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第83話 気にする人と気にしない人

 ――魔九来来の覚醒は人族にしか出来ない。  ニケは呼吸が止まった気がした。  バレた……。よりによって、神使に。 「……」  アキチカは紫の瞳をニケに向ける。 「その反応……。どうやら君は、知っていたみたいだね」  びくっと肩が跳ねる。顔を上げることができなかった。アキチカが、リーンが、キミカゲが、冷たい目でこちらを見下ろしている。――そんな思いが、小さな双肩にのしかかる。  ――どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。  何も考えられない。いや、頭はあたまは動いている。ぐるぐるかき混ざって、思考がどんどんばらけていく。カチカチと煩いのは歯の音だろうか。  どうなるんだ? その場で死刑? それとも投獄? あ、フリーと同じ檻に入れられるなら、別にそれでも。  考えが変な方向に流れかけた時だった。  ばしっばしっばしっばしっ。  緊迫した空気の中、またもや乾いた打撃音が響く。 「?」  おかしい。ニケはもうフリーを殴っていないのに。この音は何だ?  アキチカとリーンがそちらに目を向ければ、キミカゲが部屋の住人に馬乗りになって平手打ちを見舞っていた。  リーンと神剣を放り投げたアキチカが彼を羽交い絞めにする。 「キミカゲ様ああぁ! そのヒト家を壊された被害者なんですけど」 「空気読んでおじいちゃん。いま、真面目な話をしてるの!」  引き剥がされてもなお、キミカゲは悔しげに歯を喰いしばる。 「酒の飲みすぎで頭痛いっているから薬渡したのに、酒飲んでいたら私の薬が効かないだろうが!」 「う、うんうん。そうだね! 私も家族が酒飲みだったから、気持ちは分かるよ? でも、ひとまず落ち着こう?」  暴れる白衣をなんとか押さえつける。その間、リーンは被害者の脈を取るために首筋に手を当てる。顔は腫れあがっていたが、生きてはいた。  キミカゲは畳の上で項垂れる。 「ううっ……。絶許」 「はあはあっ。ていうか、キミカゲさんも、この人の正体に、気づいてましたよね? 絶対気づいてましたよねっ? なぜ放置しておいたんです? 私に報せるなり、なんかあったでしょ?」 「酒飲むなって、言ったのに……あれほど」 「聞いてます? ねぇ、ちょっと」  畳をどんと叩くおじいちゃんの背に、しがみつくようにニケが飛び乗る。 「翁! フリーの怪我治してください。血が止まらんです」 「ああ、ごめん。任せて?」  ころっと泣き止んだキミカゲは、手持ちの包帯でせっせと止血をし始める。 「……」  無視された神使は拗ねた顔でキミカゲの横に座る。座り方がフリーと同じだなと、手当を手伝いながらニケはぼんやりと思った。  神使である自分が拗ねているのに機嫌を取ろうとしないおじいちゃんに声を荒げる。 「キミカゲさんってば!」  キミカゲは剣を指差す。  「あの光る剣、もうちょっとこっちに持ってきてくれる? 手元が暗い」 「照明用に出したんじゃないんですけどっ?」  愕然と喚くも、彼は素直に放り投げた剣を拾ってくる。後ろではリーンが、被害者さんにそっと布団をかぶせていた。  緑の光が、室内を照らす。 「キミカゲさん~? 無視はやめよう? 教育によくないよ」 「なに? 貴方も怪我したの?」 「だからっ! この人の正体だって。なんで匿っていたの?」  キミカゲはフリーの状態を診て、眉根を寄せる。 「ここでは満足に治療できない。この子をくすりばこへ運んで。アキチカ、貴方はそのあと、リーン君が言っていた鬼を探してどうにかしておいてね。まだその辺をうろついていたら、怖いからね」  鬼が屋根から落ちるところは見たが、あの種族の生命力は馬鹿にできない。