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第13話 恋人同士の夜

 二人で親子丼と天ぷらを食べ終えたところで、真山は口を開いた。 「そーいちさん、俺、バイトしようと思うんだけど」  真山が切り出したのは、アルバイトをしたいというお願いだった。  引っ越しも落ち着いて時間はできたが、モン・プレシューを卒業してから真山には収入源がない。卒業と同時にそれなりの額は振り込まれたのでしばらく生活には困らないが、さすがに何かアルバイトの一つもしなければと思っていた。 「っえ」  真山からの申し出に、桐野は目を見開いて真山を見た。 「……だめ?」  あまりに驚いた顔をするので、何かまずいことでも言ってしまったかと真山は焦った。そんなに驚かなくてもと思っていると、桐野は眉を下げて少し困った顔をした。 「いや、その、欲しい物があるなら、俺が買うから」 「ちょ、それじゃパパ活みたいじゃん。やだよ」  桐野はパパと言うには若いが、ただでさえ定期的に高い店でいいものを食べさせてもらっているのに、そのうえ欲しいものまでなんて、と思う。真山にも一応良心はあるし、自立心もある。何から何まで世話になってばかりではさすがに居心地が悪かった。  なにより、そんなつもりで恋人になったわけでもない。構ってもらえるのは嬉しいが、自分のことくらい自分でしたかった。  労働に対する対価として賃金を得たい、といえばよかったのだろうか。 「しかし、君をあまり外に出したくないんだ……」 「もー、ペットじゃないんだから」  さすがに真山は苦笑いした。  桐野は真山を目の届くところに置いておきたいのだろう。犬や猫ならば事故に遭ったり連れ去られたりという危険はあるだろうが、真山はまがりなりにも成人男子だ。ほったらかしてもそうそう危険な目に遭うということはない。 「ああ、すまない、そういうつもりじゃないんだ」 「そーいちさん、心配性?」 「なん、だろうか。すまない、できるだけ君の近くにいたくて」  真山は目を見開く。そんな素直な言葉が聞けるとは思っていなかった。驚きの後からやってくるのは、くすぐったい喜びだった。  確かに、桐野は真山の近くにいたがる。家では何かと世話を焼いてくれるし、何かにつけて構おうとする。寝る時も一緒、風呂も一緒に入ることが増えた。  そんなふうに言われたら、真山は嫌だとは言えない。真山だって、桐野と一緒にいられる時間は長い方がよかった。 「なら、いいけど」  桐野から自分に向けられる気持ちが嬉しくて、自然と頬が緩む。 「それなら、家事はどうだろう」 「家事?」  真山は鸚鵡返しに聞き返した。  小学生の頃、実家で手伝いをするたびに駄賃をもらっていたのを思い出す。それと似たようなものだろうか。 「家のことを、してもらえないだろうか。できる範囲でいいから、掃除、洗濯、洗い物を。食事は、朝は俺がやるから、それ以外を頼みたい」  確かにそれなら、労働力を提供しているから罪悪感もない。 「わかった」 「買い物は俺も一緒に行こう」 「ふふ、過保護だね」 「だめか? 一緒に買い物をするのはずっと憧れで」 「いいよ」  自分よりもずっと大人だと思っていた桐野にも、自分と同じようにささやかな憧れがあるのがわかって真山の表情は緩んだ。  目下のお願いがひとつ通ったところで、真山はふと思う。  同居が始まってから、真山は桐野と身体を重ねることはなかった。引っ越しでばたついていたということもある。  気を遣ってくれてたのかもと思う真山は思い切って聞く。 「そーいちさん。仕事、忙しい?」  真山の問いに、桐野は小さく首を振る。 「そうでもないが、どうかしたか」 「……セックス、したい、んだけど」  抑えた声は先細りになって、自然と眉尻が下がる。それだけを言うのにも、真山は随分と緊張した。個室だから誰かに聞かれる、ということはないのだが、慣れない場所で話をするのはいつもよりずっと神経を使った。  