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第26話 野営

 口をへの字にする少年に、大人は悲しげに笑う。 「黒槌様を殺せたら、お前も死ぬのか?」 「……」  後ろからでは表情が見えない。まただんまりか。いや……私が無神経なことを聞いたな。  罪悪感から話題を変える。 「あ……。『苺紅』は観光地としても力を入れているから、土産物店が増えているはずだ。時間があったら見ていこう」  仕方なさそうに晶利は微笑んでくれた。 「ああ。紗無が喜びそうな菓子もあるといいな」    美しい泉で休憩を取ることにした。狛犬たちは全く疲れを見せないが、乗っている人間はそうはいかない。  詩蓮が用を足しに行っている間にテキパキと夕食の準備をする。山のふもと。ここを超えれば詩蓮の村、日夕村の周囲に広がる樹海が見えてくる。  夜は魔物たちの領分だ。か弱きものは身を縮めて息を殺し、朝を待つしかない。そんな中、晶利は堂々と火を点け焚き火で暖をとる。  自分一人なら干し肉でも齧っていればいいが、育ち盛りには飯を食べさせたい。幼い頃、祖父母がやたら飯を食わせてきた理由がなんとなくわかる。  鞄から小さめの鍋を取り出しスープを作る。豪華なものではないが野菜を多めに入れる。野菜は倉庫にあったものをいくつか持ってきた。それを見た詩蓮が不満そうに「種さえあれば私が用意するのに」と言ってむくれていた。冷静に考えるとすごいことを言っているな、植物使いというのは。 「晶利。……あ、飯作ってくれているのか」  泉で手を洗った詩蓮が隣に座る。ぴったりくっついてくるので、寒いのかと肩にひざ掛け(黒槌の私物)をかけてやる。  緑の瞳を見て、少しだけ自慢げに笑う。 「どうだ? 菓子以外も作れるぞ」 「そのまま私の嫁になれ。私が外で稼いでくるから、晶利は主夫をやってくれればいい」  にっこりと微笑む。 「絶対嫌だ」 「……ちっ」  これだから古い人間は。今時男が主夫やるなんて(妄想しまくったせいで私の中では)まったく珍しくないぞ。ぷんぷん怒りつつも身体は晶利にもたれかかる。この男の近くにいると、腹は立つが幸せだ。 「……」  幸せそうに瞳を閉じる少年に、晶利は複雑だった。詩蓮は自分のことを好きだと言ってくれているが、どうにも親に甘える感情を勘違いしているように思う。 (いや、それは違うか? 親と接吻したいとは思わないよな……)  黒槌に相談してみるか? 駄目だあいつはどちらかというと詩蓮の味方だ。黙って主夫やれと言われる。  芯が残るくらい。そこまで煮込んでいないスープを取り分ける。 「熱いからな?」 「ん……」  ずずっとスープをすする。ほのかなミルクの甘みとコクのあるチーズが良いアクセントに――なっているはずもなく、薄い塩味だった。持てる荷物が限られているので仕方がない。美味いか不味いかで言えば、冬のご飯が食べられない日以外は食べたくない。  だが腹から身体はあったまる。ほうっと息を吐く。 「美味しいよ」 「無理して褒めなくていいぞ? 薄いだろう」  自分の分は少なめによそうと、ろくに冷まさずに飲む。あっつい。  舌先を夜風に当てていると緑の瞳が睨んでいた。 「私が褒めてやったのだから素直に喜んだらどうだ?」 「え? あ……う、嬉しい」 「うむ」  不味い作り直せと言いたいのをこらえて褒めてやったというのに。「嬉しい」と「ありがとう」以外の言葉は不要だ。まったく。  亭主関白にならないといいが、と少年の未来を心配しつつスープを流し込む。  焚き火と星明り以外に光源はなく。陽が沈むと闇に浸かる。  狛犬姉弟は毛づくろいをしたりじゃれあったりしていて楽しそうだ。じゃれあうのはいいのだが、大きさが象なので出来ればじっとしていてほしい。砂埃がすごい。 「さて。することもないし焚き火の番も見張りも俺がしておくから、ゆっくり休め。ひざ掛けとそのマントがあれば、外で寝ても風邪は引かないはずだ」 「……? 見張りは交代でするものだろう? 交代の時間になったら起こすから、晶利こそ寝ろ」 「……」  どうやったら説得できるだろうか。これ。色々考えてみるも、 (性格上、寝ろと言っても聞かないな)  喧嘩になるか、詩蓮が不機嫌になるだけだろう。 「分かった。では先に休むが、何かあれば起こしてくれ」 「任せろ」  腕を組んでご満悦な表情だ。頼られるたり任されたりするとご機嫌になる(調子に乗る)タイプか。こういうところは可愛いな。  腕を枕にして地べたに寝転がる。地面は驚くほど冷たいが野宿は慣れたものだ。