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第19話 やまない熱

 マンションの駐車場に着く頃には、真山はなんとか歩けるくらいになっていた。  部屋に帰ってくると、真山はそのまま寝室に連れて行かれた。  抱いてもらえるのかと思った真山は喉を鳴らす。繋がれた手にはまだ熱が残っている。落ち着いたとはいえ、余韻が残る身体は熱い。 「そーいち、さ」  逸る気持ちに押されて切羽詰まった声を上げてしまう。 「して」  物欲しげな視線を向ける真山に、桐野は優しく笑うだけだった。  ベッドに上がり、横たわった真山に、桐野が覆い被さる。 「慎」  唇を貪るように重ね合い、唾液が混ざる。車の中で散々味わったせいか、もうレモンの味はしなかった。 「そーいちさん、はやく、さわって」  口づけの合間に、急かすような声を上げてしまう。早く触ってほしくて、真山は自らパンツの前を寛げ、下着をずり下げる。はしたないと言われるかもしれないが、構わなかった。  痴態を晒す恥ずかしさよりも、桐野に触れられたい気持ちが先走って、止まらなかった。  顔を出した性器はすっかり芯を持って反り返り、射精こそしていないものの、溢れ続けた先走りでひどい有様だった。 「ぐちゃぐちゃじゃないか」  桐野は愛おしげに目を細めた。透明な蜜で濡れそぼった真山の昂りに、桐野はそっと手を添わせる。 「ちゃんと、僕から離れなかったね、慎。いい子だ」  労うような甘い声とともに桐野の手が昂りを握り込む。桐野の温もりに包まれて、真山は惜しげもなく溶けた声を上げる。 「あう」 「好きなだけ、出すといい」  桐野の手が上下に動くたびに卑猥な水音が立つ。その音がまた真山を煽った。熱く硬いものを桐野の手で扱かれ、桐野の手の中で昂りが跳ねる。 「っあ、で、る」 「出してごらん、慎」  名前を呼ばれで、身体を触られて、そんなふうに誘われたら、真山にはもう堪えることなんてできなかった。  桐野の手の動きに合わせて腰が揺れる。 「んう、あ、あ」  腹の底から、熱いものが込み上げてくるのを止められない。 「っいく、そおいち、いく」  出口に向かって熱いものが押し出される感覚に身体を震わせ、真山は桐野の手の中で白濁を放った。  白濁は真山の腹に散り、上気した肌を白く汚した。それは一度では止まらない。何度も散り、薄い腹の上には白い水たまりができるほどだった。 「慎、いっぱい出せたな」  真山自身もいつもより多くのものを吐き出した自覚はあった。それでも、フェロモンに当てられたせいか、オメガを孕ませるためのそれは出しても出してもまだ出そうな気がする。 「そーいちさん、もっと、して」  理性が削げ落ち、真山の一番深いところにある柔らかな部分が剥き出しになっていた。一番深くにある、純粋で臆病で、欲しがりな真山。ずっと隠していた、綺麗で汚い場所だった。 「入れて、そ、いちさ」  堪らず溢れた真山の言葉に、桐野は黙って首を横に振った。  桐野が見せた初めての拒絶だった。 「なん、で」  真山の鳶色の瞳が揺れた。  剥き出しになった真山の柔らかい場所に、鋭い棘が容赦なく突き立てられる。拒絶を知らない真山にはあまりに辛いものだった。 「腹、きれいにするから、してよ」  後孔の支度をしていないのを思い出す。それがいけなかったのだろうか。  それでも桐野は首を横に振る。 「慎、君を、大事にしたい。こんな君を抱くわけにはいかない」  穏やかで芯のある声だ。  真山には桐野が言っていることの意味がわからない。  早く触ってほしい。一番深いところに、触ってほしいのに。 「やだ、してよ、そーいちさん」  真山は眉を下げて瞳を濡らして、幼子のように懇願する。 「慎、いい子だから」  子どもに言い含めるような穏やかな声色に、真山は首を振る。  想いが伝わらなくて、もどかしくて涙が溢れそうだった。桐野に、自分の一番深くに触れてほしいのに。 「やだ、そーいちさん、なんで」 「君を愛してるからだ。ちゃんと、愛させてほしい、慎」  苦しげに表情を歪める桐野。愛してると言うのに、抱いてくれないのは何故なのか、なんでそんな顔をするのか、真山は理解できなかった。 「おれのぜんぶ、みて、さわってよ」  涙が零れて、声が震えた。  頬を濡らし、責めるような目で桐野を見上げると、真山の視線を受け止めた桐野は悲しげに笑う。 「オメガに乱された君に、付け込むようなことはできない」  真山はただ胸が痛くて、縋るように桐野を見た。腹の奥では、やり場のない熱が蟠っている。  桐野の言葉を噛み砕いて反芻する余裕などなかった。 「慎」  桐野は眉を下げて優しく微笑んでいる。 「そーいちさん」 「愛してる、慎」 「っふ」  いつもより強引に唇を塞がれて、真山はそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。桐野の舌が唇を割り、真山の舌を絡め取る。  いつもなら、桐野にされるキスは嬉しいものなのに。今日のは苦しくて、胸ばかり痛んで、少しも嬉しくなかった。  一方では未だ治らない昂りを擦られて、真山の身体はまた熱い白濁を吐いた。  