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第21話 桐野の気持ち

「我慢してたんだ」 「我慢?」  桐野の言う我慢が何のことかわからず、真山は桐野を見上げた。  抱きしめる腕を緩めた桐野は、真山の手を取ってそっと下腹へと導いた 「……ッ!」  真山が息を呑む。手を導かれた先には、すっかり硬くなり熱を帯びた桐野の猛りがあった。 「君のあんな姿を見てしまったから」 「そーいちさん」 「こんな僕は、嫌いか?」  桐野は少しだけ恥ずかしそうに笑った。  真山は首を何度も横に振る。嫌いになんてなるわけがない。それどころか、自分のあんなみっともない姿に興奮してくれているのが嬉しかった。 「本当は、もっとたくさん、君を抱きたかった」  ため息のように、桐野は呟く。その告白に、真山の心臓は大きく跳ねた。桐野がそんなふうに思っていたなんて、知るはずもなかった。 「昨日だって」  真山の後頭部に桐野の手が添えられ、肩口に頭を押し付けられる。濃くなる桐野の肌の匂いに、胸に温かいものが広がっていく。耳元に直接吹き込まれる桐野の穏やかで澄んだ声は、真山の鼓動を甘く溶かした。 「本当は、フェロモンに当てられた君を抱きたかった。とろとろになった君に触れて、このまま、抱き潰してしまいたいと思った」  澄んだ甘やかな声が囁くのは生々しい欲望で、真山は胸を震わせた。同時に、腹の底が疼く。 「毎日、毎晩、僕の下で、僕の上で、乱れる君が見たかった。本能に任せて、君を抱きたいと何度も思った。でも、そんなことをしたら、君に嫌われるんじゃないかと思うと、できなかった。何度も名前を呼んでくれる君が、いなくなるのが怖かった」  真山は胸に生まれた甘い痛みに息を呑んだ。  喜びが、それまで胸を埋めていた寂しさの何倍にも膨れ上がって、寂しさを追いやって真山の胸をいっぱいに満たす。  また、涙が溢れた。 「オメガが、いいんじゃ、ないの?」 「そんなわけない。僕はもう、君じゃないとだめだ」  涙は勝手に溢れて、止めたいのに、止まらない。嬉しくて、胸が痛かった。 「っ、うえ、し」 「慎。君をそんなに不安にしていたんだな。すまない」  桐野の優しい声に、真山はゆっくりと瞬きをする。溢れた涙が熱い頬を伝い落ちた。  見上げると、桐野の柔らかな薄茶色の瞳が真っ直ぐに真山を見つめていた。声と同じ穏やかさで、真山を包み込む。 「聞いてくれるか?」  桐野の、穏やかでいて芯のある声に、真山は声も出さずに頷いた。 「初めて会った日、君を好きになった」  桐野の告白に真山は目を見開く。初耳だ。そんなの、聞いていない。  あの日は、初めての桐野にセックスのやり方を丁寧に教えた。あれのどこに、自分を好きになってくれるきっかけがあったのか、真山には皆目見当もつかなかった。  桐野は穏やかな声で淡々と続けた。 「何をしても君が忘れられなくて。時間が経ったらその分想いが大きくなって、どうしても君が欲しくて、早く自分のものにしたくて急いでしまった。本当なら、もっと段階を踏んでいくべきだとはわかっていたんだが」  桐野は自分の行いを悔いるように、自嘲気味に笑う。 「そんな慌てなくてもよかったのに。そんなに俺を欲しがるの、そーいちさんくらいだよ」  苦笑する真山に、桐野は目を細めた。 「はじめがあんな出会い方だったから、その、身体だけが好きなわけじゃないと、伝えたくて。あまり僕から求めたら、身体だけ好きみたいで、君に失礼だと、思って」  真面目な桐野らしい言葉だと思った。 「そんなこと、ないのに」  桐野の気持ちは十分伝わっていた。愛されていると、真山はわかっていた。  モン・プレシューは真山がセックスしたさに登録していただけで、桐野が自分の体目当てだと思ったことは一度もない。  初めてのあの夜からずっと、桐野は真山を大切にしてくれた。そこに愛情がないと思ったことは一度もない。  桐野が真山に触れるとき、その目に真山を映すとき、いつだって桐野からは温かな愛情を感じた。 「ごめん、そーいちさん。おれ、勘違いして」  真山は自分を恥じた。身体ばかり求めてしまったのは自分の方だった。  それでも、桐野は首を振る。 「いや、僕も、もっと君に確かめればよかった」  桐野は真山を抱く腕に力を込めた。アルファの強い腕だった。そこに収まると、ひどく安心する。 「君から離れたくない」  その言葉は甘く痛む真山の胸に染み込んでいく。いつのまにか痛みを生む棘は消えて、そこには甘やかな気持ちだけが残された。 「君の、強かなところ、まっすぐなところ、飾らないところ、全部が僕には新鮮で、眩しかった」  薄茶色の瞳が愛おしげに細められる。 「それに、優しいアルファに会うのは初めてだったんだ。周りのアルファはみんな、僕に厳しかったから」  目を伏せた桐野は薄く笑う。真山は静かに桐野の声に耳を傾けた。  やっぱり苦労してたんだなと思う。一般家庭に育った真山でさえ、アルファの息苦しさを感じたことはある。エリート家系の桐野なら尚更だろう。 「君は、優しかった。