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第13話 子の心父知らず

 寺院を出発して、十何日目かの停泊地。近くの川辺で水浴びをして戻ると、着替えを持って待ってくれていたアーリスの姿が、忽然と消えていた。  キャンプ全体には、紅玉と僕の結界が張ってある。アーリスは結界の内部にいたはずなので、悪漢や森の獣が彼に手を出すことは出来ない。 「アーリス、どこに行ったのー?」  何度呼んでも近場に彼の姿は見当たらなかった。何があろうと僕の世話を優先するアーリスが、僕に無断で持ち場を離れるとは思えない。まさか…。 「……うんこか?」  腹を下しているのかアーリス。それは僕の着替えより大事なことなのかアーリス。僕は着替えがなくてちょっと寒いぞ。僕の方こそ腹を下しそうだ。 「ふぇ…ぶえっしょい!!…ズズ……。けしからん、覗いちゃろう」  僕は彼の目に侵入し、視界を盗んだ。あとで「ウンコマン」とか言いながら、盛大にからかってやるつもりで。  案の定、アーリスの視界はキョロキョロと揺れていた。大方ほどよい場所を探しているのかと思ったが…。 「……、これは」  違った。  人気のない林に、プレートメイルの騎士の背中が見える。同じ装備の二人に両脇を抱えられ、一人が先導しているようだ。紋章は──王家の家紋。 「チッ…内部の人間か」  舌打ちと共に僕は駆け出した。全裸で。  現場に到着すると、後ろ手を掴まれたまま地面に膝をつくアーリスへ、騎士が剣を振り上げている所だった。まさに首を落とす寸前といった状況だ。 「ちょっと、そこの人。僕の持ち物に手をかけるの、やめてくれない?」 「───ッ!…こ、黒曜…さま」 「ひっ……」  アーリスを取り押さえていた二人は、全裸の僕を見た瞬間に体をすくませた。しかし剣を持っている騎士は、それを下ろしはしたものの、あまり動じていない。 「これは黒曜様。実は、つい今しがたなのですが…この者が我々の主君に無礼を働いたため、制裁を加えていたところなのですよ」 「ご主人様、危険です!この方たちは──ッぐ…」 「無駄口を叩くな、下賤の者め」  とっさに声を上げたアーリスが、騎士の平手打ちを食らって倒れた。アーリスは手ぶらだ。僕の着替えは、どこへ消えたのだろう…。股がスースーする。  それにあの騎士。 「……。君の主人って、紅玉?」 「当然です」 「ならせめて、理由を聞かせてよ。アーリスがどんな無礼を働いたの?」 「我々は主君の命令で動くがゆえに、それを拒絶するということは、コレは我らの主君へ背いたと同義なのです。黒曜様、たとえお客人であるあなた様の召使いであろうと、見過ごすことはなりません」 「その命令ってなに?」 「おわかりでしょう。こやつらは存在しているだけで、あなた様方の障害となり得ます。ですから…」 「アレはアーリスのお弁当をとっても気に入ってるし、僕に黙って僕の持ち物を甚振るような男でもないよ。ましてや殺すなんて…どう考えても、紅玉の差し金とは思えない。そろそろヤツの名を騙るのはやめない?」 「……お分かりいただけないようで、至極残念です」 「主人の名を、答える気はないんだね」 「ご理解ください、黒耀様」  間者か、面倒な真似を。早く済ませてローブを探したいのに。  しかもこの声、バイザーで隠れて顔こそわからんが、女だ。僕はうんざりした気持ちで、その辺に生えていたでかい葉っぱを股間に当てた。 「…いずれにせよ、僕を見くびりすぎだよ。さぁどうする?このまま紅玉に引き渡してもいいけど…君も僕の被検体になってみる?」 「黒曜様こそ、そのようなお姿でどうなさるおつもりですか?」  女とはいえ騎士のはしくれか、僕の脅しにも全く動じる様子はない。しょんぼり気味とはいえ、オーガの手ほどもある葉っぱでも隠しきれない、立派なイチモツを目の前にしているというのに。  