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第38話 心の傷
「石を纏う屍」は瞬きする。
町を散歩するような軽装で人間が一匹、遺跡に入ってきた。
赤い宝石の杖を持っているだけで、あとは手ぶらだ。いや、そんなことより、
(遺跡の周囲は手下と岩喰い蟲に見張らせていたど? あいつらどうしたど?)
手下に関してはどれだけ離れていようと、何をしているのか察知できるのに、何も――
焦げチョコ色の髪に「金色」の瞳をした人間を指差す。
『何か用かど? 茶髪はいらないど?』
「少年を持って行っただろう? 返してくれ」
『緑の目の子どもかど?』
「そうだ」
人間は足を止めない。瞬きすることなく、じっとこちらを見ながら進んでくる。
ズ……っと、魔物の足が後退る。腕を突き出す。
『止まるど。出て行ってほしいど』
「返してくれたら出て行こう」
金の瞳が、月が落ちてきたような威圧を放つ。
『……ひぃ? ヒィッ』
人間そっくりの歯茎がかちかちと音を立てる。恐怖を与える側の魔物が、ペットごときに怯えている?
『ぁ……ああああ』
「返してくれ」
遺跡の奥は部屋のような空間になっていた。
「詩蓮?」
ひょいっと顔を出した男に、詩蓮の笑顔が咲く。
「晶利!」
やっぱり。晶利だ。来てくれたんだ。
「信じてた……」
瞳が潤みだす少年に駆け寄り、のけ反りかけた。
「無事か――なんっで裸なんだおま!」
毛布! ……ないな。鞄持ってくるんだった。置いてきてしまった。詩蓮が連れ去られたと聞いて助けに行く以外の選択肢が脳内から消えた。まったく我ながらみっともない。動揺するにもほどがあるだろうに。
そっと抱きしめる。
「怪我は?」
「……無い。嘘。頭痛い。疲れた」
後頭部を触ると、血がついた。悲鳴を上げそうだった。
「怪我なんてすぐに治してやるからな」
傷口に手のひらを当て、魔力を込める。晶利の魔力が傷を癒す。
(あたたかい……)
治療しながら晶利は周囲を見る。
植物に養分を吸われた「泥人形」がただの土に戻り、彼らの身体を突き破り、実をつける若木が青々と茂っている。
(石畳だものな。泥人形を土の代わりにしたのか。うまいな……)
反対側を見ると、怯えた様子の人たちが抱き合っていた。
「貴方たちは?」
「あ、あんたは……? た、助けに来た冒険者か?」
お互いの質問がぶつかる。
「……」
「……」
「この人たちは、あの魔物に拉致監禁されていたんだ」
怯えた人と晶利(会話下手)では話にならないなと思い、答えたのは詩蓮だった。重い痛みが嘘のように消えている。夏の青空のように晴れやかな気分だ。さすが全力を出せば人を不老不死にできる化け物――もとい治癒魔法の使い手。
「詩蓮。具合はどうだ?」
「気分爽快だ。今ならスクワット三十回は出来る。この人たちは被害者だ。とりあえず街に連れて行こう。この鎖、取ってくれるか?」
「ああ」
晶利が鎖を握ると、ぼろっと崩れ落ちた。
「――……?」
なんだこれは。まるで数百年もの年月を経て風化したような崩れ方だ。
手のひらに乗せ凝視していると、頭にポンと手を置かれる。
「服を着ろ」
そう言うと、他の人の鎖も外しに向かう。頬のこけた男が話しかける。
「あ、あんた。あの魔物は?」
「「石を纏う屍」のことか?」
「倒した……のか?」
「ああ」
彼らは数秒顔を見合わせると、わっと飛び上がる。
喝采をあげ、互いに手を叩き、抱きしめ合う。
六人全員、ろくに飯も食べれておらずヘロヘロだったのに、解放された嬉しさからか足取りはしっかりしている。
「詩蓮。立てるか?」
「平気だと言っただろう」
強がりながらも差し出された手を握る。
遺跡の通路の隅っこ。魔物の残骸らしきものが散らばっていたが、全員が見ないふりをした。
ギルドは大変な賑わいとなった。調査隊が結成されるより前に、行方不明になっていた人たちが帰ってきたのだ。