たくさん褒めてくれた。たくさん、許してくれた」  桐野は嬉しそうにその表情を緩めた。 「子どもっぽい理由だろう?」  桐野は苦笑いする。子どもっぽいと言う桐野の表情には自嘲が色濃く見えたが、真山はそうは思わなかった。 「そんなことない。あんたは一生懸命だったから。そんなの、褒めたくなるじゃん。気位の高いアルファしか知らなかったから、あんたみたいなアルファは、初めてで、すごく、いいなって思った」  真山は初めての夜を思い出していた。何も知らない、無垢で真摯な桐野は真山の心を掴んで離さなかった。 「君は僕だけじゃなくて、オメガの子のことまで考えていて、いい子なんだなって、思ったんだ」  微笑む桐野はそんなことまで覚えていて、真山は泣きそうだった。 「俺は俺を変えられないだけだよ。アルファに抱かれたくて、オメガに憧れる俺を、変えられない。いつか、オメガになって、アルファに優しく抱かれたかった。だから……」  だから、あんなふうに、熱を込めて桐野に説明した。自分がオメガで、この人に優しく抱かれたら、きっと幸せなのにと思った。 「オメガに、憧れ……」 「言ってなかったっけ」 「君が、フェロモンの影響を嫌っていたから、てっきりオメガを嫌悪しているのかと」  そう思われても仕方ない。言葉が足らなかったことを申し訳なく思う。 「ヒートに当てられて訳わかんなくなるのが嫌なだけだよ。まあ、嫉妬とかやっかみもあるけど」  真山の中にはオメガに対する薄暗い気持ちも少なからずあった。桐野には、自分の嫌いなところも汚いところも、全て知ってほしい。腹の底に隠した嫉妬も、薄暗い欲も、全部。 「ほんとうは、オメガになりたい。ずっと、そう思ってた。オメガになって、俺のフェロモンであんたを狂わせたい。俺しか見えなくして、俺だけを欲しがってほしい」  真山の告白に、桐野は驚いたように目を見開いた。  真山は静かに答えを待った。  その瞳に宿った情欲の火を隠すように、桐野が目を細める。 「慎くん、オメガになる覚悟はあるか?」  桐野の静かな言葉に、真山は耳を疑った。 「おめがに、なる?」  信じられなくて、思わず声が上擦る。  あれは、都市伝説じゃないのかと、喉元まで言葉が出かけた。 「昨日のことでわかったんだ。君にもきっと、運命のオメガがいるだろう」  桐野の声は落ち着いていた。  アルファとオメガには、運命のつがいというものがある。アルファとオメガの間にのみ成立する繋がり『つがい』の中でも、一際強く特別なもののことだ。しかしながら出会える可能性は低く、都市伝説だとも言われる。  一説には、オメガの急なヒートは近くにいる運命のつがいを呼び寄せるものだという説もある。桐野が心配しているのはきっとそれだろう。 「だけど、僕は、君を、たとえ運命のオメガにでも、渡したくない。僕自身を、どこかのオメガにくれてやるつもりもない」  桐野は優しい声ではっきりと言った。そうやって真っ直ぐにぶつけられる独占欲は、真山の心を揺さぶった。 「僕は、君をオメガにして、僕のつがいにしたい」  桐野は独り言のように、その内に渦巻く欲望を口にした。 「慎くん、僕だけのオメガになってくれるか?」  許しを乞うような桐野の薄茶色の瞳には自分が映っている。 「俺が、オメガ、に?」  声が掠れた。涙が止まった。 「そーいちさん、方法、知ってる?」  アルファをオメガに変える方法がある。  そんなものは都市伝説だと疑っていた反面、心の隅ではそうであってほしいと願っていた。  真山の背を、甘やかな期待が舐め上げた。  条件は、忘れもしない。 「ああ」  頷いた桐野は静かに続けた。 「発情状態の時にオメガにしたい者の項を噛むこと。精液を何度も相手の胎内に放ち、強いフェロモンを浴びせ、マーキングすること。互いがオメガに変えたい、変わりたいと強い意志を持って行うこと」  桐野の口から聞こえたのは、真山が調べたものと同じ内容だった。 「一応、医師の裏付けも取ってあるから、問題ないはずだ」  どうやら桐野はそこまで調べたらしい。都市伝説だと思っていたものに医師の裏付けが取れたことに真山は驚いた。  アルファがオメガになる。ずっと夢見てきたことだった。  真山には断る理由もない。 「いいよ。そーいちさん。俺を、あんたのオメガにして」  真山は高鳴る胸に声を震わせながら、その思いを言葉にした。 桐野のオメガになる。それがどういうことかわからない真山ではない。  桐野は優しく笑ってその言葉を受け止めてくれた。 「一週間ほど大学を休ませてしまうかもしれないが、構わないか」  桐野はどこまでも優しい。真山は迷わず頷いた。 「うん」  真山はベッドサイドのキャビネットの上のスマートフォンを取りにいくと、すぐに学生用の連絡フォームから大学に連絡をした。理由は体調不良のため。同じゼミの北野にも一週間休むとメッセージを送った。  ずっと待ち望んだ、甘く爛れた時間が始まることに、真山は腹を疼かせた。

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