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第85話 輪っか
「俺の頭に、その、光輪(こうりん)がないだろ?」
「こうりん?」
キミカゲが左右の親指と人差し指をくっつけて輪っかを作る。
「光る輪っかのことさ。彼らは「それ」で空を自由に浮遊することができる。翼族でいう羽根のようなものだね」
「宙(そら)の民は羽衣で飛んでいるって、おとぎ話に……」
リーンが「またおとぎ話かよ」と苦笑する。
「そのおとぎ話。最新のものに更新した方が良くないすか?」
「いやいや。おとぎ話では人族は悪、宙の民は羽衣が鉄板さ。……情報不足が関係しているだろうけど」
キミカゲは寛容に笑う。おとぎ話に真面目に突っ込んでいては、文字時通り話が進まない。
そうなの、とリーンは目を点にする。
「羽衣なんて流行遅れだぜ? いまだに羽衣使ってんの、じっちゃん世代でもほんの一部だし」
二百歳が少年という彼らの「じっちゃん世代」とは、一体いくつの方々なのだろうか。そっとキミカゲを見て、やっぱり目を逸らした。聞くのが怖い。
「あれ? では、リーンさんの光輪(こうりん)は?」
彼はその光輪とやらも羽衣も身につけてはいない。
リーンはどうしようもないと言いたげに、深いため息をついた。
「……なくしたんだよ」
「へ?」
「数年前のことだぜ。星に願いを届ける「七夕祭り」っていうのがあるって聞いて、地上にやってきたときだ。俺らは二百を超えないと外出許可が出ないからな。初めての外出に、まあ、浮かれていたってのは、ある」
彼らの言う外出とは家の外に出るという意味ではなく、他の民の領域に行ける許可のことだろう。
「でもちょっと時間が早かったみたいで、まだ昼間だったから空から地の民の売り物とか生活を眺めていたんだよ」
その時だった。
川で洗濯をしている女性を見かけたのだ。
地上の女性が好みど真ん中だった彼は、ふらふらと吸い込まれるように地上付近まで降下し、こそっとその様子を眺めていた。
ニケの視線に、リーンは顔を覆う。
「分かってるよ! 馬鹿だったって! ……そのせいで周囲の警戒がおろそかになってて、人攫い共に見つかったんだ」
夜空の着物を着て夜空高く浮かんでいる宙の民を見つけることは本来至難だが……場所と時間帯が悪かった。
色んな種族が混じった組織だったようだ。なんとか逃げることが出来たが、その時のどさくさで光輪を無くしてしまい地上に帰れなくなったところに、二度目の襲撃を受けた。
死なない程度に痛めつけられ、犬のように縄で繋がれ、アジトらしい建物に放り込まれた。
「そこには俺意外にも攫われた奴らがいたよ。……ガキが多かった。隅っこで寝ていると思っていた奴は、動かなかった」
絶望した。もう二度と地上にくるものかと。地上に来たことを酷く後悔した。でも光輪がなくては帰ることもできない。
「光輪のない星影は価値が半減だって、毎日殴られたぜ。安っぽい着物を与えられて、それが夜空に染まったら取り上げられる、の繰り返しだったし。落ち着かないったらなかったぜ」
茶化すように笑うが、くすりばこ内の空気は激重だった。フリーが寝ていて良かったと思う。
リーンは退屈そうに息をつく。
「何日経ったか。そいつらのボスっぽいやつに「客の相手をしろ」って、暗くて布団が敷いてある部屋に連れていかれた時だ」
さっとキミカゲがニケの耳を塞ぐ。
ニケはハテナを浮かべ翁を見上げ、リーンは「大丈夫ですって。連れていかれただけ、でしたから」と笑う。その笑顔が悲しい。
急にアジト内が騒がしくなったのだ。
物音や悲鳴が尋常ではなく、殴られすぎて思考力が低下していた当時のリーンでさえ、物陰に隠れたほどだ。
誰かが乗り込んできたらしかった。
闖入者は暴れまくると、瞬く間にアジト内を制圧。アジトはぽたぽたと天井から血が滴り落ち、肉片が飛び散る地獄絵図と化した。何が気に障ったのか、人攫い共はキミカゲでも治せないほどバラバラにされており、リーンは恐怖と吐き気が込み上げ、その場から逃げ出した。
「ちらっとしか見えなかったけど、白い中華服を着ている女性だったよ。……返り血で真っ赤なドレスになっていたけど」
白い中華服に、相手を斬り刻む戦い方。
ニケとキミカゲの脳裏に同じ女性が浮かんだが、二人は黙っておいた。
当時を思い出し、悔しそうにリーンは拳に目を落とす。
「仲間割れかなんなのか知らねぇし、ぶっちゃけボスより怖かったけど、一応助けてくれた恩人なのに、礼も言えなかった」
この俺が女性に礼を言わないなんて、と悔しがっているが、逃げて正解だったと思う。
ニケは捕まっていた子どもたちも気にはなったが、まあ、もし闖入者がレナなのであれば――十中八九彼女だとは思う――子どもたちは無事に保護されたのだろう。……凄惨な現場を見て、心が壊れていないと良いが。
リーンは拳を開いたり閉じたりする。
「それからは放浪生活だぜ。帰れないし家もなけりゃ金もない。比較的治安のいいこの街で暮らしながら、光輪を探そうと思ったんだけど、「星影がいたら変な奴らが集まってくる」って領主に言われて、追い出されかけたんだ」
身も心もボロボロだったリーンは、心が壊れかけた。地上が憎いという感情すらなく、ただただ放心した。
そんなリーンの肩を叩いたのは、誰あろうアキチカだった。
ここで神使が出てくるのかと、ニケは耳をぴんと立たせる。
「神使殿?」
「ああ。あの頃は俺と同じくらいの身長だったけど、アキチカ様だったよ。……昨日の祭りで再会したとき、すげーでかくなってて驚いたけど」
キミカゲもほんのり頷いている。
領主の館での食事会に招かれ、ふたりは偶然その場にいたのだ。
獣の面をつけた背の高い従者を侍らせ、豪奢な着物を身につけた少年神使は、リーンにほほ笑む。
――辛かったね。お疲れ様。仕事と家をあげるから、しばらくはここ(紅葉街)で休むと良い。何かあったら、いつでも羽梨(はねなし)においで。
領主は何か言いたそうに口をパクつかせていたが、アキチカと目が合うと笑顔で了承してみせた。
「で、名乗り出てくれたのがディドールさんだよ。俺といたら危険かもしれないってのに。うちで働いたらいいって、笑顔で……」
彼女たちに罪はないが、洗濯女性を見ていてこんな目にあったのだ。洗濯屋で働くのは、心境としては複雑だったが、ディドールの花のような笑顔から目が離せなくなっていた。
リーンのずたずただった心を癒したのは、間違いなく彼女だった。
ニケの赤い瞳に目を向ける。
「だからさ、ニケさんももし光輪を見つけたら、俺に教えてほしい。みんなは黄金色なのに、俺の光輪だけ青く光るから、すぐわかると思う」
あまり話したくないことだったのだろう。リーンの表情は疲れ切っていた。
それなのに過去を語ってくれたのは、秘密を明かしてくれた友人への礼だろうか。
それに事情を知ってくれているヒトが多い方が、光輪は早く見つかる気がする。そんな心の声が聞こえたニケは、努めて明るい声を出した。
「分かりましたけど、フリーには黙っていた方が良さそうですね」
「え? なんで?」
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