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第6話 マヤの本当

「こっちが好きだから。気持ちいいの、好きなんだ」  素直に胸の内を打ち明ける真山の声に、ソウイチは静かに耳を傾けていた。 「高校の時に興味本位でケツ弄ったら、気持ちよくて、やめられなくなっちゃって。ひとりでしてるうちに誰かとしてみたくなったんだけど、アルファだって言うと誰も相手してくれないから、ベータだって嘘ついて」  この話を誰かにすることにはさほど抵抗はなかった。誰かに自分をわかって欲しいという気持ちは少なからずあるからだ。  興味本位で目覚めさせてしまったアルファの男に抱かれたいという願望は、いつのまにか真山の胸の深くに棲みついた。元から男が好きなわけでも、アルファが好きなわけでもなかった。どういうわけかそれは消えることなく、気がつけば、恋心の種に変わっていた。 「よく、今までバレなかったな。その、身分証を出したりがあるだろう」  キャストも登録には第二性がわかる身分証の提出が必要だった。それを誤魔化すことができたのは、真山のコネクションのおかげだった。 「大学の先輩が、運営やってて。ベータで登録させてって頼み込んだんだ。これは内緒だけど」 「そうだったのか」  先輩を呼び出した喫茶店で土下座してな飲み込んだのはいい思い出だ。渋々了承してくれた先輩には感謝しかない。 「うん。それに、バレたの、そーいちさんが初めてだよ。なんでわかったの?」  不思議だった。今まで何人ものアルファに出会ってきたが、誰一人として真山がアルファだということには気がつかなかった。 「そうか……悪いことをした。見た瞬間にわかったんだ。君がアルファだと。何故だかわからないが……でも、どうして、アルファと?」 「オメガのフェロモンはぐちゃぐちゃにされるから苦手で……」  オメガのフェロモンを浴びたことはあるが、あれは自由を奪われる感じがして苦手だった。  本能に支配されるというのを初めて体感した。思い出しても喉奥が締め付けられるように苦しくなる。  真山は小さく息を吐いて続けた。 「アルファとならフェロモンの影響を受けないから。ベータもそうだけど、アルファとした方が気持ちいいから好き」 「……淫乱なのか」  ソウイチに悪びれた様子もない。ただその言葉しか思いつかなかったようだった。 「言い方。享楽主義って言ってよ」  真山が苦笑する。そんなふうに言われるのは慣れていた。ソウイチの場合は貶すような意図があるわけではなさそうだったので、怒る気もなかった。 「ああ、すまない」  素直に謝るソウイチは可愛かった。 「ソウイチさんは何でベータと? オメガを相手にすると素直になれないタイプ?」  見たところ、ソウイチは物を知らない坊ちゃんといった印象だった。 「そんなつもりはなかったが、何というか、オメガを相手にすると緊張するせいか怖がらせてしまって。だから、ベータなら大丈夫かと思って」  だからベータを選んだのかと、真山はようやく納得した。 「なんとなくわかるかも。ソウイチさん、小さいのにオーラがあるというか、覇気があるというか。俺みたいなぽっと出のアルファとは違う、血統書付きの純血種って感じするもん」  真山はアルファとオメガの間に生まれた子だが、家系としてはごく普通の一般家庭だ。ソウイチとは比べるまでもない。 「そんなふうに言ってもらえて光栄だ」  ソウイチの笑みには自嘲に似た翳りが見えて真山はそれが気になった。きっと、良家には良家なりの面倒くささがあるのだろう。  真山は込み入った話をしてしまったのを少し後悔した。あまり深入りすれば、別れ際が辛くなるからだ。 「じゃあ、そろそろ帰るね」  モン・プレシューのルールでは朝のチェックアウトまでいられるようになっているが、真山は終わったら帰ることの方が多かった。長く一緒にいると離れがたくなるのが嫌で、早々に帰った方が気が楽だった。  あくまで一晩限りの相手。