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第23話 居候
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机の上に散らばった求人票。
無一文になった晶利(しょうり)は悩んでいた。
「仕事どうしよう……」
ところどころ跳ねた焦げチョコ色の髪に、同色の瞳。背が高くすらっとした大人の男だが実年齢はウン百歳の御老公だとか。黙って座っていればそこそこの美青年だというのに、いまは背中を情けなく丸め頭を抱えてしまっている。
「そんなに焦ることか?」
そんな彼に紅茶の入ったカップを差し出すのは、金髪緑眼の少年だ。「ぼーっと見つめていたらこんなに時間が過ぎていた!」と、時計を二度見する羽目になるほどの美少年で、大人顔負けの魔法使いである。
「当然だろう? いつまでも黒槌(くろつち)の家で居候するわけにはいかない」
求人票と睨めっこしながら、片手でカップを持つ。いい香りに目をやると、琥珀色の水面に白い花びらが浮いている。
「いい香りだ……。それにこれは、蛍雲(けいうん)の花か?」
友を殺すための毒草を集めていたこともあり、多少草花に詳しくなってしまった。蛍雲花はお香にすると心を癒す作用のある香りを立てる。貴族や貴婦人方にたいそう人気の花だが栽培が難しく、かなりの希少品で市場にはめったに出回らない。貴族が独占してしまっているのだ。
それは別にいいのだが、問題なのは少年が腕を回して後ろから抱きついてきていることなのだが……
「くっつかれると、飲みにくいぞ。詩蓮(しれん)」
我が道を貫き切っている(マイペース)少年は耳を貸さず、愛する男の髪に頬を擦りつける。
「私は休め、という意味で紅茶を出したんだ。休まないやつが紅茶を飲まないでもらおうか」
「……」
心配してくれているようだ。これではなにも言い返すことが出来ない。大人しく求人票から手を離し、降参するように背もたれに身体を預ける。
ぎっと椅子が軋む。
「そうだな。少し休憩しよう」
大きく息を吐く晶利に、詩蓮は猫のように目を細める。うまくいった。こいつを休ませるのは私の役目だと得意げになっているのだろう。
そんな可愛い顔を見たかったがせっかく淹れてくれた紅茶が冷めてしまう前に口をつける。すっと鼻に抜けるが甘い余韻が続く蛍雲独特の香り。疲れが溶けていくようだ。
「……美味いな。紅茶の味もいい。お前は(興味があることは)すぐに上達してしまうな」
少年の性格から言葉を選んで褒めてみる。椅子を引き、対面席に腰掛けた詩蓮は当然だと腕を組む。
「私を誰だと思っている。一度見ればだいたいはマネできるんだぞ?」
それは素直にすごいと思う。理解力が乏しいと自覚している晶利からすれば、その才能は眩いばかりだ。
詩蓮はドヤ顔をしながらもちらちらとこちらを見てくる。もっと飲めと言いたいのか、もっと褒めろと言いたいのか。あるいは両方か。
だが残念なことに晶利相手では、そんな少年の可愛いアピールも糠(ぬか)に釘。鈍男の茶色の目は求人票の文字を追ってしまう。
どんっとブーツが机の脚を蹴る。
びくっと、晶利は顔を上げる。
「詩蓮? 黒槌の家だと言うことを忘れるなよ?」
おろおろと注意するも少年はさっと席を立ってしまう。そのままの足で暖炉前にいる人物に飛びつく。家族間で喧嘩が起こると、子どもが泣きつくのはだいたい母親か祖母だろう。
「黒槌様。天然野郎がいじめる」
「…………分かるよ。あいつは会話下手、だからねぇ……。あたしもよく殴りたくなったものさ」
暖炉の火を受けて濃い夕陽色に輝く髪を撫でるのは、しわくちゃの老婆――ではなくこの家の主で、男だ。生粋の剣士で、大昔に世界を救った一人である。若い女性のような容姿をしているが、老婆じみた声と話し方と性別のせいで魔法にかけられたわけでもないのに混乱する。脳が慣れるまで時間がかかりそうだ。
彼の相棒たる剣は錆びつき暖炉の上で寂しく眠っていたが、今は鮮やかな花の輪っかで派手に飾られている。この少年と暮らし始めると家のいたるところに瑞々しい花が生けられ、素朴な山小屋のような内装が随分ファンシーになってしまった。
空気も澄んでいる気がする。
あまりいい出会いではなかったが、黒槌は詩蓮のことを可愛がっていた。
「黒槌様も苦労なされたんですね?」
「まあ……ね。悪い奴じゃないと知っているから、皆もまあ……我慢していたけれどね……ぎりぎり」
「ぎりぎりでしたか」
「いいんだよ……? 君はまだ若いんだから。あんな、にぶちん天然男。……さっさと見限って、いい子を見つけな……」
「……それは、確かに、腹の立つにぶちんではありますけど」
「お前たち。そういう会話は俺のいないところでしないか?」
カップを少しだけソーサーに強く置き、暖炉の方に視線を向ける。だが旧友は振り向きもしない。
