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第24話 衣服がない

「すまない。黒槌。悪気はないんだ」 「……分かっているよ。というか、なんで毎回お前が謝るんだぃ……?」  諦めてカップの中身を流し込む。濃い味に慣れた舌では、なんの味もしない。それが虚しかった。 「それと、もう一個謝らないといけないことが……あって。その、言いづらいんだが」 「?」  ごにょごにょ言いよどむ友の姿に不安になる。え? なに? 素直に言ってほしい。 「その……」 『詩蓮が黒槌の酒全部捨てたことか?』  さらっと妖精が言った内容に、シロップ水が変なところに入った。 「――うっぶ、がはっ! ごほっごほっ、ゲホゴホッ」 「ああ、黒槌。すまん。本当に」  飛んできた晶利が背中を撫でてくれたが溺れたように辛かった。ある程度落ち着き口元を拭うと、胸ぐらを掴んで持ち上げる。鉄の塊(剣)を振り回しているだけあり、すごい力だ。つま先が浮いているが晶利は無抵抗でひたすら謝罪する。 「あの、すまん……」 「すまんじゃないが? え? なに? あの酒いくらすると思っ……! あたしになんか恨みでも、ごほっ! 何? なんで? 言ってみろ」 「その。「こんなよく分からん液体を置いておくな」と言って、しかもその空き瓶に、あいつが作った漢方薬に詰めて……」  自分とほぼ同じ背丈の男を吊り下げたまま、黒槌はんがっと口を開ける。 「死にたいから死の酒飲んでいるのに? かかか、漢方薬? 何してくれてんだ! 嫌だろ? 健康に気を遣う不老不死とかッッッ」  ぶんぶんとぶん回されるが、昔の口調になった黒槌が嬉しくてされるがままだ。妖精は怖いのか物陰に隠れる。 「晶利。お前は何してたんだ! 止めろや!」 「すまん……。気づいた時にはもう……。すまん」 「泣きたいのはあたしの方だよ! よし。監督不行き届きで殴るから! 歯を喰いしばれ」 「紗無。妖精用のカップがないから、味見用の小皿でいいか?」  がちゃっと扉から少年が顔を出す。  部屋は静かで相変わらず黒槌が暖炉前に座っている以外は、いつもと同じだ。床に倒れている晶利はどうしたのだろうか。 「紗無? なんで求人票の下にいるんだ?」 『……ったく。お前のせいで戦争だったぞ……』 「?」  首を傾げる少年に、黒槌はこっちへ来いと手招きする。 「はい」  小皿を机に置き、晶利を跨いで駆け寄る。 「詩蓮君……。あたしの酒を……捨てたんだってね」 「はい!」  良い返事だ。  ちょっと叱るのでラグの上で正座をさせる。 「人の物を、勝手に捨てるのは……良くないよ? 君だって、その杖を捨てられたら、嫌だろう……?」  入り口に立て掛けてある杖を指差され、詩蓮はハッとした顔を見せる。 「それは……はい。申し訳、ありません。黒槌様。……何年かかっても弁償します」  項垂れる金髪にふうと息を吐く。久しぶりに怒って疲れた。  自分の身に置き換えなければ想像できないのはあれだが、まだ十五才。これから学んでいけばいいだけだ。あとは晶利を殴るとして、説教はこのくらいにしておこう。 「分かってくれて、嬉しいよ。あと、弁償は……しなくていいよ」 「そうはいきません! 必ずお支払いします。それまでは漢方薬を飲んでくださいね」 「…………うん」  これが有難迷惑ってやつか。  光の無い瞳が遠くなった。  眉尻を下げた少年が顔を覗き込んでくる。 「黒槌様。私のこと、嫌いになりました?」 「……あたしが嫌うのは、子どもに暴力を振るう馬鹿と、そこの化け物くらいだよ……」  だから安心おし、と言って頬を撫でてくれる。 「はい」  すっかり安心したのか小皿で飲んでいる妖精の元へ笑顔で行く。 「どうだ? 蛍雲のシロップは?」 『うーん? オレにはちょっと合わないかなー? ここにレモンを加えたら良くないか?』 「ん。それはいいな。ハーブ系も試してみようか」  乱れた服を整え晶利も椅子に戻る。妖精とあーだこーだ言い合っている少年を、痛まし気に見つめた。 「詩蓮。言いづらいんだが、俺はお前の住んでいた村に行ってみようと思う」  びくっと身体が震える。  少年から表情が抜け落ちた。 「……なんで?」 「墓を建ててやりたい。詩蓮を見守っていてくれるようにな」  人間は苦手だが死体が放置されているのは気の毒だ。もしかしたら近隣の村の住人がやってくれているかもしれないが、一度見に行きたい。 「わ、私も……」  首を横に振る。 「いい。まず俺が行ってくる」  子どもに焼死体や焼けた家など、凄惨な現場を見せるわけにはいかない。それなら黙って行けよと、黒槌は息を吐く。 「あたしも、手伝おうか……?」 「来てくれるのか?」 「……大昔の、埋葬法しか、知らないけどね……」 「大して変わっていない。助かる」  勝手に話を進められ、少年は机を回り込むと晶利の肩を揺する。 「おい。シカトするな! 私も……い、行くべき、だろう?」  目を逸らし、声も弱々しくなる。  だが厳しい茶色の瞳は真っすぐに見つめてくる。 「肉親の死を見ることになるぞ?」 「……いないよ。私は。母親の葬式に出た記憶はあるが、父親は……生きているのか死んでいるのかも知らない。