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第31話 弟のように懐いてくるだけなら

「詩蓮。俺はな? 恋愛対象は女性だ」 「人が苦手なのに?」 「それはそれだ」  詩蓮は自身の胸に手を当てる。 「性別とかいいから、私を見てくれ」  好きにさせる自信があると言わんばかりの声。  十五才の台詞じゃないな。 「俺のことはあきらめろ」 「それは私が決めることだ」 「……」  なんで俺はこう、言い負けてしまうんだろうか。  黙ると、話は済んだと思ったのか詩蓮はもたれかかってくる。寒いんだなと思い、抜け殻のように形を保っていた毛布を肩に掛けてやる。 (諦めろと言うくせに優しくするんだな)  のめり込んでいくのはそのせいだと気づいていないのだろうか。どうやって諦めろと? むかつくので首筋を舐めてやる。 「――っわ?」  両肩が跳ねる。彼のこういう声は初めてだ。もっと聞きたくて舌を伸ばす。 「こ、こら! 猫かお前は。舐めるな。汚い。身体拭いただけだぞ。今日の俺は」 「私もだが?」 「……? ああ。そうだな?」 「つまり私のことも汚いと言うのか?」 「……」  どこかに「言い負かされなくなる本」とか売ってないか? 詐欺まがいの本でもいい。 「なんだかあの声を聞いていると、変な気分になってきてな……」  もじもじした様子で言う少年。  あの教育に良くない音か。全力で八つ当たりしてきてやる。 「分かった。あの辺一掃してくるから……。お前は耳を塞いでろ」  かぷっ。  隙ありとばかりに耳を甘噛みされる。耳を押さえ慌てて押し返す。 「詩蓮。怒るぞ?」 「怒った顔も見てみたい」  上唇を舐め、強気に笑ってみせる。月明かりを受けて静かに輝く髪。それとは反対的に貪欲に光る緑の瞳。少年とは思えない妖艶さがあった。思わず後退りかけるも背後は壁。  ぐっと唇が迫ってくる。乗っかられているため逃げることも出来ず、どうしようかと焦り、迷った結果手のひらで口を塞ぐ。  阻止された詩蓮は眉根を寄せるも、 「……晶利の味がする」  手首を握り、ぺろりと舐めてきた。髪の毛の先が跳ね上がる。  まずい。流される。 「詩蓮っ。ちょっと降りろ」 「あう」  無理やり立ち上がると少年は尻餅をついた。「……二回目」と言って尻を摩っている。 「あのなぁ。寝ろと言っただろう?」 「寝てていいよ?」  この状況で? 「良いか? 好きでもないやつに舐められたり接吻されたりしたら嫌だろう? 俺はそれをされている状態なんだ。分かるか?」  伊雪に触られたことを思い出す。思わず自分の身体を抱きしめる。 「それは……嫌だな」 「そうだろう?」  分かってくれたかとホッとするが、ハンマーで殴られる以上の追い打ちが来た。 「私のこと、嫌い?」 「………………ッ」  ああ、もう。辛い! なんでだ! 弟のように懐いてくるだけなら頭空っぽにして可愛がってやれるのに。どうして恋愛感情を持ち出してくる。英雄の称号を貰ってなお女性に言い寄られたことのない俺のどこを好いたんだ。紙に書いて提出してほしい。  誰もいなかったらのたうち回っている。 「き、きっき、き……」  嫌いと言った方が良いのか? 好きか嫌いかで言えば好きだが。それは弟のように思っているという意味で。助けてくれ黒槌! お前モテただろ。  悩んだ(十秒)末―― 「き、きっ……きき嫌いではない……」  と言うしかなかった。  それを聞いた詩蓮の、嬉しそうでどこか物悲しそうな表情が忘れられない。 「じゃあ、キスして?」 「は?」 「そうしたら今日は大人しく寝てやる」  こいつ……。  小鳥のように首を傾げ、悪びれることなく緑の瞳で見つめてくる。やっぱ自分が可愛いことを理解しているな。  頭が破裂しそうなほど悩んだが、少しだけ屈んで額に唇を落とした。 「……はい。おやすみ」 「嬉しい……。じゃなくて、今日はこれで満足してやる」  一瞬見せた素直な表情は可愛かったのに、ふんっと顔を逸らすと畳まれた毛布の上に腰を下ろす。  精神的にくたくたになった晶利は毛布を金髪に被せ、ため息をつきながら隣に座る。 「詩蓮。あのな?」  横を見るが返事はなかった。満足そうな顔で寝息を立てている。安堵感と苛立ちが同時に沸き上がるという不思議な体験をした。