そう自分に言い聞かせないと、ひとりになった途端に押し寄せてくる寂しさに押しつぶされそうになる。  身体を起こしてベッドを降りようとした真山はソウイチに腕を掴まれた。振り返ると、寂しそうな薄茶色の瞳が自分を見上げていて心臓が跳ねた。 「朝までいてくれないのか」  心細いのか、寂しいのか、ソウイチは子犬のような目で見上げて、綺麗な手はしっかりと真山を捕まえていた。  そう言ってもらえて嬉しかった。どちらかといえば、真山はピロートークは好きな方だ。終わった後に他愛のない話で笑い合う時間が好きだった。 「いいの、朝までいて」 「いてほしい。まだ、君と一緒にいたい」  ソウイチの声が縋るような音色で真山の鼓膜を震わせるから、真山が断る理由はなくなってしまった。  真山は笑みを返し、ソウイチの隣に身体を横たえた。 「ふふ、じゃあ、朝までね」  言い含めるような真山の声に、ソウイチの表情は柔らかく綻ぶ。不安げに揺れた瞳が喜びで満ちるのを目の当たりにして、真山の胸はまた温かくなる。  寄り添うように寝そべり、眠りにつくまで、ソウイチとは真山はベッドで他愛無い話をして笑い合った。  他の客とはあまりできなかったことだった。ソウイチの仕事のこと、真山の学校の話、最近食べた美味しいものの話。話題は尽きなかった。  でも、これでもう呼ばれることはないだろう。ベータだと嘘をついてしまったから、ソウイチの心象は良くないはずだ。朝までいて欲しいのも、寂しいだけ。心臓の辺りには柔らかな痛みが残るが、仕方ないと言い聞かせ、真山はざわめく胸をなんとか鎮めた。  翌朝、真山はチェックアウトのタイミングでソウイチと一緒に部屋を出た。ソウイチはタクシー代として五万を渡してくれた。こんなにいいよと言ったのに、いいから取っておいてくれと押し付けられてしまった。    ソウイチとはこれでお別れだ。別れる時はいつだって寂しいが、ソウイチに対しては余計にそう思う。  真山に入る予約は基本的に一晩だけの客が多い。好みのオメガの予約が取れなかったとか、気まぐれにベータとしてみたくなったとか、そんな客がほとんどだ。だから、基本的に約束は一回限り。リピートはない。  それは理解していたし納得もしていたが、やはり別れ際は寂しい。  特にソウイチには色々重なったせいで楽しかった記憶が強く残っている。アルファだとバレているから気を遣わなくて済んだというのもあるが、何より、身体の相性が良かったのは真山にとっては一番大事だった。  ロビーへ降り、真山はソウイチがチェックアウトの手続きをするのをぼんやりと遠目に眺める。  小柄ながらさらりと伸びた背筋はホテルの上品な雰囲気によく合っている。  手続きはすぐに終わったようで、ソウイチは足早に真山のところにやってきた。  ソウイチが一緒だと、心なしか自分の場違い感が少し薄れるような気がして心強かった。  エントランスを出たところで、二台並んで停まっているタクシーがいた。ソウイチが迷わずそこへ向かうので、真山もそれに続く。 「ありがとう、マヤくん」  足を止めたソウイチは、真山を振り返る。  背筋の伸びた立ち姿は美しくて、育ちの良さが滲み出ている。ソウイチの立ち居振る舞いに真山は見惚れた。 「じゃあ、また」 「うん、またね」  別れ際の挨拶は皆だいたい同じだ。慣れたはずなのに、真山は勝手に期待してしまう。  手を振って別れた。ソウイチが前に停まるタクシーに乗り込むのを見届けてから、真山はソウイチが呼んでおいてくれたタクシーに乗り込んだ。  行き先を伝えると、高級セダンのタクシーは静かに走り出した。幹線道路に出ると、滑るように街を走っていく。  窓の外には昼前の真っ白い光が降り注いで街を照らしている。明るい時間に帰るのは久しぶりだった。春休みでよかったとぼんやり思いながら、真山は頬を緩めた。  何度もマヤくんと呼んでくれた昨夜のソウイチの声を反芻して、小さくため息をつく。  寂しさの湧く胸に残るのは、また会いたいという気持ちだった。