村長は別の女のところへ行ったって、言ってたけど」  村人は詩蓮を見かけると必ず挨拶をして、一言二言声をかけるようにしてくれていた。畑仕事が終われば、夕方、師匠のところに入り浸って馬鹿話で盛り上がる。夜……どれだけ一日が楽しくても、家に帰れば一人。  だから、伊雪(いせつ)がたまに来てくれると楽しかった。とんだクソ野郎だったけども。 「その。今の、この紗無含めて四人で暮らしている環境が、本当に楽しくて、嬉しくて……」 「……」  つい、はしゃいでしまったということか。黒槌の家に行くたびにおかしなテンションになるなとは思っていたが。そうか。喜んでいたのか。  背を向けるとごしごしと袖で涙を拭う。  くるっと向き直った詩蓮の目は少し充血していた。 「だ、だから私も行くぞ! 墓の周りを花でいっぱいにするんだ」  晶利は困ったように黒槌に視線を向ける。いつものように腰掛けているだけに見えるが目線が暖炉の上に向けられており背筋が冷えた。  これは、黒槌は置いていった方が良いな。もし万が一、詩蓮の父親、子ども捨てて出て行った父親と鉢会えばあいつは絶対に斬りかかる。どんな事情があろうとも関係ない。晶利では最速の剣士は止められない。墓が一個増えることになる。  旧友を見なかったことにして緑の瞳と見つめ合う。 「そうか。それならふたりで行こう」 「っ! あ、ああ! 行こう。……あれ? ふたりって?」 「紗無は黒槌と留守番していてくれ」 『おう。いいぞ』  黒槌が何か言いたそうな視線を向けてくるが、意地でも目は合わせなかった。 「すぐに金がもらえる仕事は、やはり狩人(ハンター)だろうか?」  昼食中。晶利がこんなことを口にした。  求人票を片付けた四人掛けの机。詩蓮たちの前にはいつものパンケーキ。突っ伏している黒槌の前にはオレンジソースかけのパンケーキが、湯気を立てる。  ご飯一緒に食べようと声をかけられいつものように突っぱねていたが、少年の捨てられた仔犬のような眼差しに完敗した。さきほど、あんな話を聞いたばかりだ。断れない。  そんな家主を誰も気にかけず、晶利を見つめる。 「なあ……。狩人って、魔物を狩る人のことを言ってるのか?」 「ん? ああ。そうだが?」  よく噛んで食べるようになった詩蓮は、ナイフで目玉焼きを半分に切る。とろりと、いい具合の黄身がこぼれた。 「いまは「冒険者」という言葉で一括りにされているから、冒険者と言った方がじじいだとバレにくいぞ」  ぽかんと食事の手を止める晶利。黒槌も顔を上げた。二人は互いに顔を見合わせる。 「そう……だったのか。昔は冒険者だったのだが、魔物との戦いが激化したから狩人と冒険者に分かれたんだ。が、そうか。今はまた冒険者に纏まったのか」  感心したように頷いている大昔の人たち。 「はは……。それで、そんなに金に焦ってどうしたんだ?」  晶利は詩蓮の服を指差す。 「お前は黒槌の服を借りているからいいが、そろそろ俺は着る服がなくなってきた」  家ごと消えたのだ。しょっちゅう泊まりに行くから黒槌の家に着替えやら非常食やら置いてあったので何とかなっているが、流石に服一枚しかない現状が辛い。  しかもこの辺は雨が多いため、なかなか乾かないのだ。雨が続けば全裸で過ごす羽目になる。野郎しかいないとはいえ、それはちょっと。  黒槌の服を着ている詩蓮はやっと危うさに気づいたようだった。 「そうだよな……。黒槌様の家が快適すぎて、うっかりしてた」 「早急に服を調達したい」  だがその顔は嫌そうだ。そりゃそうだ。人の多いところへ行って買い物しなくてはならないのだ。パンケーキを見つめる顔に「行きたくない」と書いてある。  黒槌はあきれ顔で、ようやくナイフでパンケーキを一口大に切り分け出した。ふんわり膨らんだ生地をじろじろ眺め、ナイフで刺して口へ運ぶ。  ……ぱくっ。 「はあ。面倒だね。食事というのは……」  味などしないのに、楽しくもなんともない。だが対面の少年の嬉しそうなにこにこ笑顔。これを見ていると暖炉前に戻ろうとする足が固まる。 「……はあ」 「嘘でもいいから美味しそうに食べてくれないか? ため息連打は堪えるぞ」  製造者が何か言っているが、黒槌はまた顔を伏せてしまう。  詩蓮はオレンジジュースをちまちまと飲む。 「まあ、人とあまり関わらず、すぐに金が欲しいのなら冒険者かな?」 「そうか。なあ。その、登録するときに、料金は発生するのか?」  詩蓮の服は巨大樹から発掘出来た。だが衣服だけだ。ズボンに入れていたはずの冒険者カードはどっか行った。 「私も冒険者カードを紛失したから、再度登録しに行かないと。登録はタダだ。冒険者の数は年々減ってきているからな」  反応したのは黒槌だった。 「どうして……だい?」 「えっ? どうしてって……。そりゃ危険だからですよ。最近は魔物退治の依頼が増加していまして。冒険者と言えば魔物を退治する人を指す言葉になってきています。そんな危険な仕事につきたがる者はいませんよ」  目を見開く黒槌に、恐る恐る問いかける。 「あの? 昔は違ったんですか?」 「ああ。まあね……。昔は戦闘民族が多かったから……。冒険者は、依頼の取り合いだったよ」

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