未成年じゃなかったらデコピンをお見舞いしている。 「~~~っ、はああああぁ……」  ずるずると滑っていき、屋根で半分見えないが星空が視界に広がる。  お子様は眠ったが夜の住人たちからすればこれからが本番。日が昇るまで、教育に良くない音はずっと聞こえていた。  必死に依頼をこなし節約生活を続けること数日。そこそこの金額が貯まってきた。  はち切れんばかりになった麻袋をテーブルの中心に置いて乾杯する。カップの中身は水からオレンジジュースに昇格出来た。晶利もオレンジジュース。紅茶がメニューになかった。 「これも詩蓮が優秀なおかげだな。依頼がさくさくこなせる」 「まあなっ! 自分が優秀すぎてツラい! ああ、どうして私はこんなにも天才なんだろう。嫉妬が怖いな」  皿の料理も肉を挟んだステーキサンド。肉を頼んだ時の晶利の笑顔。肉信者なのかこいつは。  あむっと齧る。  塩がちょっと効きすぎな肉に、しなっとしたレタス。レタスか? これ。私が育てた野菜たちと入れ替えたい気分だ。このトマトもなかなかに水っぽいうえに晶利が透けるほど薄い。まあ、肉が本命なので野菜の質がいまいちなのは許そう。 「美味い」  いつもの食卓でこれを出されたら迷わず飯当番を交代するが、身体を動かして腹が減っているせいかマシな味に感じる。  上品に口元を拭う仕草に、その辺の村育ちとは思えないなと晶利が呟く。 「マナーなどは、誰かに教わったのか? 師匠か?」 「いや。本で読んで覚えた。その方がかっこいいからな。私が」  前髪を払い謎のポーズを取る詩蓮。今日も絶好調だな。輝いているぞ。 「どうする? もう金は貯まったし、買い出しの日にするか? 俺はそろそろ我慢の限界だ。お前の花の香りで誤魔化しているとはいえ……。一枚の服を着続けるのは。そろそろ「生ごみのにおいがする」と苦情が来るんじゃないか?」  この男は。またいらん心配をしている。  冒険者などそんなやつばっかだろうに。ギルド内も掃除している人はいるが、血と錆と煙草と酒の匂いしかしないし。公衆便所みたいな体臭のやつとすれ違う時もあるぞ。  晶利の手作りより酸っぱいオレンジジュースを、ごくりと飲み込む。ああ。またこの男の手料理が食べたい。 「気にするな。私は晶利のにおいが濃い方が嬉しい」 「またお前は……! そういうことを」  詩蓮のこの手の発言は軽く流すように心がけた。そうでもしないとずっと一緒にいるのだ。意識してしまう。 (というより、受付の人よりいい香りを纏っているのはおかしいだろう。どうして悪臭を発しないんだ? 若いからか? 植物使いだからか?)  たまに詩蓮のそばにわざわざやってきて深呼吸をしていく冒険者がいる。気持ちは分かるがやめてほしい。詩蓮が真似したらどうする。  もぐもぐと生温いステーキサンドを齧る。肉など久しぶりだった。久しぶりマジックで美味しく思ってしまう。 (食生活を紗無に合わせていたからな) (いつも思うけど、こいつ食べるのおっせえな……)  人に「よく噛め」と注意するだけあり、咀嚼回数が詩蓮の倍はある。おまけに一口が小さい。 (その方が身長でかくなるのか?)  もしそうならば是非真似をしなくては。詩蓮は晶利をチラチラ見ながら食べる。  共に寝起きして一緒に仕事して飯も同じテーブルで食べて。これはもう新婚生活では? と詩蓮の脳内はお花畑だった。充実した日々だが……もちろん不満はある。それは依頼で一度も晶利の魔法を見る機会が無かったことだ。  性格的に詩蓮が前に出てしまうので、晶利はどうしても後衛になる。魔法使いは基本後衛だが、私が優秀過ぎて前衛もこなせてしまうばかりに。くっ、なんてこった。自分の才能が憎い。 (でも今のスタイルを変えたくない……)  自分ばかりが戦っているのが悔しい、とかではない。戦闘が終わると褒めてくれて悪いところは的確に指南してくれる。これがくすぐったいやら嬉しいやらで。もっと褒めてほしいと思うのだ。 「そうだな。今日は仕事休みにして、デートにしよう」 「買い出しだ。買・い・出・し」  ごちそう様をしてギルドを出ようとしたとき、一組の冒険者とすれ違う。  さわっ。 「――ひっ」

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