でも、今言わなければタイミングを逃してしまいそうで怖くて、早く言わなければと焦っていた。桐野はいいと言ってくれるだろうか。不安で仕方なかった。  だめだと言われても落ち込まないようにしなければ。そんなことをぐるぐると考えてしまう。 「ああ、すまない。色々あったから君が疲れていると思って」  桐野は眉を下げて笑う。  その笑みだけで、真山の胸に渦巻く不安は立ち消えるように姿を消す。桐野の気遣いが心に沁みていく。 「しようか。慎くん」  柔らかな笑みのまま、桐野は目を細めた。  その仕草は真山を柔らかな高揚感で包む。 「うん」  ようやく桐野に抱いてもらえる。  桐野と恋人なってから、初めて身体を重ねることができる。  同居が始まってからというもの、毎日顔を合わせてはいるが、するのはキスくらいだった。  正直なところ、若い真山にはキスだけでは物足りなかった。こっそり一人で処理してはいたが、そろそろ限界だった。  鼓動が早まる。期待と喜びを乗せた血が、全身に運ばれていく。  初めてのあの夜よりも、ずっと近い場所に桐野がいる。 「そろそろ帰ろうか」 「ん」  真山は小さく頷く。  言い出したのは真山なのに、なんだか桐野よりも真山の方が緊張していた。  会計を終えて店を出る。夜の裏通りは人気もなく静かだった。  人通りが少ないからか、桐野はそっと真山の手を取ってくれた。下がった気温のおかげで、桐野の手の温もりがより濃く感じられた。  車までの少しの距離を、手を繋いで歩く。桐野の温もりが、手のひらに滲んで混ざり合うのが心地好かった。  シャワーを浴びて後孔の準備を終えた真山は下着だけを身に付け、先にシャワーを済ませ寝室で待つ桐野の元に向かった。  桐野には一緒に支度をさせてほしいと言われたが、さすがに尻の洗浄を見られるのは恥ずかしかったので丁重に断った。  恋人になった以上はいつかはそういう日も来るのだろうが、今はまだ恥ずかしさが勝ってしまってそんなことは考えられなかった。  いつもふたりで眠る寝室は照明が落とされ、ベッドサイドのライトに柔らかく照らされていた。  落ち着いた空気の流れる部屋で、桐野は下着だけの姿でベッドに腰掛けて待っていた。 「そーいちさん、風邪ひいちゃうよ」  視線がぶつかると桐野は微笑み、真山を誘うように静かに手を差し出した。 「慎くん、おいで」  甘やかな声に呼ばれると、鼓動が甘く応える。  恋人同士として身体を重ねる初めての夜だと思うと胸が高鳴るのを止められない。  真山の縋るような視線を受け止め、桐野は穏やかな笑みを湛えている。  こんなことには慣れているはずなのに、これから桐野に抱かれるのだと思うと真山は嬉しさと緊張が同時に湧いてきて吐息を震わせた。  桐野の前までやってくるとそっと手を取られた。桐野の手は昂りを物語るように熱い。真山は手を引かれ、誘われるままベッドに上がった。  皺なく張られたシーツに静かに横になると、桐野が微かな衣擦れの音とともに覆い被さる。  真山の視界は桐野で埋め尽くされた。  桐野は影が落ちてもわかる真剣な表情で、真っ直ぐに真山を見つめる。その薄茶色の瞳に情欲の炎が揺れた。 「慎くん、その、君のを舐めてもいいだろうか」  桐野の口からその言葉を聞くことができるとは思っていなかった真山は、間抜けな声を上げた。 「は?」  そんな真山のリアクションに、桐野は意味がわかっていないと思ったようだった。 「この前もしただろう。フェラチオだ」 「ッ、い、言わなくていいって、わかるから」  思わず上擦った声を上げてしまった。真面目で馬鹿正直な桐野に、真山の方が照れてしまう。  改めて言葉にされるとこんなにも恥ずかしいものなのかと、真山は頬を熱くしながら思った。普段なら流れでするから、言葉にすることなんてほとんどない。  桐野がまた口でしてくれるなんて思わなかった。真山はいつだって自分がする方で、フェラチオなんて物好きな相手がしたがる時くらいしかされたことがなかった。  