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第20話 ひとりのバスルーム
寝室を抜け出した真山は、最近はただの勉強部屋になっている自分の部屋に向かった。
真山は自室のデスクの脇の段ボール箱からシリコン製のディルドとローションを取り出した。我慢できない時にこっそり使っていたものだ。
真山はそのままバスルームに向かう。
裸になって足を踏み入れた広いバスルームは、ひとりでいるには少し寂しい。いつもなら桐野と一緒なのに、今日は真山だけだ。感じる乾いた空気も心なしかひやりとしていた。
今、自分はきっとひどい顔をしている。
ひりつく目元を撫で、真山は鏡を見ないようにして壁にかかるシャワーに手を伸ばした。
シャワーヘッドを外し、ぬるま湯をの温度を確認する。バスタブの縁に手をつき膝立ちになると、真山はホースを後孔に当てた。
腹の中にぬるま湯が入ってくる。ゆっくりと入ってくるぬるま湯が奥まで入るように上体を前に倒していく。
苦しいのに、すっかり熱を上げた身体は洗浄の刺激すら貪欲に拾い上げ、昂りに変えていった。
「っふ、ぅ」
腹に力を入れると、腹の奥にぬるま湯が入っていくのがわかる。うっすらと腹が膨らむくらいに溜めてからホースを離して少し待つと、腹が低く鳴りはじめた。
微かに腹が痛むのを少し我慢して、トイレに駆け込む。
それを三度も繰り返すと、真山の腹の中からは温度の馴染んだぬるま湯が出るばかりになった。
一番奥からも出し切って、真山はバスルームに戻ってローションを仕込むと、持ってきたディルドを手に取った。
滴るくらいローションを垂らし、塗りつける。
「っ、はぁ」
待ち望んだ刺激に、興奮で息が荒くなる。膝立ちになり、バスタブの縁に手をついて、待ちきれないと言わんばかりにひくつく後孔に丸い先端を押し当てた。
真山は一人で慰める。そうするしかなかった。
胸に深く刺さった棘は、思い出すたびに痛みを生む。真山は漏れる嗚咽を噛み殺し、戦慄く後孔へシリコン製の冷たいディルドを押し込む。
仕方ないことだが、無機物の冷たさは温感ローションを使っても誤魔化しきれない。それが余計に真山の胸を締め付けた。
本当は、桐野の熱がほしかった。
「っ、ふ、う」
無機物とはいえ、質量のあるものに中をこじ開けられ擦られるのは快感で、真山は小さく喘ぐ。
「は、ぁ」
ディルドを奥の窄まりまで埋め、ゆっくり抜ける直前まで引く。張り出す段差に粘膜を刮がれ引き摺り出されるような感覚に、真山は声が甘く溶けるのを止められなかった。
中を擦れば気持ちいいのに、胸が痛む。小さな呻きが勝手に漏れて、湯気の満ちる浴室に控えめに響いた。
「ふぁ、そ、ちぃ」
堪え性のない自分が嫌になる。漏れる声を何とか誤魔化そうと唇を噛みながら、真山は戦慄く後孔を慰める。
一人でするのは久しぶりだった。
自分のペースで身体を弄るのは気持ちがよくて、真山はすぐに行為に没頭していった。
「っふ、ぁ」
シリコンには真山の体温が移って、擦っているうちに腹の奥が疼きだす。
「っあ、そ、ち、さ、ぁ」
呼吸が荒くなり、真山はすっかり蕩けた頭で桐野を呼ぶ。ベッドで寝ている桐野には聞こえるはずなんてないのに。
桐野の動きを思い出しながら、真山は手を動かす。段差が腸壁を削ぐように擦り、丸く張った先端が窄まりを叩く。真山はもうそこで貪る快感に夢中だった。桐野にされるのに比べたら物足りないのに、それでも真山の身体は快感を拾い上げ震えた。
聞くに堪えない粘つく音を立てて、無機物が真山の後孔を出入りする。
バスタブの縁についた手が震えた。
真山の肌はすっかり上気して赤みを帯び、浴室には粘つく音と乱れきった呼吸が響く。
いつの間にか、浴室は淫靡な空気に満たされていた。
「ふあ、あ」
唇を震わせ、真山は熱く揺れる息を吐き出す。