いつもならすんなり一回限りだと諦められるのに、ソウイチはだめだった。  タクシーは渋滞に捕まることもなく、スムーズに真山のアパートに到着した。 「ご利用ありがとうございました」  運転手の声とともにドアが開くが、いつまで経っても料金を言われないので真山は運転手に尋ねる。 「あの、お代は」 「こちらはクレジットカード決済でいただいてますので、結構ですよ」  困惑する真山に、運転手はにこやかに言った。 「は」  ソウイチに手渡された五万はそのまま真山の手元に残ってしまった。  なんだか申し訳ない気持ちを抱えて真山はタクシーを降り、部屋に帰った。  いつもなら服でも買おうと思うのに、ソウイチから受け取ったそれには手をつけようとは思えなかった。  日付が変わって少しした真夜中。真山はベッドの上で寝返りを打つ。先ほどからずっと、眠りもせずに物思いの中にいた。次の予約が入るかどうかはさておき、真山はソウイチのことが忘れられなかった。  初めてだと恥じらう姿も、表情を歪めて腰を振る姿も、マヤくんと自分を呼ぶ甘い声も。浅ましいほどに思い出しては、ため息をつく。  身体が甘やかな疼きを思い出して、熱を帯びる。  眠る前の、ソウイチと過ごしたのとは比べ物にならないくらい狭くて硬いベッドの上、温もりのない無機物で、ソウイチの動きをなぞるように後孔を掻き回す。代わりになんてならないとわかっていても、真山はひとりで慰めた。 「っ、あ、そ、いち、さ」  真山は無心でソウイチの動きをなぞった。そのせいか、無機物から得られる快感はいつもよりずっと濃くて、真山はソウイチに焦がれながらひとり啼いた。 「そ、ち、さ、きもち、い」  叶わないとわかっても、ソウイチに満たしてほしかった。無機物に温もりが移って、温かなものに中を擦られ掻き回される。  また、ソウイチとしたい。無機物で味わう快感は一度では満たされるはずもなくて、気絶するまで何度もした。  そのせいで、真山は少し寝不足気味だった。  一夜明けても気持ちはおさまらないまま、反動で襲ってきた眠気にベッドでうとうとしていた夕方、真山のスマートフォンに通知が届いた。  画面に視線を落とした真山は声を上げていた。 「うそ」  スマートフォンの画面に表示されたのは、予約の通知だった。 『ソウイチさんから予約が入りました』  その一文は、真山の心を騒がせるには十分過ぎた。  信じられなくて、真山はスマートフォンに届いた通知を三度見した。  何度確かめても、そこには確かにソウイチからの予約が二件あった。  二回目と三回目の予約。専属契約ができる予約回数だ。  そんなはずないと、期待するなと言い聞かせる。裏切られるのは、失望するのは辛いことを知っている。  なのに、心臓は煩く鳴って期待に沸く血を全身に送っていく。  マヤが所属するモン・プレシューでは、気に入ったキャストを三回指名すると専属契約をすることが可能になる。専属契約はサービスを介さなくても会えるようになる。  三回の指名の後、会員とキャスト両方の同意があれば専属契約成立となり、会員は所定の金額を支払って退会、キャストは卒業になる。  こんなに早いペースで予約が入るのは初めてだった。普段なら、月に一度予約が入ればいい方だ。二度あれば御の字、リピートとなれば尚更だ。  二度目の予約は三日後、三度目はそれからさらに三日後だった。  真山はすぐに二回目、三回目の承認ボタンを押した。  画面は、承認しましたという表示に切り替わる。  真山はしばらく、画面から目が離せなかった。  予約が入るなんて。しかも、立て続けに二回も。こんなふうになるなんて、想像もしていなかった。  真山の頭の中はすでに、次のソウイチとの約束のことでいっぱいだった。  いつもは鬱陶しく感じるはしゃぐ鼓動も、今日ばかりは愛おしかった。

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