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第6話 満月の夜

 失った魔力は眠れば回復するというものではない。 『じゃあ、どうすんだよ』 「飯食って身体を休めていればある程度は回復するが……」  普段使わない魔法医学書などを引っ張ってきたせいか、部屋に色のついた埃が舞う。妖精が「外で払ってからこいよ~」とハンカチで鼻を押さえている。  晶利は本と睨めっこの最中だ。 「魔力を回復させる薬もあるようだが、ここに草花だけでは作れないな」 『ほぼ毒草だもんな』  ソファーで横になっている少年。手足は冷え切り、呼吸も弱々しい。血で例えるなら輸血が必要な状態で、結構やばい。 『だーからもっと早く止めてやれって言ったのに! これであのガキに何かあったら、お前が見殺しにしたことになるんだぞ』 「……」  耳元で怒鳴られ、片目を瞑る。 「わかっている……。ん? これなら俺でも作れそうだ」 『なになになに? 必要な花を言ってくれ。オレが摘んできてやるよ』  晶利は文字を読みながら指でなぞっていく。 「藻根(もね)と明日葉(あすは)と、妖精の羽だそうだ」 『…………』  はい、と手のひらを向ける。 「千切っていいか? それ」 『オレの羽に触ったら絶対許さないぞ』  マジトーンで返され、「冗談だ」と小さく呟く。  じれったそうに妖精が髪を引っ張る。どんどん髪が跳ねていく。 『おい! バカやってる場合じゃねーぞ! 他にないのか?』 「あとはもう……性交しかないな」  妖精はぐっと親指を立てる。 『よし、やれ!』 「やるか。お前、性交の意味、分かっているのか?」 『え? え……パ、パンケーキ食べることか?』 「俺が一度でもパンケーキ食べることをそう呼んだか?」 『なに怒ってんだよ。いいから早くパンケーキ焼いてやれよ』 「……」  窓から妖精を捨て、再び本と向き合う。  夕陽が沈んでいく。  積み上がった医学書が三冊になった時、妖精がランタンを点す。切り株の上がほんのり明るくなる。その明かりを見て、初めて暗くなっていることに気づいた。 「もうこんな時間か……」  眉間を指で揉む晶利。妖精は勝手に本を閉じる。 「おい」 『ちょっと休めよ。お前すぐに根を詰めるからな』  せめて栞を挟んでくれと思いながら立ち上がり、少年の様子を窺う。  妖精がせっせと世話を焼いたようで、額に濡れたハンカチが乗せてあった。  枕代わりのクッションの上に立ち、妖精は寝顔を覗き込む。 『さっきよりは顔色が良くなっているな』  晶利は杖の宝石を撫でる。 「これだけの魔法石だ。そばに置くだけで魔力の回復が速くなる」 『すげーもんなのか?』 「ああ。正直、三級程度が手にできる代物じゃない。この少年の、師匠の持ち物か。……盗品か、だな」  妖精がじろりと睨んでくる。 『おい』 「可能性の話だ。名前も知らない相手だぞ」 『お前の対人能力(コミュニケーション能力)がへぼすぎて名前聞きそびれただけだろ』  そろそろ夜風が入ってくる時間なので、窓を閉める。 「お前。この少年には優しいのに、俺には厳しくないか?」  走っている。  燃え上がる村から。  悪夢があの日の出来事を見せる。  魔物に追われ、立ち入ってはいけない樹海に迷い込んだ。少しでも植物の、味方の多いところへ。冷静に考えれば火を吐く魔物から逃げるのに、樹海に飛び込むなど自殺行為だ。  それだけ余裕がなかった。周りもなにも、見えていなかった。  少年が走る足元が平坦になる。苔で覆われた樹海の木々が道を作り、逆に魔物の進行を根や蔓で妨げる。  順調だった。もっともっと離れれば、もしかしたら村を助けに行けるかも――  光明が見えた気がして、気が緩んだ。  追い付いた魔物の爪が伸び、少年の手から杖を叩き落とす。 「――あっ」  その瞬間、植物は少年に牙を向いた。  襲い掛かってくる。手足が。使役するだけの存在が。身体に巻きつき自由を奪う。 「あ、あ、ああ」  言うことを聞け。言うとおりに動け! 「そんな……そんな……」  蹂躙される少年を魔物とその後ろにいた、赤い宝石を持った人影が怪しく笑っていた。 