38 / 86
有罪 37
あまりにもあっけなさ過ぎたために、一瞬何が起こったのかわからなかったほどだ。
オレをぽかんと見上げる元彼の目元にさぁっと朱色が増えて……って言うのを見ていると、何を言っているのか聞き取れない声を上げて元彼が突っかかってくる。
伸ばされた腕を反射的に払って、距離を取ろうとした瞬間に足が絡まってぐらりと体が傾いでしまった。
この男の前でみっともなく地面に倒れ込むのかと覚悟を決めた時、逞しい手がさっとオレの体を支えてくれる。
柔らかな、香水の匂いじゃなくて石鹸の香りだ。
清潔感があって、オレは香水とかコロンとかよりもこう言った香りの方が好きだった。
「ケイ君、行こうか」
オレを抱きしめたまま佐藤が発した声はひやりと感じてしまうくらい冷ややかなもので、四角四面でこんなやりとりなんかしたことないんじゃないかって思える佐藤が、無言で元彼を威圧する。
佐藤が大きいからか、それともその気迫のせいだからか、元彼ははっと身をすくませるとやり場のない両手をぶるぶると震わせてから、悔しそうに顔をしかめてぱっと背を向けた。
吐き捨てる言葉は……滑舌が悪くて半分も聞き取れなかったけれど、聞かなくてもいいような内容だったしなんのひねりもない言葉だった。
「……ふぅ」
「あ! ……その、巻き込んじゃって……ごめん」
「いや、ケイ君のことなんだから俺のことでもある。……大事にならなくてよかったよ」
そう言うと佐藤は安堵の苦笑を向けてくる。
「でも、何かあっても佐藤が守ってくれただろ?」
もちろん、オレだって黙ってやられる気はなかったけれど、佐藤のその立派な体がただの見せかけなんてことはないはずだ。
「いや、喧嘩なんかろくにしたこともないから……正直、殴りかかってこられたら反撃のしようがなかったと思う。警察を呼ぶ時間くらいは稼げればと思うが……」
「その体格で⁉ 喧嘩したことないの⁉」
ああでも、見た目で喧嘩を売ってくる奴がいなかったってだけかもしれない。
「そんなにいい体しているのに」
「これは、登山が趣味だから自然とついた筋肉だよ」
そう言うと佐藤はスーツの上から腕を触らせてくれる。
腕とは言わず、その体全身を見たし舐めたし、何ならしゃぶりもしているのだから確認する必要なんてなかったのだけれど、街中で堂々と触れられる貴重な機会だからと、必要以上に確認するふりをして佐藤に触り続けた。
この腕の力強さ、そしてそれがどれほどの熱量で自分を求めてくるか……
ふと思考の隙間に入り込んだその情報は、慰めに来てくれた佐藤に礼をするためにお茶でも……と考えていた考えを塗りつぶしていく。
ともだちにシェアしよう!