだが―― 「うああっ」  アキチカは長屋の壁に突っ込んだ。  落下の勢いは殺せても、自身は助走を思いっきり付けたうえジャンプしたのだ。その勢いのまま、プライベートなどない薄い長屋の壁を突き破り、文字通り内部に転がり込んだ。 「「「……っ」」」  一瞬固まった三人が、慌てて駆け寄る。  砕けた木片が降り注ぐ中、畳の上を転がる。それでも、アキチカはしっかりフリーの頭を抱きしめるように両腕で守っていた。 「ひいいっ」  内部にいた住人が悲鳴を上げる。静かに暮らしていて、いきなり人が壁をぶち破って入ってきたら、そりゃ悲鳴の一つもあげるだろう。 「うえええん。ままぁ~」  怖かったのか、住人は大量の空の酒瓶を蹴とばして部屋の隅に走る。部屋中が酒臭い。……よく見ると以前、二日酔いに迎え酒をしてくすりばこに訪れていた患者さんではないだろうか。キミカゲの微笑みが般若と化したので、ニケとリーンは関わるのを避けるようにフリーの元へ走った。 「フリー! 生きてるか」 「アキチカ様!」 「ああ、大丈夫大丈夫。私は」  ひょいと起き上がった彼に傷はなかった。まるで何かに守られているかのように、着物に汚れすら見当たらない。  ニケはフリーの胸元に飛び乗った。胸ぐらを掴んで顔を覗き込む。  瞳は閉じられているが、呼吸音はしっかりと聞こえた。ほっとする。  でも目を覚ましてほしくて、往復でビンタした。  ばしばしばしばし! 「ちょちょちょ」 「ニケさん。ストップストップ!」  結構な威力で殴る幼子を引き剥がそうとするも、着物を掴んで離さない。それどころかじたばたと暴れる。 「また僕の許可なく怪我しとるうぅ! こやつが悪いっ」 「ニケさん! わか、わかったから」 「トドメ刺しに来たんだっけ?」  リーンが何とか引き剥がすと、アキチカはフリーの胸に手を置き、何かを唱えだした。口の中で転がすように呟いているので、何を言っているのかは聞き取れなかった。  すると、フリーの身体が一瞬、光に包まれる。光が消える頃には、フリーの髪は元の色に戻っていた。着物も色も。  暗闇にぼんやりと、白色が浮かび上がる。 「フリー!」 「戻った!」  喜ぶ二人に、アキチカは前髪をかき上げる。……なんだか妙に疲れたような表情をしている。 「暴走……ではないね。無理に魔九来来(まくらら)を使っちゃったみたいだね。だいぶ蝕まれていたから、その分は治しておいたよ」 「え? それって」 「あ。別に寿命が縮まった、とかではないから。そんな顔しないで?」  リーンは胸を撫で下ろす。――が、何を思ったのか、アキチカは剣を抜いた。夜の室内で輝く青緑の剣。  どこに隠し持っていたと驚く暇もなく、彼はそれを握ったままフリーを見下ろす。 「身体の配色が変わる。この症状は魔九来来を覚醒させたときに起こる現象でね?」  アキチカは優しい笑みを消した。 「魔九来来の覚醒は滅んだ種族――人族にしか出来ない」  訳が分からないというように、リーンは呆然とアキチカを見上げ――  ニケは目の前が真っ暗になった。

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