衰弱しているが命に別状はなく、報せを聞いて寝間着のまますっ飛んできた家族や恋人と泣きながら抱き合っている。
依頼を受けたわけではない。たまたまの救出だったため報酬は出ないが、ギルドマスターから特別報酬をいただいた。はじめて見たギルマスは、腹が出た恰幅の良いおじさんだった。赤いギンガムチェックのシャツに青いオーバーオールを身につけた、キノコが似合いそうな男性で背中にやたらでかい斧を背負っている。
被害者の家族がどっと押し寄せ詩蓮たちに礼を述べていたが、被害者たちは遠巻きで気まずそうに目を泳がせていた。
終わりのない感謝から逃げるように晶利はギルドを飛び出したため、詩蓮も手を振って去った。
調査隊の人たちは色々聞きたそうだったが、疲れているだろうと配慮してくれた。その代わり、明日ギルドに来いと言われたが。
――詩蓮たちがお世話になっている宿。「星蜂雀(ほしほうじゃく)の巣」。
女将さんが出迎えてくれる。
「おかえり! ご飯どうすんだい?」
「ただいま帰りました。あー……。疲れているので」
断ろうとすると茶色の瞳がわざわざしゃがんでじっと見てくる。
「えーっと。疲れているので何か、食べやすいものを」
「あいよ!」
渡されたものを持って客室のある二階へ上がる。皿の上には湯気を立てるナスボート(半分に切って中身をくりぬいたナスに、鶏とナスと梅干しとキノコを詰め、ぽぽん酢をかけてチーズをのせたもの。サッパリ系)が三つに、黒パンが一つ。
「疲れた時にはお粥ではないのか?」
「疲れた時ほどしっかり食べないと。冒険者用飯だな」
お粥が良かったんだが~と零す詩蓮に苦笑し、部屋に入る。光を発するだけの魔法石に手をかざす。
「じゃあ、俺は放置してきた荷物を拾ってくるから。ゆっくり飯を食べておけよ」
「荷物のことを忘れるほど、心配だったのか?」
「当たり前だろう?」
そう言い、晶利は夜の川へと戻っていく。
「……ふん」
からかうように言ったのに真顔で返され、詩蓮は意味もなく部屋をうろうろする。
飯が冷める前に机で食べ、水で流し込む。
(うめ~~~)
しん、と静かな部屋。一階から話し声が微かに聞こえてくるだけで、虫の音すらしない。
監禁されていた人たちにされたことを思い出しそうになり、慌てて席を立つ。じっとしているからいらんことを考えるんだ。屈伸をしたり足を伸ばしたり、上半身を捻ったり。とにかく体を動かす。
(晶利……。遅いな)
そうこうしていると疲れがどっと押し寄せてくる。身体は清めたんだし先に寝てしまうか。
服を脱ごうとして、寒気がした。腕にびっしりと鳥肌が立つ。
「……、……?」
自分でも何をそんなに嫌がっているのかが分からず、服を着たまま寝床に潜り込む。
(きっと疲れたんだ)
布団を頭まで被る。もう何も見ないように。考えないように。頭を空にしようと思えば思うほど、眠気は遠ざかっていく。
魔物に辱められた。
――考えるな。
捕らわれていた人たちの慰み者にされた。
――考えるな。
恥ずかしかった。屈辱だった。辛かった。
――もう終わったんだ。
初めてを奪われた。
――やめろ。
嫌だった嫌だった嫌だった。どうしてこんな目に……
――もういい。
ぐるぐると同じ考えが、あの日見た光景が回る。
「……っ……、……ぅ」
やがて、部屋に嗚咽がむなしく響く。
泣くと涙が止まらなくなるから、胸が締め付けられるように痛くなると分かっていたから、涙をこらえていたのに。
「ひぐっ……うっ」
泣くな。男だろう。弱みを見せるな。
「……ぅうううう」
シーツを握りしめる。頬に熱い滴が伝う。
「えええええ。うええええええっ」
無様に泣くな。私はエリートで、天才で……
枕に顔を押しつける。止まらない。熱い滴がぼろぼろと零れていく。
「うああああああああ。いやだあああああっ。ううううううっ」
くぐもった声は誰にも届くことなく、夜の闇に溶ける。
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