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第2話 晶利と妖精

🌸 『おい。晶利(しょうり)あれ! あれ見ろよ』  妖精が肩を痛いほど叩いてくる。 「なんだ。うるさいぞ」  文句を言いながら目を向けた先には、魔物の群れがあった。  くだらんと、持参した水筒を口につける。 「魔物ごときでいちいち騒ぐな」 『少年が触手プレイされてっぞ!』  水筒の中身を勢いよく吹き出す。  落とした水筒を拾い、裾で雑に口元を拭う。 「げほっげほっ! 何を言うんだお前は……げほっ」 『ほら。あそこ』  静かに魔物の後ろに立ち背伸びをする。確かに金髪少年が玩具にされている。 「……植物使いか。この辺の木々が元気なわけだ」  薄い羽の妖精がぐっと拳を握る。 『のんきに言ってる場合かよ! 助けてやろうぜ』 「お前本当に妖精らしくないな。……まあ、いい。俺もそのつもりだ」  少年の涙を見ながら首飾りの宝石を握り、体内の魔力を解き放った。  息絶えた魔物の死骸を踏まないよう歩き、少年に近づく。  ズボンのベルトに装着していた刃物を抜く。研いでいないため手こずったが何とかナイフで蔓を切断し、解放してやる。 「おっと」  自力では立てないのか、ぐらりと傾いた身体を受け止める。ナイフを仕舞いその場でしゃがみ、ピクリともしない少年のぬめった首筋に手を当てる。 『……どうよ?』 「生きている。魔力もまだ残っている、死にはしない」 『そっか!』  にかっと笑みを浮かべると、嬉しいのかくるくると周囲を飛び回る。  それを少々鬱陶しく思いながらも、汗がにじんだ頬を軽く叩く。 「おい。喋れるか?」 「……ぅう」  まつ毛を震わせ、少年は瞼を上げた。美しい、緑の瞳が謎の男を映す。 「……だれ、だ?」 「通りすがりの者だ。君はどこから来たんだ。ここは危ない。送ろう」  自分を支える大きな手と、優しい深みのある声。  ――……師匠? 助けに、きてくれたんだ……  ぱくぱくと唇は動いたが、声にはならなかった。それどころか瞼が閉じてしまう。 『お、おい。死ぬなよぅ!』 「死んでない。魔力枯渇による冬眠だ。おい、少年!」  妖精が慌てて声をかけ、ツッコミをしながら晶利が肩を揺するも、瞼は開かれなかった。  ギャ―――ッと、どこかで怪鳥の鳴き声がする。  遠くのばさばさと重たげな羽音を聞きながら、妖精と晶利は顔を見合わせる。 「……どうしようか」 『そりゃあ? 助けたんなら? 最後まで助けねぇとなあ?』  人喰い怪鳥も目覚め出す時間だ。それ以前に、意識のない少年を樹海の中に放置など言語道断だろう。 「……ごもっともで」  少年を担ぐと、来た道を引き返す。用事は……また今度にしよう。 『あ、おい。晶利』  パタパタ羽を動かし、妖精が杖らしきものを拾ってくる。 「なんだそれは。この少年のものか?」 『知らね』  あっさり言ってくれる。俺だって知らない。  晶利はううんと悩む。 「少年と杖いっぺんに持てないぞ。お前が持ってくれ」  ふるふると妖精は首を振る。 『無理無理。ももも、もう腕が限界。今にも落と』  カランッ。落ちた。 『頑張れ晶利! 応援してるぞ!』  デコピンしたかったがそれどころではないので、しぶしぶ少年と杖を持って樹海をあとにした。  紅茶の香りがする。  目を開けると、見覚えのない板張りの天井が広がっていた。土と草のにおいもして、自分はまだ樹海の中にいるのかと―― 「――っは!」  自身の身に起こった出来事がフラッシュバックし、少年は跳ねるように上体を起こす。  植物が襲ってくる!  無我夢中で逃げようとしたせいで毛布が絡まり、どてんと床に倒れてしまう。 「いっ」  ばしゃんと、泥が跳ねることはなかった。  倒れたそこは板張りの床。古い木目を見てようやく、自分はどこかの家の中だと知る。 「……ここは?」  鼻先を手で押さえ、辺りを見回す。  まず目につくのは、いたるところに吊り下げられたスワッグ(壁に飾る花束)だろう。天井からは蔓がガーランドのように垂れ下がり、窓から吹き込む風で静かに揺れている。  蔓を見るなり肩がびくりと跳ねる。思わず毛布を握りしめてしまうも、ここの植物たちからはなんというか、悪意をまったく感じない。それどころか少年をまったく意識していないようだった。 (襲って……こない?)  尻餅をついたまま後退ると、背中に固いものがぶつかる。  振り返ると、三人掛けのソファーだった。肘置きにクッションが置いてあり、少年はこのソファーで眠っていたんだと気づく。毛布を置いてゆるりと立ち上がる。 「誰も、いないのか?」  腰が引けながらも気持ち大きめの声を出してみるが、返事はない。物音すらしない。  自身を見下ろす。怪我はないようで服装はそのままだが、マントが見当たらず、杖もない。 「杖! 杖は……?」  大事なものだ。あれがないと私は……!  取り乱しかけた少年の目に、あるものが入る。 (え? すごい……)  見たこともない大きな切り株。高さは少年の腰くらいまでだが、四人掛け机より広々としている。  表面を撫でてみるとざらついていた。周囲に椅子が置いてあるので、これは机なのだろう。切り株机にもドライフラワーや山積みの大きな花の花弁、瓶の中に入った種らしきもので溢れている。  差し込む陽射しはさわやかで、花も鮮やかなので誤魔化されそうになるが、物語に出てくる魔女の家の見本のような印象を抱く。  呆然としていると、扉が開き誰かが入ってきた。 「起きたか?」  全然知らない顔だった。  年は二十代後半くらいか。腰まで届く所々外側に跳ねた焦げチョコ色の髪と、理知的な容貌をした男だった。髪と同じ色のアオザイに似た衣は金糸で鳥の刺繍が施され、その下は黒のズボンに素足でサンダルだった。  拳法家のような見た目だが、身体はそんなにごつくない。瞳も穏やかな茶色で書物などを読んでいるのが似合いそうだ。 「誰だ?」  少年は一歩下がり、警戒した声音を出す。  ばたんと背で扉を閉めた男は持っていた籠を切り株に置く。 「こちらの台詞でもあるな。あの樹海は子どもが踏み入って良い場所ではない。……まあ、いい。それより家はどこだ? 送っていこう」  そう言って、杖と畳んであるマントを投げて寄こしてくる。 「ちょ、投げ」  慌てて抱きかかえる。汚れひとつないマントと赤い宝石。少年はホッと息を漏らす。  きっと男を睨む。 「投げるな。これは私の大切なものだぞ」  男は悪びれることもなく椅子に腰かけた。 「それはすまなかった。人付き合いは避けているのでな……地図はどこへやったかな?」  積み上げられた分厚い本の下から、一枚のレイド紙を引っ張り出す。  四つ折りにされていたそれをパサリと広げる。かび臭いにおいのするそれは地図のようだった。 「……」  地図が珍しく、つい覗き込んでしまう。  警戒心の強い猫が近寄ってきたような感じがして、男は小さく笑みを漏らす。 「何がおかしい?」 「いや? ……で? 君の家はどのあたりだ?」  と、そこでバンッと扉が開いた。

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