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第13話 古の剣士

「……珍しいな。お前が気にするとは。お前はもう俗世に興味はないと思っていた」  空になった器に酒を注ぐ。 「そうだね……。興味はないねぇ。あれだよ……若い気に、当てられたってだけさ。それに見た目も悪くない。久方ぶりに、心が動いたよ」 「黒槌お前。ショタコンだったのか?」 「殺すぞ」  軽口を叩きながらも、ふたりの間に流れる空気は穏やかだ。 「俺もだいたい引きこもっているから詳しくはないが、質はどんどん落ちていってる気がする。今の一級は、俺たちの時代の三~四級程度だ。見ていて悲しくなった」 「そう……」  黒槌はキセルを取り出す。 「詩蓮だっけ……? あの子はいくつだぃ?」 「もうすぐ十六だと言っていた」  子どもか。  黒槌はキセルを吸うことなく仕舞う。昔は子どもの前でもガンガン吸うのが当たり前だった。三歳児でも煙草を吸っていたが、黒槌は当時から子どもが煙草を吸うのが好きではなかった。 (基本、いい奴だからな……)  長生きしてくれと、人嫌いの晶利が願ったほどに。 「確かに詩蓮は、見た目は良い。あと数年もすれば立派な勝ち組になっているだろう」 「カチグミ……? それはそうと晶利お前。手ぇ出してないだろうね……? 金髪好きだっただろう?」  沈黙が降ってくる。  黒い瞳が見開かれる。 「晶利お前っ」 「いや待て! 黒槌。誤解だ。手を出していない。俺から「は」」  今までのゆったりさからは想像もできない速度で立ち上がり、黒槌は暖炉の上に飾ってあった剣に手を伸ばす。 「見損なったぞ晶利! こんな二桁も年の離れた子どもにっ」 「待て待て。待ってくれ。ご、誤解だ。ごか、ごご誤解なんだ」  汗を流して晶利は取り乱す。  同レベルとはいえこんな至近距離では、魔法使いは剣士には勝てない。呪文詠唱をする暇もなく斬り殺されるのが関の山である。しかも無詠唱の乱打で活路を開けるとか、そんな甘い相手ではない。眼前にいるのは老いも衰えもしていない、古代の英雄そのままだ。  おまけに名前に似合わぬ最速の剣士の称号を持っているし、いまだに塗り替えられていないときた。  彼の愛剣はとうに錆びついているが、彼が振るうなら錆びた棒切れでも立派な兵器である。  ――お前を殺すまで、死なないと誓ったのに!  数百年ぶりに死を間近に感じた晶利だったが、 「……んぅ」  もぞりと少年が寝返りを打つ。  子どもが寝ているのに騒いでしまった。  良い奴は剣を戻すと、何事もなかったかのようにゆったりと椅子に腰かけ、目を閉じる。  真面目に九死に一生を得た晶利は、背もたれに肘をついて項垂れた。戦闘(未遂)になった際にこぼれた酒と紅茶が巻き戻されるようにそれぞれのカップに戻り、各自の手元へ収まる。  それを見た黒槌は薄く笑った。 「ふん……。小賢しい魔法を使えるように、なったじゃないか……」 「平和になるんだと思って、一時期生活役立ち魔法ばかりを覚えていてな。……平和にはならなかったが。あと、俺が魔法使いだってことは、詩蓮には秘密にしていたのに」 「秘密にする必要、あるのかい?」  巻き戻したとはいえ床にこぼれた物を飲む気にはならない。旧友の手から器を取り上げると、中身を窓から外に捨てる。ばしゃんと跳ねた死の酒に、死肉に群がっていた虫共が我先にと散っていく。 「詩蓮は魔法を使えないんだ」 「……ッ?」  がたっと黒槌のソファーが揺れた。 「……。…………え? 魔法使えないの? 使えないのにあの自信だったの? ……若いって、すごいね」 「詩蓮が魔法を使えなくなった理由。ざっくり分けて二つあるが、お前は分かるか?」  寝顔に目をやる。 「……心的外傷(トラウマ)かな。あたしたちの時代でも、一定数はいたね……」 「一つはそうだな。詩蓮に出会った時、彼は植物に襲われていた。大人しかった手足の反乱に、怯んだんだと思う」  戦った植物型魔物を思い出す。やつらは再生力が高く、黒槌も半人前だったこともあり斬っても斬っても死なずに苦労した。 「もうひとつは?」 「植物を見下しすぎている」 「植物使いかい……。当たりだね。無人島でも生きていける……。まあ、長い人生。トラウマなんて、すぐに過去になるさ」 「お前はな」  大きな雷鳴が轟く。黒槌の小屋はびりびりと揺れるがお子様は目を覚ます気配はない。いっぱい喋って疲れたのだろう。身体が重いとも言っていたし。  何一つ変わらない友人の顔を見つめる。 「……詩蓮が言っていたし、暮らしてみるか? 俺と」 「……あたしが、お前と? 冗談だろ……」  雨は深夜まで降り続いた。  荒野にできた水溜まりはどれも砂や死骸で濁っている。 「詩蓮。帰るぞ」 「…………詩蓮君」  苦笑する黒槌にしがみついている詩蓮と、そのマントを引っ張っている晶利。 「詩蓮。それは持って帰れないぞ。諦めるんだ」 「いやだ私は黒槌様と暮らす」  まだまだ英雄譚を聞きたいらしい。 (懐かしいな。黒槌はよく子どもに懐かれていたな)  見送りに出てきてくれた黒槌に飛びつくなりこうなった。もう十分は外でこのやり取りをしている。迎えに来た狛犬たちと荒野狼の群れが遠目で見つめているが、黒槌を怖がって近づいてこない。 「黒槌。本当に俺と暮らさないのか?」 「……くどいねぇ」 「じゃあせめて、庭に生えた大木を斬りに来てくれないか? 困ってるんだ」 「…………あたしのこと何だと思ってんだ、こいつ」  古の剣士は晶利を無視して、やさしく金の髪を撫でる。 「いつでも、遊びにおいで……。あたしは未来永劫、ここに居るだろうからね」 「……はい」 「詩蓮。俺の言うことは聞かないのに、黒槌の言うことは素直に聞くのはどういうことだ」  不満そうな声を無視してマントを捌き、黒槌に背を向ける。果てしなくかっこつけた仕草なのに外見が完璧なためか魅入ってしまう。  狛犬に手招きすると、素直に寄ってきた。 (もう狛犬に慣れている)  舐めてくる狛犬をよしよしと撫でる。 「晶利。この狛犬たちはなんという名前なのだ?」 「ん……? 名前など付けていないぞ?」 「妖精にはつけているくせにか? そういうところ、どうかと思うぞ!」  少年にビシッと指差され、黒槌の背に隠れる。晶利を好いていない黒槌だが旧友のこういう顔は久しぶりで、思わず顔が引きつった。 「仔犬に吠えられたようなものだろう……。お前。情けない」 「……っうるさいぞ」  ゾウ並みの背中に飛び乗る。 「帰るぞ。詩蓮」 「言われなくとも」  詩蓮は黒槌に一礼する。 「お世話になりました」 「うん」 「あなたと不老不死を、諦めたわけじゃありませんからね?」 「うん。……うん? え?」  黒鉄が呼び止める前に背に乗り、旧友と仔犬は行ってしまう。 「……やれやれ。置いていかれるのが怖くて、人との関わりを絶ったはずなのにねぇ」  地雷を踏み抜かれたというのにあの少年には、また会いたいと思うのだった。

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