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第7話 不穏な静けさ
🌸
「――はあっ! やあっ。はあ!」
晴天。
朝から少年の声が響く。晶利の家の庭で杖を振り回している。
単に素振りをしているのではく、魔法を使えるようになるための訓練である。あれから試したが「簡易交配」以前の問題になっていた。
魔法「植物操作」が使えなくなっていたのだ。その事実に少年はまた荒れに荒れたが、数日も経つと落ち着きを取り戻し、自主練習を始められるようになった。
『おうおう。頑張れー。負けるなー。そう、そこだー』
隣で適当な声援を送っているのは妖精だ。妖精だし魔法に詳しいかもしれない。
何かヒントになるようなことを言ってくれるかもと期待して訊ねてみたが、人間のことも魔法のことにも詳しくないようで時間の無駄だった。
『いいぞ。そこだ、やれー!』
はじめは邪魔くさく感じたが、妖精のいつも元気な様子にマントという防具を取っ払う心の余裕は生まれた。
「ふんっ。はあっ。せいっ」
『頑張れ頑張れ。負けるな負けるな! お前は出来るやつだ』
朝日を受けた羽がちらちらと光っていて、たまに緑の瞳がそちらに移動してしまう。
(いかんっ。集中力が乱れている……)
頭を振り、自分を叱咤する。
幼い頃から教わればだいたい何でも出来たため、何かに集中するという経験が乏しいせいだ。天才気質がこんなところで裏目に出るとは。少年はナチュラルに自分上げをしながら額の汗を拭う。
「頑張り屋なのは結構だがむやみやたらに杖を振り回しても、運動不足解消にしかならないぞ。詩蓮(しれん)」
甘い香りを纏わせた晶利が家から出てくる。妖精が騒ぐため朝食はいつもパンケーキなのだ。
詩蓮とは、二日目にようやく名乗れた少年の名前だった。
少年はぎっと晶利を睨む。
「魔法使いでもない人間が、口を挟まないでもらおうか」
「これを見ろ」
差し出されたのは土が詰められた小ぶりな植木鉢。妖精と覗き込むが花が咲いているわけでも芽が出ているわけでもない。
「なんだこれは」
「この中に植物の種が植えてある。まずはこれに芽を出させるところから始めてみろ」
怪訝そうな詩蓮の視線を気にせず、木箱の上にそれを乗せる。
「これはお前にやるから、練習台にするといい。ここに置いておこう」
顔をしかめると、少年は晶利に詰め寄る。
「私は私で鍛錬しているんだ。勝手に指示を出さないでもらいたいっ」
「基礎訓練とか魔法使えないとか言っていないで、早く二級に上がってくれ。俺の紫の花のために」
「なんだこいつ! 話聞かない上に自分の都合押しつけてくる」
『ごめんな……。オレの育て方が悪かったばかりに』
やれやれと妖精は額を押さえる。
晶利は赤い宝石をつつく。
「魔法は単に「魔法石に魔力を送れば使えるようになる」というものではない。魔法とはもっと複雑で奥が深いものだ」
「……?」
「天才肌故にピンとこないだろうが、使用できていた過去を振り返り、また「お前にとって植物とは何か?」を今一度考えてみるといい。この植木鉢はそのためのものだ」
流れてきた雲が、影を生む。
「何? 言いたいことがよく……というか、私が魔法を使えなくなった原因を知っているなら、さっさと……ぅお、教えて、ほしい……んだが」
邪魔するプライドを押しのけなんとか教えを乞うも、晶利は背を向けてしまう。
「その前に飯にしよう。パンケーキが冷めてしまう」
「お、おい!」
『やったー! 腹ペコペコー』
呼び止めるも妖精までそちらに行ってしまい、詩蓮は肩を落とした。
詩蓮の皿には甘くないパンケーキに、カリカリに焼いたベーコンと目玉焼き。ふんわりパンケーキは結構なボリュームだが育ち盛りの前では大した障害にならない。十分と経たずに消えた。
「もっとよく噛め」
晶利のパンケーキにはバターとメープル。妖精はパンケーキと果物を交互に齧っている。
妖精以外はナイフとフォークを使っている。食器類はあたたかな木製なので、カチャカチャという音が鳴らない。
朝の風がふわりとカーテンを翻す。
「なあ、アンタ――」
「そうだ。詩蓮」
二人の声がぶつかる。詩蓮は顔を背ける。
「なんだ。私の言葉を遮るな」
「すまない。で、話なんだが、俺はこのあと出かけるから、大人しくしておくんだぞ」
子どもに言い聞かせるような物言いに、目が据わる。
「私はアンタの子どもではない。どこで何しようが――」
勝手だ、と言いかけ、ここは自分の家じゃなかったんだと勢いがしぼむ。
「別に棚の中などを物色したりしない。見くびらないでもらおうか」
「いやそうではなく。一人で森に行ったりするなと言いたいんだ」
だんっとフォークをベーコンに突き刺す。
「……アンタはなんでこんな人里離れた場所で暮らしている? この毒草の山は何だ」
パンケーキを一口サイズに切り分ける。
「毒草は、必要だからだ。人里から離れた場所は不便だが、人間が苦手でな」
食べるのがゆっくりなのか、バターがほとんど融けてしまっている。バターとメープルが混ざった液に妖精が果物を転がし、つやつやにコーティングされた果物をあんむっと食べる。パンパンになった頬を両手で押さえ、表情までとろけていく。口の周りがべたべただ。
「……」
不覚にもちょっと癒された詩蓮が妖精を見ながらベーコンを齧る。
晶利は無言で紙ナプキンを妖精の近くに置いておく。
「毒草は何に使うんだ?」
「話せば長くなる。また暇なときにしよう」
またそれか。はぐらかされるのも何度目か。
詩蓮はカップを持つと一気に中身を流し込んだ。搾りたてのオレンジジュースに、きゅっと梅干を食べたような口になった。
「馬鹿にしてる……っ」
食後の休憩も挟まず、詩蓮は植木鉢と睨めっこしていた。
あれだけの毒草を集めているなどやばい奴で決まりなのに、晶利の植物たちからは何も感じない。
植物に聞けば何でも教えてくれたが、いまは声すら聞こえない。それに加え晶利も自分のことを語らないため、いまだにどういう奴なのかさっぽりだった。
ひとつ屋根の下。数日一緒に暮らしていたら何か一つくらいは分かるはずだろうに。
――もしかしたら私も、対人経験値低い……⁉
いやそんなまさか。常に人に囲まれわっしょいわっしょいされていたこの私がっ。
『おーい。なにしてんだー?』
「紗無……」
背後からの声に、額を壁にぶつけるのをやめ顔を上げる。
『オレもちょっくら出かけてくっから……。留守番よろしくな』
妖精は口元を引きつらせ、目を合わせない。いかん。引かれた。
急いで立ち上がり、きざったらしく前髪を払う。
「どこか行くのか?」
『う、うん。森林浴してくるぜ』
「……こんな赤の他人に。留守番させていいのか?」
『その疑問、オレも晶利にぶつけたことあるけど、あいつは「お菓子は棚の中だ」って見当違いなこと言ってたぞ』
わざわざ声を低くし晶利の言い方に寄せて声真似する。ぷっと小さく吹き出す。
妖精は口を開けて指差してくる。
『あ、笑った』
「!」
『お前。笑ったらほんと美少年だよな。じゃあなー!』
「ど、どういう意味だ!」
顔を赤くして怒鳴り返すが、妖精は笑いながら飛んでいく。
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