「慎くん?」
不意に聞こえた桐野の眠そうな声に、真山は身体を強張らせた。
「ふぁ、っ、え」
「なに、して」
もう一度聞こえた桐野の声は気のせいなどではなかった。
振り向くとそこには、いつの間にか起き出していたパジャマ姿の桐野がいた。
「……ッ」
裸で後孔に玩具を咥え込んだところをはっきりと桐野に見られている。
真山の顔から血の気が引いた。
取り繕う言葉も出ない。桐野もまさかこんなことになっているとは思わなかったようで、目を見開き固まっていた。
「っ、だ、め、見ない、で」
か細い声が震える。
軽蔑されるのが怖い。顔を背ける真山に、桐野は静かに近付いてくる。
真山は目を合わせられない。自分がどんな目で見られているのか確かめるのが怖かった。
緊張で心臓が煩く騒いで、身体が震えた。
「こんなもの」
静かな、それでいてうっすらと怒気を孕んだ声が聞こえて、桐野の手がディルドを引き抜く。
真山は桐野が自分に対して怒ったところを見たことがなかった。だから、微かな怒りにも反応してしまう。少しだけ怖かった。
「っふ、ぁ」
それなのに優しく引き摺り出される快感に背がしなり、蕩けた声が漏れた。
ディルドが床に落ちる鈍い音が静かな浴室に響く。
罵り嘲る言葉が飛んでくるものだと思っていた真山は、背中から桐野に抱きしめられた。
「っ、そ、いち、さん?」
背中から自分を包む温もりに、真山は慌てて振り返る。桐野が自分を抱きしめてくれる理由がわからなかった。
「一人で支度したのか」
「……うん」
静かな桐野の声に、真山は頷く。
「次は、僕にさせてくれ」
「っ、あ、そ、ち、さ」
咥えていたものがなくなり寂しげにひくつく後孔を、桐野の指が撫でる。熱い指の感触に、真山の身体は勝手に悦び窄まりを戦慄かせる。
「君に、僕以外を触れさせたくない」
桐野の声に滲むのは独占欲だった。
自慰を見られて軽蔑されたとばかり思っていた。明らかな執着を見せられて、真山は戸惑いを隠せない。
「あれ、ディルドだよ」
「それでも、だ」
桐野の声は少し怒っている。やはり嫌われたのだろうかと真山は胸をざわつかせた。
「俺のこと、嫌いになった……?」
「なるわけない。こんなに、いじらしくてかわいい君を、嫌いになんてなれるわけない」
桐野の声ははっきりしたものだった。
「僕じゃ、ダメなのか」
桐野は真山の背中に額を擦り付ける。甘えるような声に真山の心臓が跳ねた。
「っ、え?」
真山は桐野の言葉の真意が掴めないでいた。
「そんなものじゃなくて、僕ので感じてくれ」
「そ、いち、さん?」
「すまない。こんなところを見せられたら、我慢できない」
「っえ、なん、で」
背中に触れる桐野の吐息は熱い。まるでその胸のうちに秘めた熱が漏れ出ているみたいだと真山は思う。
これではまるで、桐野が自分の痴態で興奮しているみたいだった。そんなわけ、ないはずなのに。真山は自分に言い聞かせる。
ちょっとしたパニックだった。
「おいで。ベッドへ行こう」
桐野に抱えるように起こされた真山は丁寧に身体を拭かれ、バスローブを羽織らされてベッドに連れて行かれた。その間も桐野はずっと手を繋いでいて、その手が離れることはなかった。
真山にはそれが少しだけ嬉しかった。
薄明かりに包まれた寝室、ベッドに上がっても、真山は正座して身を小さくしていた。すぐ目の前、膝を突き合わせた向かいには桐野がいる。
羽織らされたバスローブの裾を握って俯いたまま、真山は桐野の方を見られず、その視線は白いシーツの上に落ちたままだった。
桐野からの視線は痛いくらいに感じるのに、あんなところを見られてどんな顔をしていいかわからなかったし、桐野にどんな目で見られているのか確かめるのが怖かった。
「慎くん、顔を上げてくれ」
俯いた真山の肩が跳ねる。桐野の声は穏やかなものだったが、身体は固まってしまったかのようにいうことを聞かなかった。