だがこの動じなさ、逆に首謀者が絞れてくる。 「どうあっても任務を遂行するんだね」 「はい。必要であれば多少の手傷もやむなし…と、許可を賜っておりますゆえ」  ぬらり。と、女騎士は再び剣を中段に構えた。 「アーリス、僕の天幕まで退避しろ!命令だ!」 「っ…!!」  大声で強く命令すると、アーリスは弾かれたように走り出した。命令への抵抗を完全に跳ね除けるほどの魔力を込めたので、拒否権はない。僕と女騎士の会話に気取られ、部下たちが力を緩めてくれていて助かった。  ではあとは、アーリスの心配だけで済む。 「振り返るな!転ぶな!」  重ねて命令する。身体能力を無視した命令だ。どの程度効くか分からないが、これで少なくとも、屍になろうとバラバラになろうと、アーリスの肉体だけは一つ残らず僕のテントへ戻る。 「チッ……!」  女騎士が一拍遅れてアーリスを追いかけだした。あっけに取られていた二人の部下らしき騎士も、彼女の後を追う。  軽装とはいえ、ただの執事であるアーリスと、フル装備とはいえ訓練されたエリートの兵士たち。このままなら追いつかれてしまうだろう。しかし後ろには僕がいる。  功を焦って将の見張りを怠ったな。それとも知らないのか。 「やっぱり見くびりすぎだよ」  葉っぱを投げ捨てた僕は、木と木の間を跳躍し、騎士たちに距離を詰める。走りながら僕は考えた。  現場指揮官が女だった。僕の色仕掛け(?)の対象にはならない。僕が表舞台から退いて数万年、竜族の求心力は衰えつつある。忍ばせた間者たちがお世辞にも有能とは言いがたいのは、それが理由。そして多少強引にでも、禁術の証拠を消したがる者。 「翡翠の使いだろうなぁ…」  今日のところは腕で勘弁してやるか。大きく跳躍し、最後尾を走っていた甲冑の背中を、蹴倒すように着地する。  金属と地面がぶつかる大きな音と共に、ゴキリと鈍い音がした。着地の瞬間、僕が彼の左腕をねじったからだ。あとは自重で折れるだけ。 「ぐあああ!!」  異音と悲鳴に振り返ったもう一人の男へ飛びかかり、同じく左腕を折る。さらに跳躍、木の上から最後の女騎士に飛びかかった。全裸で。 「このっ…」  短時間で僕の近接戦法を見抜いたのか、彼女は即座に僕がいる木の上めがけてナイフを投げてきた。  ああ、これが男だったらなぁ。このまま倒れている部下二人の前で、アヘ顔晒すまで凌辱するのに。 「はな…せぇ……っ」  悲しい気持ちで彼女の背後へ跳躍し、そのまま一息。じわりじわりと全体重をかけて絞め落とした。  多分殺してない。はずだ。多分。…翡翠め、僕が女に興味がないことを逆手に取りおって。こやつなら逃げ切るか、最悪でも殺されるだけで済むと踏んでの人選だろう。まったく適任だ。 「隊長…!」 「隊長ぉ~!ご無事ですかぁ!」  腕をやられながらも、よろよろと追いついてきた部下二人を睨みつける。 「武器を捨てて、投降して」  気絶している女騎士の頭を掴み、道すがら魔法をかけた小さな木の葉たちを彼らに向けて、僕はすごんだ。木の葉は一枚一枚が刃のように尖り、金属のように輝いている。 「ひ……!」  部下たちは子鹿のように震えだし、今にも武器を落としそうになっていた。こいつら、本当に正規兵なんだろうか。翡翠が耄碌したか、予算が足りないのか。僕は前者を願う。面白いから。  そして無理をしてでも着いてきたなら、忠誠心だけは本物だろう。これは使える。 「安心しなよ、このまま降伏すれば命までは取らない。命まではね…」  木の葉をこれ見よがしに翻し、彼らの足元に数発。 「ひっ…く、くそ!」 「だ、誰が降伏などぉ…っ」  さらに注意を引き付けている間に、作成していた小型結界内部の酸素濃度を急速低下させる。 「……っ…?」  もともと弱っていた騎士二人も、これで…。 