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第12話 百人に一人
穏やかでかすれた老婆の声だ。詩蓮はそろそろと近寄る。
「あ、あの……?」
「おや?」
老婆が振り返った。
詩蓮は目を見開く。老婆ではなかったのだ。それどころか晶利と大して変わらぬ年齢に見える。
光の無い黒い瞳が、詩蓮を見て笑う。
(目が見えていない?)
「まさかお前が、子どもを連れてやってくるとは……。どういう風の吹き回しだい……?」
くつくつと喉の奥で笑う。声は老婆なのに見た目は若い女なので、脳が混乱する。
「晶利。この女性は?」
まさか彼女か?
晶利はわずかに口ごもった。
「俺の……唯一の友人だ」
黒い瞳は嫌そうに細められる。
声が老婆の女性は黒槌(くろつち)と名乗り――性別は男とのこと。
女性だと信じて疑っていなかった詩蓮は変な声を出したが、黒槌は怒らなかった。それどころかミルクを温めてくれた。
暖炉前のひとりがけソファーに座る。クッションが置いてあり、思ったより尻が沈んだ。
木のカップに息を吹きかける。
「晶利に友人なんていたんですね」
そう言うと彼は少し嫌そうに笑う。
「友人か……。正確には友人だった、だけどねぇ。それも遠い昔の話さ……」
詩蓮はずいっと身を乗り出す。
「あいつはなんなんですか? 自分のことを話さないので、わからないことだらけなんです」
「……会話下手だからね」
仕方なさそうに息を吐くと昔話をしてやろうと言い、黒槌は背もたれに身体を預ける。
「興味がないなら、聞かなくともいいからね……?」
孫を思うような、どこまでも優しい声。
詩蓮はしっかりと頷く。
晶利は用があると奥の部屋へ行ってしまった。まるで聞きたくないと言うような態度で。
奥に部屋があるほど広いのか、この空間。
「もう思い出すのも困難な昔さ……。晶利とあたしは国を、世界を裏から支配しようとする邪悪と戦った、戦士だった」
光を映さない瞳が遠くを見つめる。
晶利はにこりともしない不愛想な子どもだった。だが強い力を持っており、邪悪討伐隊の長から直々に声をかけられるほど。
長き戦いの果てに邪悪は滅んだが、最後に呪いを振りまこうとした。地上の生物全てを死滅させる呪い。
あいつはそれを「死」から「生」のエネルギーに変えて無害化しようとした。生の呪いが降りそそいでも、地上の生物は死にはしない。ちょっと寿命が延びるだけだ。死を遠ざける光魔法はあいつの得意分野だった。
呪いと魔法がぶつかり、結果……地上の生物は助かった。だが疲れ果てていた晶利は最後の最後で踏ん張れなかった。世界中に霧散されるはずだった呪いは、太陽を凝縮したような「生」のエネルギーは、たったひとりに降りかかってしまう。最後まで晶利の隣にいた討伐隊の一人に。
暖炉の火が弾ける。
「……それがあたしさ……。あたしはあいつのせいで不老不死になっちまった……。あいつを絶対に、許せないのさ」
かなり省略されてはいたが、それは実際にあった歴史。子どもでも知っている英雄物語。詩蓮も幼い頃憧れた英雄たちが、目の前にいる。色紙を持っていたらサインくださいと腰を折っていただろう。
「だからね。あいつは毒草を集めている。あたしを殺すためにね……」
ごくりとミルクを飲む。あちっと舌を出す。
「え? 許せないって……。不老不死は人類の夢のひとつみたいなものでは?」
「若いねえ……」
不死の苦悩も辛さも想像できない若さゆえの発言だと分かっているから、彼は二つの意味で目を瞑るだけに留めておく。
「辛いよ……? 死ねないというのは……。苦しみが一生終わらないのと、同じだからね」
「幸福が終わらないって意味でしょう? どれだけ楽しくてもやがて終わってしまうのに、あなたはずっとその幸せを享受していられる。うらやましいくらいですよ」
詩蓮はがたっと立ち上がる。
「私を見てください!」
「え? は、はい……」
「私はいずれ魔法の極致にたどり着きます。優秀ですからね。なのに寿命だけが足らない。こんっなにも才能があるのに。才能に満ち溢れているのに! 寿命だけが足らないんだ!」
「いや君、まだ若……」
「どれだけ栄光を手にしようと、輝かしい未来でもやがて終わってしまう! この私がっ。私がですよ? 私が死ぬなど世界の損失どころじゃありませんよ? 世界崩壊レベルですよ!」
黒槌の胸ぐらを掴む。
「それなのにあなたは! 不老不死なのに何をしている? こんなところで一人。何をしているんだ! なにもせず蹲っているだけ? ふざけるな。寄こせ。不老不死を私に寄こせ!」
声が聞こえたのか、晶利が奥の部屋から出てくる。
「お、おい。詩蓮。なに強盗みたいなことを……」
「晶利! アンタもアンタだ。何をやっているんだ過去の英雄が二人もこんな何もない土地で! 殺すために毒草を集める? 馬鹿かっ。そんなことに植物を使っている暇があるなら黒槌様と一緒に暮らせ! 死にたくないと願うほど楽しい人生にしてやれ!」
目を点にする大人二人。
「いらないのなら寄こせ。不老不死! それは私のような天才に与えられるべきものなんだ。寄こせーっ」
「黒槌……。ゆる、許してやってくれ。子どもなんだ。まだ。子どもなんだ……」
終わらない詩蓮の「自分はすごいアピール」を聞いていたら雨が降ってきた。どれほど自分が不老不死に相応しいかを延々と語れるのは素直にすごいと思った。
時たま稲光が辺りを白く染める。
豪雨で帰れなくなったので三人で夕食を食べ、お子様は眠ったところだった。
過去の英雄に興奮しているのか、食事中を除き詩蓮はずっと喋りっぱなしだった。英雄に憧れる子どものように目にきらっきらな星を宿し、黒槌に纏わりつく。自分との対応の差に晶利は羨ましいやら呆れるやら。複雑な心境だった。
暖炉前。ふたりの定位置で紅茶を飲みながら、晶利は少年の命乞いをしている。
紅茶嫌いな黒槌は、薄めて飲まないと命を落とす酒を原液のままで飲み干す。
「……別に。怒っていないさね。素直で生意気で、ちょっとやべー可愛い子じゃないか」
「……ちょっとか?」
怒っていないようでほっとした。
「不老不死なぞ欲しがるのは、いつの時代も権力者くらいだと思っていたが……今時の若い子はこう、なのかい……?」
「多分、詩蓮が特殊なんだと思う。いまも若者が不老不死を願うほど生きやすい世界ではない」
夜行性の荒野の魔物が窓から興味深そうに覗いてくる。三級魔法使いを加えた十人規模のパーティで当たってようやく倒せる難敵だが、黒槌と目が合うと逃げて行く。
「天狗になるのもわかるよ……。十年に一人の逸材だ」
「今の基準で言うなら、詩蓮は百年に一人、ってとこだろうな」
「……おやまあ。魔法使いの質も落ちたものだ……」
邪悪は滅んだが、まだまだ魔物の脅威は付き纏う。どこにいても魔物の影におびえて暮らす、平和には程遠い世界。そんな魔物と遠距離で戦える魔法使いが、質を落としている場合ではない。
「どうしちまったんだい……? 魔法使いは」
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