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第3話 チェリー
ソウイチの口から出た静かな拒絶の言葉は、真山に驚愕と落胆をもたらした。
声を発することもできず、真山は目の前の美しいアルファの男を見る。
アルファだと見抜かれる日が来ないと思っていたわけではないが、こんなに静かに化けの皮が剥がされる日が来るとも思っていなかった。
ショックを通り越して、真山の胸には感動が湧いてきた。後にはさすがエリート様は違うなという気持ちしか残らない。
目の前の彼が纏うのは、所謂エリートのアルファのオーラだ。一般家庭に生まれたアルファである真山とは格が違うことはひと目でわかった。格が違うとそんなことまでわかるものなのだろうかと真山は混乱した頭で考える。
「ベータだと書いてあったはずだが。君は、アルファだろう」
真山へと向けられる淡々とした声には怒気の欠片も感じられない。ただ呆然とした、低いが澄んだ声だった。
「もう一度言う……帰ってくれ」
覚悟していた言葉が飛んできたが、それは真山が想像していたよりもずっと穏やかな声色だった。
なんでアルファが、とか、オメガの真似事か、とか、そんな心無い言葉が叩きつけられるのではないかと身構えていた真山は肩透かしを食らった気分だった。
しかしながら、ベータとして登録していたキャストがアルファだったとなれば、運営にクレームが入るだろう。そうなれば真山はこの仕事を辞めるしかない。
あーあ、これでこのバイトも終わりか。
諦めかけて、真山はふと考える。
相手はオメガではなくわざわざベータを抱こうというアルファだ。何か訳ありなのかもしれない。そこが付け入る隙だろうと真山の本能が告げる。そこを突けば、もしかしたらいけるのではないか。
マヤは今までも何度かこうやって当日キャンセルの危機を切り抜けてきた。アルファに抱かれたい真山にとっては死活問題だ。何とか丸め込んででも抱かれたいというのが今の本心だった。
真山は飢えていた。
なんとかしたい。
内心の乱れを表に出さないように、真山は静かにソウイチに向き合う。
「わかりました。でも、いいんですか。ベータ抱くのもいいですけど、俺、上手いですよ」
端正な顔立ちに人好きのする笑みを貼り付けて、真山はできるだけ相手の神経を逆撫でしないように声色を落ち着けて言う。所謂営業トークだ。
大体はこれで良い反応が帰ってくるのだが、ソウイチは俯いてしまった。
何かまずいことを言っただろうかと真山はソウイチの顔を覗き込む。
「ソウイチさん?」
今度こそ、怒られるだろうか。
一抹の不安を抱えて返事を待つ真山の耳に届いたのは、なんとか聞き取れるくらいのか弱い声だった。
「……はじめて、なんだ」
「は?」
真山は目を瞠る。今、ソウイチは初めてだと言った。ただ、このサービスを使うのが初めてなのか、誰かとのセックスが初めてなのか、真山はすぐにはわからなかった。
ソウイチはおずおずと躊躇いがちに言葉を継いだ。
「その、誰かとこういうことをするのは慣れてなくて、だから……」
そうなるとセックスの方だろうが、意外だった。
ソウイチはアルファにしては背は低い方だが、世間的にはごく平均的な身長だ。見た目も決して悪くない。言葉を交わした数は少ないが、何か性格に問題があるようにも見えない。ソウイチがオメガの恋人をつくることがそれほど難しいようには思えなかった。
「童貞?」
真山の口からそんな言葉が飛び出す。思わず口にしてしまった言葉に、おそるおそるソウイチの様子を伺うが、ソウイチの反応は静かなものだった。
「恥ずかしながら」
真山の言葉に怒るでもなく、ソウイチは眉を下げて苦笑いする。
それにまた、真山は驚いた。
わざわざベータを抱いて童貞卒業したいなんて、奇特なタイプだと思った。ソウイチも、アルファに抱かれたい真山に言われたくないだろうが。
少しだけ見えた希望の光に、真山の嗅覚は鋭く冴え渡る。こんな時、真山は攻め所を見誤ることはない。
「なら、アルファの俺を抱けば箔がつくんじゃないですか?」
マヤは自分が無責任なことを言っている自覚はあった。もちろんでまかせだ。
暴論だが、アルファは見栄とプライドを重んじる人間が少なくない。エリートなら尚更だ。真山はそこに付け入ることにした。
ソウイチは色素の薄い目を皆開いてマヤを真っ直ぐに見ると、笑った。
「……ふふ、それも一理あるな」
ソウイチの笑みは真山の知るアルファのそれとは違った。人懐こい柔らかさがあって、真山はこんなに優しく笑うアルファを知らなかった。
真山はそれを口にはしない。下手なことを言ってせっかく捕まえた客のご機嫌は損ねたくない。
それでも、ソウイチに対する印象は悪いものではなかった。真山の知るアルファとは少し違うと、肌で感じたからだ。
「マヤくん、お願いできるだろうか。不慣れだから、君を楽しませることは難しいと思うが」
目の前の可憐なアルファは、真剣な顔で真山を初めての相手に指名した。しかも、真山が行為を楽しめないかもしれないと、真山の心配までして。
自分で誘導しておいて、真山は少し信じられなかった。
「ソウイチさんがお金払ってるんだから、俺の心配なんかしなくていいよ」
アルファである真山の身体はオメガの身体と違って抱かれるようにはできていないが、真山は行為には慣れていた。相手の独りよがりなセックスでも、ある程度なら快感を得ることはできる。だから、そんな心配しなくてもいいのに。
真山はソウイチを安心させようと微笑むが、それでもソウイチは納得できていないようだった。
「そうもいかない。その、こういうことは、お互い気持ちいい方が良いだろう……?」
上目遣いに自分を見上げるソウイチからは、真面目な性格が滲み出ている。言葉からも彼が持つ責任感の強さが伺えた。
目の前の健気なアルファに、真山の胸は甘く痛んだ。自分はそんなに大層な人間ではないが、ソウイチの気持ちには応えてやりたくなった。今まで相手にするアルファに対してこんな気持ちになったことはないのに、ソウイチに対しては何故かそんな気持ちが湧いてくる。
真山の目に映ったソウイチは、純粋で健気なものに見えた。
「優しいね」
「そういうものじゃ、ないのか」
ソウイチは表情に不安を滲ませた。
あくまで理想論だが、相手を想う気持ちがあるのとないのでは雲泥の差だ。実際、それを持ち合わせていない手合いの相手をするのは苦痛でしかない。だから、真山はソウイチの言葉に安堵したし、ソウイチになら抱かれたいと思えた。
「それが一番理想だと思うよ。ソウイチさんがそういう人でよかった」
真山の言葉に、不安の張り付いたはソウイチの表情が和らいだ。
「よろしく、マヤくん。お手柔らかに」
ソウイチは手を差し出し、柔らかな薄茶色の瞳を揺らして微笑む。
ひとまずキャンセルにならなかったことに胸を撫で下ろしつつ、真山はソウイチの男にしては白く綺麗な手を握った。
「ん、よろしく、ソウイチさん」
初めてのソウイチがどうやって楽しませてくれるのか真山の中で期待が膨らむ。
同時に湧いてきたのは、初めてのソウイチに、気持ちよくなってもらいたいという気持ちだった。
ソウイチはこれから行われることもわかっていないような穏やかな眼差しを真山に向ける。
自分の中に芽吹いたソウイチに対する柔らかな想いに、真山は少しだけ戸惑っていた。
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