「………たい、ちょ…」  バタンキュー、だ。  …さて、結局交渉は意味を成さなかったが、なんとか全員殺さずに昏倒させられた。 「求心力だけは相変わらずか。耄碌してた方が面白いのになぁ……」  ぶちぶち言いながら、僕はフル装備の騎士三人を引きずり、キャンプへ戻っていった。全裸で。 「黒曜!!無事か!」  自分のテントへ向かって歩いている最中、血相を変えた紅玉が僕に走り寄ってきた。 「問題ないよ。アーリスとヴィルは?」 「ヴィルは救護室だ。アーリスは…私が治癒師に報告を受けてる最中、すごい剣幕で戻ってきてたぞ。『主が危険です』って叫びながら。それで、あんたを探しに行こうとしてたんだ」  言いながら僕の足元に転がってる三人を見る。すぐに状況を把握したのか、紅玉は険しい表情で僕に言った。 「……ネズミか」 「近衛全員調べた方がいいよ。これは任せる。ところで、ヴィルも怪我をしたの?」 「ああ。なにやら揉め事があったと聞いたが、この調子だといずれかの手の者だろうな。幸い、近場で騒ぎを起こしてくれたからすぐに収まったようだが」  被検体から情報を聞き出せないと知ったから、殺すしかないと各陣営は判断したのだろう。まったく面倒な。 「しかし、なんで全裸なんだ?」 「水浴びしてたんだよ。こっちはアーリスが殺されそうになってね。おかげで一張羅が消えちゃった」 「クソ…まぁ話は後だ。これを着ておけ」  紅玉が羽織っていたマントをかけてくれて、ようやく僕は全裸状態から解放された。 「ありがとう、大事にする」 「やらんぞ、あとで返せ」  一瞬優しかったあの子が戻ってきたのかと思ったが、勘違いだった。やはり今の紅玉はケチだ。 「邪魔するよ」  治癒師のテントに入ると、ちょうどヴィルが手当を受けている最中だった。僕のテントにいたアーリスも連れてきた。二人とも無事だ。僕はほっと胸をなでおろした。  執事たちには僕の魔法しか効かないので、ヴィルは薬草から生成した軟膏を塗ってもらってるところだったようだ。 「ご主人様…!」  一瞬だけ嬉しそうな表情を見せた後、ヴィルはバツが悪そうに黙りこくった。幸い傷は浅かったようで、殴られたような痕以外に目立った外傷は認められない。近くに立っていた治癒師に顎をしゃくり、下がらせる。 「二人とも、無事で何よりだよ」 「ご主人様こそ、ご無事で……っ本当に、本当に何よりです」  アーリスが今にも泣きそうな顔で見てくる。ういやつ。 「泣くなよ、僕は無傷だから。…どれ、見せてみなさい」  僕は執事たちの傷の具合を見て、まずはヴィルの方を癒やした。 「ヴィル、こっちは何があったの?」  気まずそうに目をそらしたままのヴィルの、あえて顎を掴んで尋ねる。 「…た、大したことじゃねぇです。ちょっと難癖つけられて、かっとなって言い返したら、このザマで…。余計なことしてすいません」 「殴り傷もついてたね。やり返したの?近衛相手に」 「バカなことした自覚はあります。でもご主人様のことまで悪く言われて、俺…我慢できなくて。紅玉様のお顔にも泥塗るような真似しちまって…ごめんなさい」 「別に責めてるわけじゃないよ。機転も喧嘩の立ち回りも心得てるなんて、やるじゃん」  ぽんぽんと頭を撫でれば、ヴィルはやっと安心したように微笑んだ。小さかった頃の紅玉みたいで和む。僕はヴィルの顎からそっと手を離した。 「…結果としては、僕がアーリスの方の近くにいてよかったね。君は温室育ちでしょ?フル装備の正規兵を複数相手にしたら、多少の護身術程度じゃどうにもならないよね」 「面目ありません。お役に立てないどころか、ご主人様のお召し物まで紛失してしまい…」 「そう気を落とさないで。囮役としては役に立ってくれたんだし」 「うぅ…、はい」  二人は今後、僕の目の届く範囲に置いておかねばならない。これから先は、いつ誰に襲われてもおかしくないだろう。