「慎くん」
怖くて顔が上げられないでいると、頬を両手で包まれて顔を上げさせられる。
そこにあったのは、優しい桐野の笑みだった。
「ふふ。やっとこっちを見てくれた」
「そ、いちさん」
腫れた目元を見られてしまった。照明が落とされた部屋でも、こんなに近い距離では気付かれてしまう。見せたくなかった。きっと面倒臭いと思われる。
「たくさん泣いたんだな」
桐野の指先は赤みの差した目元を、冷えた頬を、労わるようにそっと撫でた。触れる指先の優しさに、真山の瞳に涙が滲む。
「すまない、君に、こんな顔をさせてしまった」
苦しさの見える桐野のせつなげな笑みは真山の心を溶かしていく。
真山の唇が震え、ぽつりぽつりと言葉を零す。
「おれ、あんたに抱いてほしくて。でも、そーいちさんから誘ってくれないから、俺ばっかり好きなのかと思って、寂しくて。そーいちさん、ほんとは、オメガと、したいんじゃ、ないかって」
思い出して悲しくなった。ずっと、桐野に誘ってほしかった。桐野の口から、甘やかな言葉で伺いをたてられるのをずっと待っていた。
真山の濡れた鳶色の瞳が揺れ、押し出されるようにして涙が溢れる。喉は引き攣るような痛みを訴えた。
「アルファの俺じゃ、あんたを繋いでおけないって思って、悲しかったし、悔しかった」
声が震える。
オメガでもない真山が桐野を縛っておくのは不可能だ。そもそも、アルファはアルファとつがいになるようにできていない。アルファとアルファの間には、互いを繋ぐものも縛るものも、惹きつける何かも、二人を強く結びつける確固たるものがない。
フェロモンも、つがいも存在しない。好きとか愛しているとか、そんな言葉を囁いて、身体を繋いで。アルファ同士の間にはそれくらいしかないのだ。
それも、オメガのフェロモンに当てられれば容易く壊れてしまう。真山には、それが怖かった。
だから余計にオメガを恐れ、同時に憧れた。
オメガはアルファとつがいになれる。そう簡単には離れられない。それはずっと眩く、ときに疎ましいほどの憧れとして真山の心に存在していた。
「俺がオメガになれたらいいのにって思っても、あんたに抱いて貰えなかったら、それも叶わない、から」
鳶色の瞳から透き通った雫を落とし、真山は鼻を啜った。
「離れようと思ったのに、辛くて、離れたくなかった。俺、もう、あんたから離れらんない」
真山はぽろぽろと涙を零しながら、その胸の内を桐野に伝えた。全部伝わらなくてもいい。ほんの一握りでも、一欠片でも、一粒でも、伝わってくれたらよかった。
「すまない。君に、そんな苦しい思いをさせていたなんて」
桐野は眉を下げると、真山を抱き寄せた。
優しく包み込むような桐野の腕の中は温かくて、真山はまた涙を落とす。落ちた雫は桐野のパジャマに暗い色の小さな染みをつくった。
「気付けなくて、ごめん」
静かな桐野の声は雨粒のように優しく真山の胸に落ちた。
「慎くん、僕はちゃんと君のことが好きだし、君を抱きたいと思ってる」
「っ、うそ……」
真山は信じられなくて桐野を見上げる。桐野の顔は真剣そのものだった。
「嘘じゃない」
「あんな、ケツでオナってるの、見たのに」
「あれは、可愛かったし、少し頭にきた」
「っえ」
「僕以外で気持ちよくなっているのが、許せなかった」
桐野の声が怒っているように聞こえたのはそのせいかと真山は思う。少し怖かったが、理由がわかった今は安堵が残るばかりだった。
「君を独り占めしたい気持ちが抑えられないんだ。ずっと、僕だけのものにしたい」
桐野はいつもよりもずっと饒舌だった。絶えず紡がれるその言葉は、桐野の深いところから生まれているように思えた。
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