大雨の中や毒沼の近くで寝る羽目になった時のことを思い返せば天国に等しい。 (なんで毒沼に行ったんだっけ? ……あー。取り逃がした魔物を追いかけた時か)  倒せたがヘロヘロになり眠ったというか気絶したというか。黒槌が隣にいたとはいえ、ふたりともまだまだ未熟だった。倒れる前にかけた魔法のおかげで毒の霧で死ぬことはなかったが、二人纏めて虫に刺されまくり。  帰還できたが数日地獄を見た。 「……」  思い出すと辛くなるので目を閉じる。詩蓮は起きているが熟睡はしない。彼の腕を信じていないわけではないが、子どもに押し付けて眠るわけにはいかないのだ。大人のすることではないし、なによりどこぞの不老不死に軽蔑される。  ふあぁと、詩蓮の欠伸が聞こえた。 (……暇だな)  杖はすぐに握れるようすぐ横に置いておく。  見張り中とはいえ、ずっと神経を張り詰めていては交代時間まで持たない。読書しているくらいでちょうど良いと思う。  詩蓮の場合は植物たちが報せてくれるというのもあり、肩の力は抜いていた。  いつの間にか狛犬姉弟も眠ったらしい。焚き火が弾ける音のみがたまに聞こえる静かな闇。  ちらっと横目で、寝ている男を見る。ずっと焚き火を見ていたら光に目が慣れ、いざ戦闘となった際に、闇に潜む魔物を捉えづらくなるからだ。 (野宿など慣れっこだという顔で寝ているな)  規則正しく胸が上下している。  晶利の家に居た時は別々の部屋で眠っていたし、黒槌の家では家主を真ん中にしているので、眠っている晶利とふたりきりは初めてかも知れない。  ぐっと寝顔を覗き込む。 (……今なら、何をしても。キス、とか)  吸い込まれそうになったが、急いで飛び退いた。  どっどっとうるさい心臓を押さえる。何をしようとした、私は!  寝込みを襲うなんて最低だ。そんな奴に人権などない。……と、酒を飲んだ師匠が信じられないほど据わった目でそう零したのを覚えている。何かされたのかと聞く勇気はなかった。それもあってか、詩蓮の脳には「寝込み、襲う、駄目」とインプットされている。 (くそ! 無防備に寝やがって。私に対する挑戦か?)  自分で寝ろと言ったのを忘れ、ぎぎぎと歯を喰いしばる。  何とは言わないがもんもんと考えているうちに、一時間は経過しただろうか。焚き火に枝を放り込み、水筒で口内を潤す。  たまに夜行性の魔物だか動物だかが近寄ってくる。火が珍しいのか。じっとオレンジの火を見ている。杖に手を伸ばそうとすると、危険を察知したように去って行くので今のところ平和だ。 「ふんっ。……ふああっ」  欠伸が出る。村で魔物を退治するときも、こうやって起きていたっけ。  夜に現れては作物を荒らすので皆困っていたのだ。退治すると喜んでくれたが、倒すより起きているのが大変だった。手の甲を抓ったり、うろうろ歩き回ったり。いっそのこと魔物、早く出てきてくれとさえ思った。  松明を片手に周囲を探索していた大人たちがなぜ平然と起きていられるのかが不思議でならなかった。自分はこんなにも眠いのに。 「……」  座っていると眠ってしまいそうになるので、軽くストレッチを始める。  それでも瞼が降りてきて、ふらふらと頭が揺れた。  泉の水で顔を洗う。  一時的にすっきりするが、どれも焼け石に水。眠気を払えない。 「ぐぬ……」  せめて話し相手がいれば。喋っていると脳が動くので眠くなりにくい、はずだ。  眠気と必死に戦うこと数時間―― 「……はあっはあっ」  無我夢中で身体を動かしていたため、疲れた。両手をついて首を垂れる。 「なにを……しているんだ、私は……はあ」  と、とにかく。時間まで起きていることが出来たぞ。  熱くなったのでひざ掛けを晶利の腹にかけてやる。  がばっと、隣で寝ていた物体が起き上がった。 「ひっ!」  杖を向けると、起きた晶利が目を見開きこちらを凝視していた。 「急に起き上がるな! び、びっくりしたじゃないか」  思わず声がひっくり返った。 「……すまん。さて、交代だ。お前はもう寝ろ」  そう言われると、一気に脱力した。晶利の胸に倒れ込む。 「お、おい?」  限界だった。  詩蓮は一瞬で夢の中に旅立っていた。 (もっと早く交代するべきだったか……?)  ちょっと寝てしまっていたなんて言えない。  膝の上で貪るように眠っている金の髪を撫でる。さらさらで気持ちが良い。  明日の朝、ちょっと出発を遅らせてでも睡眠時間を確保してやろう。月を見上げる晶利は詩蓮のように動き回ったりしなかった。  ただ、手は無意識に髪を撫で続けた。

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