紅玉の指揮を疑うわけではないが、こうも大所帯では、何が起こるか予測もつかん。 「…黒曜様、よろしいでしょうか」  二人の治癒が済み、着替えも済んでテントから出ようと腰を上げると、見たことのある男が出入り口から顔を出した。この男は確か、近衛の隊長だ。 「なあに?」 「紅玉様がお呼びです。召使いの方々もご一緒に、とのことですので…」  同時に、隊長は探し出したという僕のローブを渡してくれた。とっとと紅玉のマントを返せと言わんばかりに。 「すまなかった、私の責任だ」  テントに入るなり、紅玉は僕に向かってそう言ってきた。 「まったくだ、このアホ」 「ご主人様……」  紅玉を睨みつけて凄むと、出入り口に立つ隊長と紅玉を交互に見ながら、アーリスが控えめに諌めてくる。 「君はもっと怒ってよ、アーリス。僕が間に合わなければ今頃、君の頭と胴体は永遠に決別してるところだったんだよ」 「…黒曜様であれば、首を切断された人間でも生き返らせることが出来るのではないですか?」 「隊長、口を慎め」  冷えた目で僕へ皮肉をぶつける隊長を、紅玉が諌めた。 「……。あいにく、死霊術は専門外なんだよ。確かめてみたいなら君も僕の被検体に…」 「やめろ黒曜。話がややこしくなる」  ふぅ、と一拍置いて、紅玉はまた話しだした。疲れてるなぁ。 「警備の近衛を選んだのは私だ。だから私が悪い。すまなかった、黒曜」 「まぁいいよ。そこの威勢のいいのが僕のローブを探してくれたんだし、今回はそれでチャラってことにしよう」 「そうか、感謝する。…で、本題はこれからだ。当該の者たちへの尋問は進行中。手続きが済んだら別働隊が護送する。他の兵士どもは、私直属の部隊が取り調べを行ってる。ただ、どこの手のものが何人紛れ込んでるかまでは分かってない」 「翡翠だよ」 「あ?」 「アーリスを襲ったやつは、間違いなく翡翠の手先。隊長と呼ばれたリーダーらしき兵士、なかなか優秀だったし。他のは木っ端だけど、忠誠心だけはあった。それに、リーダーは女。似ても焼いても食えないような感じのね」 「…なるほどな」 「実にお硬そうな部隊だったよ。あいつ、本当に変わらないね」 「誰のせいだ、誰の」  僕をじっとりと睨みつけ、紅玉はまたしても大きなため息をついた。 「しかし盲点だったよ。誘拐で連れ去られたりなんかしたら、逃亡じゃないから僕の魔法で阻止できないんだよね。近くにいるのが当たり前すぎて忘れてた……。ユルの実験のために入れといた経過観察用だけど、憑依型感知の魔法仕込んでなきゃ危なかったよ」  ブツブツ言いながら頭を抱える僕を、紅玉は変なものを見るような目で(普段の変態を見る目ではなく)見ていた。 「……?何を言っている。他者の魔法は受け付けんから、情報流出の心配はないと言っていたではないか」 「は?紅玉こそ何言ってんの。アーリスとヴィルのこと、心配してくれてたんでしょ?」 「そんなわけあるか。私はお前の身を……っ、いや、」 「僕の身を?心配して?」 「ちがう、違うぞ」 「フフフ。父ちゃん嬉しいなー。でも僕の執事のことも大事にしてくれたら、もっと嬉しいかもなー?」  にまにま笑いながら紅玉を覗き込む。しかし、顔を真赤にして睨みつけられてしまった。魔力がこもってたら危うく石化する所だった。結局紅玉は、もう一人の父(もちろん僕)のことも大好きなのだ。何万年か前からずっと反抗期だが。 「……、ゴホン」  隊長から短い咳払いをいただく。それを起点に「事情聴取を続けるぞ」と、むくれ顔の紅玉が無理やり話を元の軌道に戻した。  それから小一時間ほど、アーリスとヴィルからの話も聞き、僕たちはようやく自分たちのテントへ戻ることができたのだった。

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