真山が気を失うまで、ひたすら甘く優しく、桐野は真山の昂りを愛でた。  それでも、真山の欲しいものは最後まで与えられることはなかった。  やっぱり、アルファだから抱いてくれないのだろうか。  真山はじくじくと痛む胸を誤魔化すように膝を抱えて、物思いに沈んでいた。  オメガのヒートのフェロモンを浴びて思った。あんなに強烈で前後不覚になるような昂りを、アルファである自分が桐野に与えることはできないのだ。  自分の無力さを見せつけられ、悔しさの後に悲しさと虚しさがやってくる。  ただ抱かれるだけで満足しておけば、こんな思いはしなかったのに。  アルファである自分が、同じくアルファである桐野の恋人になるなど無謀だったんだと、誰かの声がした。  そんなこと、言われなくても自分が一番わかっている。顔を上げた真山にさっさと諦めろと言ったのは、もう一人の自分だった。  そこで真山は目を覚ました。  真山の目に映ったのは青黒い闇に染まった天井だった。  今見たものが夢だったと安堵するのとともに、夢の中でも変わらず悩んでいてなんだか悲しくなる。  夢の中でくらい、桐野に抱かれたかった。真山の胸には残滓のように物悲しい気持ちが蟠っていた。  すぐ隣からは静かな寝息が聞こえてくる。  温もりの主の桐野は真山に体をくっつけ、寄り添うようにして眠っていた。  穏やかな寝顔を晒す桐野を起こさないように体を起こして、真山はナイトチェストの上の時計を見遣る。  時刻は午前二時を過ぎたところだった。変な時間に起きてしまって、真山は小さくため息をつく。  泣いていたようで、瞼と頬が冷たく濡れていた。  服はいつのまにか寝間着に着替えていて、どうやら桐野がしてくれたようだった。  桐野の優しさが、真山の胸をまた痛くした。  現実でも夢の中でも、桐野に抱いてもらうことばかり考えている。そして辿り着くのは、いつも同じところだ。 「おれが、アルファだから」  真山はため息のように呟いた。  アルファがオメガになる方法がないわけでもない。  バース性についての研究が進んだとはいえ、未だ都市伝説のような話も存在する。アルファがオメガになる方法もその一つだ。  真山が見つけたインターネットの情報によれば、発情状態の時に相手に項を噛まれること、とあった。精液を何度も胎内に受け、強いフェロモンを浴び、マーキングされること。互いがオメガに変えたい、変わりたいと強い意志を持って行うこと。  本当かどうかはわからない。バカにされるのが怖くて、医者にも聞いたことはない。  もしそれが本当だとしても、抱かれなければ、真山はオメガになることはできない。  抱かれようにも、桐野は抱いてくれない。オメガのフェロモンに当てられたのに、求めれば抱いてくれた桐野が、求めても抱いてくれなかった。  桐野はちゃんと愛したいと、愛してると言ってくれた。  なのに。  大事にしたいと言って桐野が抱いてくれない理由を、真山は一つしか思いつかない。そんなの、セックスを回避したい奴の常套句だと真山は思っていた。  やっぱりオメガが良かったのだろうか。  桐野から聞かされたわけでもないのに、真山の考えはいつもそこにたどり着く。  そうなのだとしたらアルファの自分には手詰まりだ。そんな気持ちに囚われた真山の胸を、絶望と諦観が重苦しく埋めていく。  オメガに比べたら大きな体を、小さく丸めて蹲る。  このまま窒息しそうで、真山は小さく息を吐く。自分のものとは思えない、か細いため息だった。  苦しくて逃げ出したい気分だった。いまならまだ別れても傷は浅い。痛みはあるが、まだきっと引き返せる。  昼間、指輪が買えなかったことに少しだけ安堵した。指輪を買ってしまっていたら、もう引き返すことなんて考えられなかっただろう。まだ薬指に微かに残る指輪の感触を思い出してまた悲しくなった。  鳶色の瞳から涙が溢れた。  こんなに苦しいのなら、離れたほうがいい。  そう思う真山だが、それを言い出す決心はまだつかないでいた。  別れようと言うのが怖かった。  真山が言い出したことを、桐野は止めない。受け入れてくれる。受け入れてしまう。桐野が抱いてくれたのも、きっとそれだろうと思う。  桐野は、真山を最大限尊重する。交わした書面にあった一番を思い出す。  真山が別れようと言えば、桐野はきっと悲しげに笑って受け入れてしまう。そういう約束だからだ。  あまりに何もかもが悲しくなって、真山は膝を強く抱いた。  息を詰めて漏れる嗚咽を抑えつける。  自分はもっと強いと思っていたのに、また涙が溢れた。  離れないでいるのは苦しいのに、離れるのはもっと辛い。  吐き出す息が熱く震えだす。  ヒートに当てられた余韻がまだ残っているのか、腹の底に小さな熱源がある。  小さな種火に炙られ、疼く身体は止められない。  身体はどうしようもなく熱いのに、胸を埋める寂しさに涙が出る。 どうにかしたくて、真山は静かにベッドを降りた。  火照った足裏に触れる冷たいフローリングの床が心地好い。  振り返ると、桐野は変わらず静かに寝息を立てていた。

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