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第14話 冬の日、あたたかいスープと

 冷えると思ったら、外には雪がちらついていた。曇り空に霜まで降りてる寒期の朝は、老骨にはいささか厳しい。  旅支度を整えていたアーリスが、凍えていた僕に毛皮のガウンをかけて、毛皮の帽子を渡してくれた。用意周到である、さすがアーリスだ。ぬくい。  天空都市での湯治は、件の襲撃によって残念ながら中止となった。  山道を避けてなるべく開けた街道を行くと、指揮官から通達があったのだ。つまり紅玉だ。大所帯だからそれも致し方ない。幸いにもその判断が功を奏し、以降の道中は目立った事件もない平穏な旅路になった。  そして現在我々一行は、王都へ向かう街道最後の宿場町にいた。 「おはようございます、黒曜様。お早いですね」  あいも変わらず仏頂面の隊長が、重そうな荷物をおぶって現れた。荷物とは、寒さによって朝の弱さに拍車がかかってる紅玉だ。 「君はなんというか、実に紅玉を慕ってるねぇ」 「王宮付きの者は、皆そうです」  甘やかすなと視線で訴えたのだが、シカトされてしまった。王家の関係者が我々竜族を珍重するのは、別に今に始まったことじゃないが、隊長の場合はどうも紅玉個人への忠義だけが高いように見える。  実際僕は、ものすごく雑な扱いだ。僕だけ嫌われてるんだろうか?  それもそうか。『禁術師』だしな。 「ご主人様、失礼します。ちょっといいですか?」  馬車に積み込まれるために運ばれていく紅玉を見送っていると、入れ替わりでヴィルが声をかけてきた。 「どうしたの?」 「実は…、馬車の車輪が壊れたみたいで。出発までまだかかりそうなんです」 「そうなんだ。誰かに壊されでもしたかな」 「それはまだ……。これから近衛の人たちに相談するって言われました」 「なるほどな」  馬車の方を見れば、隊長が紅玉を背負ったまま御者や技師と話をしている。 「好機なり」  僕はにやりとして呟いた。不思議そうにしているヴィルに耳打ちをして、僕らはそっとその場を去った。 「ご、ご主人様…やはりまずいのではないでしょうか」  町人風の服に身を包んだアーリスが、こそこそと話しかけてくる。 「大丈夫だって。荷物はなんもねぇし、ご主人様とさえはぐれなきゃ紅玉様も大目に見てくれるだろ」  いかした流れ者風に着替えたヴィルは、上機嫌だ。あまつさえ、ここぞとばかりに商人に扮した僕に腕を絡ませている。 「せっかく出来た空き時間だよ。散策くらいしないと」  変装して遊びに行くのは王都に着いてから、と約束したのに!と、アーリスの顔に書いてある。 「アーリスはご主人様とデートしたくねぇんだな?だったらお前だけ先帰ってていいぞ。そしたら俺は、ご主人様と二人っきりだしな。あーんなことやそーんなこともできちまう」 「な……なっ!ヴィル、お前という者は…!」 「僕は真冬に連れ込み宿なんてやだね。隙間風でちんちんが凍っちゃう」  毛皮のマフラーに顔を半分以上埋めて、僕は身を縮こませる。帽子とこれのおかげで、仮面がなくても竜族であることはバレにくい。目は色付きメガネで隠せるし。ちょっと隠しすぎて不審者感はあるが、この際仕方ない。  今、僕たちはホテルを抜け出し、商店街の中間地点にある青空市場にやってきていた。  王都から最も近い中継地点ということもあり、様々な人種が行き交っている。商品も豊富でにぎやかだ。 「とりあえず、温かいスープでも飲もうよ」  僕は一つの屋台を指差し、二人を連れ立ってそこへ向かった。ウキウキのヴィルがすぐに三人分購入してきてくれたので、そのまま広場を見下ろせる高台のベンチへ腰掛ける。  三人並んでスープをすすると、ほっと一心地ついた。 「美味しいですね。玉ねぎと端野菜のシンプルなスープですが、甘みがしっかりあって」  ほうっと白い息を吐くアーリス。寒さも和らぎ、少しは緊張がほぐれたようだ。 