「なんだい……? 自分が注意したくせに、お前は備品を粗末に……扱うのかい? ……注意された方からすれば、ホラーだよ……? やめな?」
「朝から自分の悪口を聞かされるのもホラーなんだが?」
机で求人票を物珍しそうに眺めていた妖精が、うるさそうに欠伸をする。
『ふあーあ。元気だなあ、お前らはよ。詩蓮は紅茶、晶利は菓子作り上手いんだから、ふたりで軽食屋でもやりゃあいいじゃん』
絶対に嫌だと晶利は顔をしかめる。
膝で甘えていた詩蓮はぱちりと瞬きすると、机に戻っていく。
「そうか。紗無からしても私の紅茶は、美味そうに思うか?」
十五センチほどしかない妖精はうんと頷く。
人間のような衣服は身につけておらず、薄い桃色の肌に宝石(ダイヤモンド)をはめ込んだような無機質な瞳。羽は蝶のようで、光を浴びるとそれはもう美しい鱗粉を散らす。
光を操るので、夜はランタンに入れて持ち歩きたくなる。
『すげえいい香りがするぞー。それなのにお前は飲まないよな』
「私は、紅茶好きではないのでな」
紅茶仲間が増えずに茶髪が落ち込んでいる。手を伸ばし茶色のつむじをつっつくと晶利は顔をのそりと上げた。
「どうした?」
「いや。軽食屋も良いとは思うけど。人が苦手……対人能力の低いお前には辛いんだろう? あまり人と関わらない仕事をやってみないか? 私と」
妖精の方が食いついてくる。
『それって? 物語書きとか?』
「いや。単純に魔物退治だ」
対面と暖炉の方からうんざりしたようなため息が聞こえた。
妖精と詩蓮はキョトンとする。
「どうしたのです? 黒槌様」
「俺にも聞いてくれ」
「ああ、いや……すまないねぇ。つい。昔……嫌というほど魔物を狩っていたのを、思い出してね……」
英雄譚を聞ける気配を察した詩蓮は、がたっと席を立つ。
「あのっ、どのような魔物と戦ったのです? 物語にある「月を掴む巨人」や「海を埋め尽くすほど長い大蛇」など、本当にいたのですか?」
おやつを見つけた犬のようなはしゃぎっぷりだ。晶利は拗ねたような顔をし、黒槌は上品にくすっとほほ笑む。
「さてねぇ……。もう昔の話だ。覚えていないね……」
「そ、そんな意地悪をなさらず。教えてくださいよ」
まとわりつく少年に嫌な顔一つせず、黒槌はゆったりとしている。
「喉が渇いたねぇ……。あたしの酒を持ってきてもらえるかい……?」
びくっと、なぜか晶利の肩が跳ねた。
飲むと死ぬ酒だが、用法用量を守り百分の一にまで薄めて飲むと滋養強壮効果がある。死ねない黒槌はやけくそで薄めずに飲んでいる。もちろん死にはしないが、養命酒を五百倍濃くしたような味がクセになってしまったのだ。
詩蓮は物分かりよく頷くと、キッチンのある奥の部屋へと引っ込んでいく。
黒槌は目をうっすらと開け、冷や汗を流している友人にちらっと目をやる。
「……魔物退治か。人嫌いのお前には、楽しくない、仕事かな……?」
人嫌いな奴に人の役に立つ仕事をさせても、終始仏頂面だろう。長い人生経験を生かして、妖精が言っていた物語を書くのも良いかもしれない。
晶利は頬杖をつき、机をとんとんと指で叩く。悩んでいるようだ。
「ううん……。まも、魔物と戦うのはこの際良いとして。狩人(ハンター)登録時に受付と話したり、避難時にうまく人を誘導したりしないといけないのが。嫌」
「懐かしいね。……人と話さないといけない場面では、あたしに押し付けて……逃げていたよね……」
「ふむ。詩蓮と黒槌と三人で魔物退治か。それなら」
「こら。勝手にあたしを混ぜんじゃないよ……。あたしはごめんだよ。魔物退治なんて……。お前もう×歳だろ? その甘ったれな性格を直しな……」
はーやれやれと首を振る旧友に、ぶすっと拗ねた目を向ける成人男性。
晶利の方が年上なのに、この男と話していると兄のような感覚になる。甘やかしてしまうのはそのせいかもしれない。冷たく突き放さなくては……そう考え、出来ないままずるずると今日(こんにち)に至る。もう駄目かも知れない。
「黒槌様。お待たせしました」
にこにこしながら持ってきた詩蓮にお礼を言い、木のカップを受け取る。
「ありがとう……? あれ? 酒は?」
カップからほのかに甘い香りがする。あの酒はこんな上等な香りは放たない。
「花のシロップ入りの水です」
あまりに堂々と言われ、一瞬固まる。
「……え?」
「あんなよく分からない酒より、私の咲かせた蛍雲花で作ったシロップの方が、美味しいに決まっているでしょう?」
「……」
酒が欲しい→私のシロップの方が美味しい→シロップ水を持っていこう! となったようだ。
固まっていると、妖精が手を挙げる。
『詩蓮! オレもそれ飲みたいぞ』
「お、いいぞ。持ってきてやる」
カップを持ったまま、黒槌はこれどうしようかと猫背になる。
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