🌸  土の匂いと、リリリー……リリリー……と鳴く小さな虫の鳴き声。  汗をかいたのか、全身がひどく冷たい。服が濡れていて気持ち悪い。 (喉乾いた……)  片足を下ろし、起き上がる。身体は重かったが動かせないほどではない。 「ん?」  切り株の上がぼんやりと明るい。近づくと本に埋もれるようにして、晶利が突っ伏した体勢で眠っていた。開きっぱなしの本の上では、妖精が大の字でいびきをかいている。 「……」  本を一冊手に取る。表紙には魔法医学の文字が。 (……? 晶利、なにか患っているのか?)  自分のためとは微塵も思わない少年は本を戻すと、毛布を男の肩にかけた。夜は冷える。妖精の腹の上には花びらを一枚、そっと置いておく。 (ランタン、消した方が良いか?)  上から中を覗くと、火ではなく光の球体が浮いていた。 (なん……だこれは? 魔法使いじゃないって言ってたのに。あっ、まさか妖精の力か?)  水を操る妖精もいれば、砂を操る妖精もいるという。  この妖精は光を操るのだろうか。  手をかざすと、淡い光球はほんのりあったかい。光が遮られ、部屋の壁に大きな手の影が浮かぶ。 「……さっきは、怒鳴ってごめん」  ポツリと零し、少年は部屋を出て行った。  今宵は満月だった。  風が足元を吹き抜け、草花を揺らす。 「……涼しい」  世話になった家をぐるりと一周する。小さい。少年の家といい勝負だ。その家を花壇が取り囲み、草花や家庭菜園の野菜たちが生け垣の役目をはたしている。柵などはない。野生動物が入り放題だと思うのだが、 (あんなに毒草吊るしてあったら、近寄らないか)  あの男は何者なんだろう。どうしてこんな辺境に……というか、ここはどこだ。どの辺りだ。 「よっと……」  木箱を踏んで屋根によじ登る。  常に北の空で光る星があちらにあるから……南は山で、東は森で。見たことのない景色が広がっている。樹海の近くでは、ないのだろうか。  無意識に故郷を探している自分がいた。 (町……は見えないな)  大きな町にでも行くことが出来れば、仕事を見つけ、何とか食っていけるだろう。なのに、 「……っ」  なかなか前に進めない。  あいつらのせいだ。  妙に優しいから、居心地が良く感じたんだ。 「はあ」  月明かりに照らされた景色を見ながら、ため息をする。 「眠れないのか?」  屋根の下から声がした。足元を覗くとランタンを持った晶利がこちらを見上げていた。  少年はひらりと飛び降りる。 「……起こした、か?」 「いや、勝手に起きた。眠れないのなら、好きに本を読んでいて構わないぞ?」  うつむく少年の頭に、持ってきた毛布を被せる。 「え?」 「毛布。かけてくれたんだろう? ありがとう。家に入れ。風邪引いたら俺が紗無(しゃむ)に怒られる」 「しゃむ?」  閉じた窓を指差す。切り株の上で眠っている妖精。 「あいつの名前」 「……アンタ、妖精使いなのか?」  頭の毛布を肩にかける。 「アンタ、ではない。晶利だ」 「え?」 「名乗っただろう?」 「……」  名前で呼んだら情が移りそうで。これ以上失うことに、耐えられない。  言い淀む少年に背を向ける。 「扉開けておくぞ」 「ま、待て!」 「?」  ドアノブを握ったまま振り返る晶利に、小走りで駆け寄る。 「なんでやさ、優しくするんだ? 私に」 「優しいか? 俺」 「……っ。出ていけって、言わないじゃん」 「家燃えた子どもを追い出せるか」  涙が出そうになった。つんと目の奥が熱くなる。 「嘘ついてるかも、とは、思わないのか?」 「……嘘なら、良かったじゃないか。気が済んだら帰ればいい」  そう言うと家に入ってしまう。言った通り、扉は開けたまま。 「…………変な奴」  月を振り返ると、少年も家の中に入り扉を閉めた。 「なあ、喉乾いたんだけど」 「蜂蜜ミルクを温めてやろう」 「そんな、子どもみたいな飲み物……」  ぶちぶち文句を垂れるも、それを飲むとすぐに眠れた。

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