真山はアルファだ。バレたら困るし、そもそも好き好んで咥えようというアルファは少なかった。 「そーいちさん、してくれるの」 「ああ」  桐野は真山の頬をひと撫ですると、身体を下にずらした。  真山はそれを目で追う。鼓動はずっと早いままだ。  下着を押し上げ芯を持ち始めた真山の昂りを、桐野の手がそっと撫でた。布越しに感じる桐野の温かな手のひらに、真山は息を呑む。  慈しむような優しい手のひらは、熱い昂りを包むように擦って、真山に緩やかな快感をもたらした。 「させてほしい」  桐野が真山を見上げる。薄茶色の瞳は、これから色事に臨むにはあまりに純粋な光を湛えていた。 「嫌じゃねーの?」 「ここだって君の身体だ。嫌なわけない。君のことは、全部知りたいんだ」  桐野の言葉は真摯だった。  身体を屈めた桐野に薄い布越しに鼻先を擦り付けられると、真山の身体がびくりと震える。  全部知りたいと言われることがこんなに嬉しいなんて思わなかった。  真山も、桐野に全部知ってほしい。  今まで押し殺してきた恋人として当たり前の欲求が、こんなふうに甘やかに叶えられるのかと、真山はぼんやりと思う。 「ふふ、欲張りだね」  真山は胸に湧く喜びを噛み締めながら桐野の髪をそっと撫でる。程よく弾力があってしなやかな髪は、真山の指先に柔らかな感触を残していった。 「舐めて。そーいちさん」  甘くねだると、笑みが返ってきた。  桐野の指先が真山の下着のウエストゴムをずり下ろす。顔を出した昂りはすっかり頭を擡げて、丸く張り詰めた先端を潤ませていた。  桐野は何の迷いもなくそこへキスを落とす。  敏感な箇所に触れる唇はとろけるように柔らかくて、それだけで頭の芯まで溶かされるようだった。  勝手に吐息が漏れる。  柔らかい唇が触れた後は熱く濡れた粘膜に包まれて、そのままゆっくりと深くまで飲み込まれていく。  喉奥まで使って桐野は真山を愛でた。 「そ、いちさ、ふか、い。そんな、しなくていいよ」  真山は声を震わせた。  真山の下生えに桐野の鼻先が埋まる。桐野の喉がひくついて真山の昂りを締め上げた。苦しいはずなのに、桐野は深々と咥え込んでいる。 「そ、いち、さ」  桐野の口から、昂りがゆっくりと引き抜かれる。 「っ、はぁ、気持ちよく、ないか」  聳り立つ真山の幹を手で緩く扱きながら、口を離した桐野は真山を見上げる。薄茶色の目は生理的な涙で濡れていた。喉奥まで咥え込んでいたのだ、無理もない。 「ちがうよ。そーいちさん、苦しいでしょ」  口を離しても、桐野は手を使いながら真山に緩い快感を与え続ける。そんな桐野の髪を、真山は労うように優しく梳いた。 「君だってしていただろう?」  濡れた瞳を細め、唾液で濡れた唇を舐める桐野はひどく淫靡だった。 「そ、だけど」  そう言われてしまうと、真山にはそれ以上言い返すことはできなかった。  どちらがしないといけないなんてルールはないし、お互いが気持ちよくなれるならそのほうがいい。真山に比べれば経験が浅いはずの桐野の方が、本質を捉えているような気がして少し可笑しかった。  正直なところ、真山は快感に乱れる自分を桐野に見られるのが恥ずかしかった。手解きをした人間としての矜持もあるが、何より、清廉な彼の手で自分が身も世もなく泣き喚くのを見せたくなかった。 「続けていいか? 慎くんのを飲みたい」  そんなお伺いに、真山は頬を染める。 「もー、ほんと、どこで覚えたの」 「君が飲んでいたから。そういうものではないのか」  桐野に許しを乞うような目で見上げられ、真山は言い返す言葉を失った。  確かに飲んだ。決して美味しいと言える代物でもないが、行為に慣れすぎて、それが当たり前だったからそうしただけだ。桐野はそれをちゃんと見ていた。それだけのことだった。優秀な生徒だ。

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