「屋台飯の素朴な味、好きだ~」  そんな繊細な味が、果たしてヴィルに分かるかどうかは置いておく。 「素材が良いんだろうね。王都の周囲は肥沃な土地に囲まれてるし。…そういえば、アーリスとヴィルは王都周辺に来るのは初めてなの?」  僕が聞くと、先にアーリスが答える。 「わたしは一度だけあります。幼い頃、両親に連れられて、神殿の一般礼拝に参加しました」 「ふはは。君らしいね。その礼拝した相手が、今や旅仲間なんて…なかなか奇妙な縁だねぇ」 「本当にそうですね」  ふんわり笑っているアーリスに、僕もくすくすと笑う。 「…それで、ヴィルは?」 「俺はもちろん、これが初めてですよ。ご主人様が昔住んでたっていう王都を拝むの、実は楽しみにしてたんです」 「それはわたしも同じですね。魔術枢機院や、紅玉様のおわす中央神殿は上級地区にあって、わたしたちのような下級貴族は立ち入れませんでしたので」  ああ、そういえばそうだった。ということは王都に着いたら、まず間違いなく軟禁状態にされるのではないだろうか。 「あの抜け道、まだ使えるかな……」  僕がぼそりとつぶやくと、二人が「え?」と聞き返してくる。 「教鞭を取ってた頃ね、色街に通ってたら翡翠にこっぴどく叱られてさ。それから衛兵が上級地区の門をくぐらせてくれなくなったんだよ。だから上級地区の地下に、外遊用の抜け道と隠し扉を作ったんだ」 「フ、フフ…ッ。ご主人様は、本当に豪快な方ですね…くく……」  珍しい。アーリスが声を出して笑っている。ヴィルなんかもう腹をかかえて爆笑してる。 「あの頃の僕はヤンチャだったからね。毎日主食だけでは腹持ちが悪くて」  主食とはもちろん、魔術の生徒…もとい、王侯貴族の嫡子たちだ。あれはあれで色んな味がして楽しかったが。ただ温室育ちの処女ばかりだったので、城下町で抱ける野性味のある男や、すれた感じの男もまた、非日常感があり良かった。  そういう意味では、今は両方手に入ってるのでバランスがいいな。当人たちには黙っておくが。 「……ん?」  スープの残りを飲み込みながら、青空市場を行き交う人々を見下ろしてると、ふいに見知った顔を発見した。 「あれ…なんでこんなとこに」  不思議に思って凝視する。その人物は僕の視線に気づき、目を合わせてきた。そして。 「おお、黒曜の!!」  大声で僕を呼ぶ。  周囲の人達がびっくりして、僕たちに注目してしまった。やばい、と思った時にはもう遅く、当該の人物は僕たちの目の前まで跳躍してくる。 「……久しぶりだねぇ、灰簾の」 「本当に。心配したんですよ」 「人化の魔法、完成させたんだね」 「時限式ですけどね。……時に、黒曜は灰簾と一緒になる時間はありますか?」 「無理。人を待たせてるから」 「紅玉たちなら、あと1時間は出発できないです。いいですよね?久々ですし…ねっ?ねっ??」  車輪はこいつの仕業か。くだらん小細工みたいな真似をしなくとも、話くらいいつでもしてやるものを。 「しょーがないな。ただし、この子たちも一緒だよ?」 「もちろん。……へぇ?なかなか上玉ですね。灰簾は歓迎します」  ようやく「羽虫」と「小汚いの」以外の前向きな感想が出てきた。明らかに情欲を含んだ視線ではあるものの、僕の執事を評価してくれるのは灰簾しかいない。いい友達だ。やっぱり変わってないじゃないか。 「じゃあ、案内して……、っ…?あれ、」  スープの容器をアーリスに渡し、立ち上がろうとした時。  視界が歪んで、くらくらした。強烈な眠気が襲ってくる。かすんでいく目の前の灰簾を、ぼんやり見つめた。 「黒曜の体組織結界術式、複雑すぎです。解析に1ヶ月かかっちゃいました」  うとうとする目を必死で持ち上げようとしたけど、だめだった。  眠りに落ちる中、アーリスとヴィルの小さな悲鳴を聞いた気がした。

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