首だけになっても動いたとかいう記録もある。もし死んでいるなら、蘇らないように彼に埋葬してもらうのが一番だ。  恨みを抱えて死んだ生き物は、秋最後の日に亡霊となって地上をさ迷いだす。その日は外出禁止となるが、それを防ぐ力がこの神使にはある。 「シカトしたうえに神使である私を顎で使うってどういうことっ⁉」  不満を垂らしながらも、アキチカはすでにフリーを抱き寄せていた。立場的にはアキチカの方が上なのだが、年齢的には圧倒的に下なので、どうしてもキミカゲに頭が上がらない。別に言うことを聞かなくてもいいのだが、子どもの頃、このジジイに優しくしてもらった記憶が邪魔をする。 「んもー」 「そんなむくれないで……。あ、そうだ」  キミカゲは一枚の紙片を取り出すと、さらさらと携帯用の筆を走らせた。 「長屋の修繕費用は、羽梨神社(アキチカ)に請求してくださいね……っと」 「えっ」  布団の上にその旨を書いた紙を乗せ、一行はくすりばこへと急ぐ。確かに長屋の壁を壊したのはアキチカだが、なんか納得がいかなかった。 ♦  キミカゲの家。くすりばこ。  ニケの口から真実を聞いた神使アキチカは、「人族って滅んでなかったんだねー」と実に軽い感想を述べると、なんと普通に帰って行った。 「……え?」  これにはニケは絶句させられた。その場で首を斬られるくらいの覚悟で告げたというのに、このあっさり感はなんなのか。思わず帰っていくアキチカの背中を見てしまった。全力で二度見した。  口を開けたまま固まる幼子の横に、処置を終えたキミカゲが戻ってくる。 「ん。フリー君の容態は落ち着いたよ。力の使い過ぎでゴリゴリ蝕まれていた精神と体力は、アキチカが便利な力でなんかうまいことしてくれたみたいだし。でも傷は酷いから、しばらくは目を覚まさないかもね」 「お、翁……」  ニケとフリーの部屋化していた入院部屋を振り返る。布団の上で、包帯まみれの痛々しい姿となったフリーが横たわっていた。  キミカゲは「はーよいせ」と座布団に尻を下ろす。 「あの、翁」 「ん?」 「人族のこと。重くとらえていたのは僕だけ、なんでしょうか?」  アキチカやキミカゲの態度を見ていると、首を傾げたくなってくる。もしそうなら、あれだけ警戒していた自分がバカみたいではないか。  思いつめたように見上げてくる幼子の目を見て、肩を揉みながらキミカゲは首を振る。 「いやー。人族とか気にするのは為政者や頭の固い老害共――ああげふんげふん、喉の調子が。まあ、そういったお方たちだけさ。そうでなくとも気にするヒトは気にするだろうけど。……あの場にいたのがアキチカでよかったよ。もし騒ぐヒトだったら、面倒くさいことになっていただろうね」 「神使殿。剣を出しておられたから、てっきり斬られると思ったんですけど!」  キミカゲの背後に回り、肩を揉んであげる。絶妙な力加減に、キミカゲは温泉に浸かっているような表情になった。 「あーありがとう。そこそこ、あー気持ちいい。……え? 手元が暗いと思って、剣出してくれただけでしょ、あれ」  とぼけたように言う翁に、ニケは苦笑する。ぎこちないがニケがやっと笑ってくれて、キミカゲも肩の力を抜いた。 「そんな風に見えなかったんですけど」  クスクスと笑う。 「まあね。ま、あれは護身用に抜いただけだと思うけどね。人族だと分かって、びっくりして抜剣しちゃった感じ?」 「でも、斬らなかった、ですね」 「おそらく私の反応を見て、フリー君は無害だと思ったんでしょ。あの子、細かいこと考えるのを嫌うから。リーン君を助けるために鬼と戦う羽目になった~云々を聞いていたしさ」  そう言って、部屋の隅で居心地悪そうにそわそわと身体を揺すっているリーンに目を向ける。

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