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第3話 夢中の人

*** 「綾人ー、ごめん、ゴミ出し手伝ってもらってもいい?」  綾人はここ数日、仕事が忙しいらしい母から連日ゴミ出しを頼まれている。ゴミと言っても家庭のごみではなく、自宅でやっている仕事のごみだ。使った後の梱包資材、不要になった書類、突然やめていった事務員たちの私物……。  アルバイトでも雇えと父からは言われているらしいのだが、親が稼いだお金が綾人の学費になることを考えると、無給で手伝っていたとしてもあまり文句は言えない。 「俺は嫌だけどなー。せめてバイト代もらわないと。絶対やりたくねえな。お前って本当、人がいいよな」  家と学校が近いと、友人が勝手にやって来るらしいことを綾人はすっかり失念していた。今日もなぜか、綾人の近くには瀬川がいる。  せっせとゴミを片付けていく綾人のそばで、積み上げられた段ボールの山に座り、足をブラブラさせながら話しかけ続けていた。  綾人は仕事の手を緩めることはしないが、かと言って瀬川を邪険にするわけでもなく、なんとなくそのまま会話を続けるのを楽しんでいた。 「お前、バイト代もらってもなんだかんだ言って逃げそう」  その言葉を聞いて、瀬川は心外だとばかりに身を乗り出して反論する。 「ええ!? 俺そんな酷いやつに見える!?」  すると、それに綾人が返した言葉は、いつものように辛辣なものだった。 「見える。金のことはわかんねーけど。女性関係見る限りは、そういうヤツだと思われても仕方ないだろ?」  綾人が瀬川を苦手としているのは、女性関係の汚さだ。合コンだなんだと酒を飲んでは女性に手を出す。真面目に付き合ったという話は、これまで一度も聞いたことがない。  手が早く、軽い男として学内で有名になってしまっているのだが、本人はそのことに対して全く悪びれる様子もない。綾人が瀬川から飲み会に誘われたくない理由は、それが最も大きい。  そんな瀬川と一緒にいると、綾人は瀬川よりもより軽い人間として見られがちになる。理由は、見た目に依るところが大きい。実際は遊ぶどころか、彼女もいたことが無ければ、誰かを好きになった事もない。  肌を合わせるのは、お互いに好き合った相手だけでいいと思っている。つまり、誰ともそういう経験はない。それでもこれまで特に困ったことも、不安も、焦りさえも感じたことは無かった。  ただ、好きな人とじゃ無いと嫌だとやたらに拘るということは、自分が気がつかなかっただけで、これまでに誰かに心を動かされた経験があるのかも知れない。  その人と両思いになって、恋人同士になれていたら良かったのにと思わずにはいられなかった。 「だってさあ、なんかこう、いまいち好きになれないんだよ。仕方なくない?」  少し口を尖らせながらブツブツ言う瀬川の姿を見ながら、「好きになれないから仕方がない」という気持ちだけは理解できるなと思ってしまった。綾人も言い寄られることはあっても、その人を好きになれたことが無い。  ただし、瀬川の行動には全く理解は示せない。好きになれないなら、手を出さなければいいだけの話だ。瀬川はすぐ手を出すから、月に何度も揉め事を起こしている。 「あ、お前そういえば来週の金曜の夜は空けておけよ」  瀬川は、また懲りもせずに綾人を飲み会に誘おうとしている。これほど断っているのに、なぜこうも綾人に執着するのか理解に苦しむところだ。毎回飲み会の話が出るたびに綾人に声をかけている。  他の人を誘った方が、人は楽に集まるだろう。それなのに、なぜか粘って綾人を誘おうとする。何度誘おうとも行く事はないと決めている綾人にとっては、最も理解し難いところだ。 「え、無理。お前の飲み会には行かない。めんどくさい」  即答する綾人にむっとした瀬川は、ずいっと顔を近づけてきた。鼻先が触れそうなほど近くに寄って来た瀬川を見て、綾人は一瞬狼狽えた。  たじろぐ綾人の目をじっと覗き込む視線が、まっすぐに心の中を射抜いていく。その力強さに、なぜだか畏怖の念を抱いてしまった。 「お前さー、なんで俺の誘いは全部断るの? いっつも即答で断られる俺、可哀想じゃない?」  綾人は瀬川からやや顔を逸らし、肩をぐっと押して体を離した。 「……っ近い。離れろよ」  ぐいぐい迫ってくる瀬川に気押されて、心がざわめき始めた。気のせいか、妙に色っぽくしなだれかかられているように感じる。女性に手を出しすぎて、自分が女性化してしまったのかと思えるほど、綾人に色香を振り撒き始めた。  綾人はそれを受け流そうと思っていたが、自分がそういうことに長けていないことがわかったので、瀬川の顎を手のひらで下からグッと押し上げて、そのまま顔を下に落とすようにしてベッドに押し倒した。  「ぎゃっ」といいながらカエルのようにひっくり返った瀬川は、何が起きたのかわからないようで、天井を見上げて目をパチパチと瞬かせていた。 「え? すげ、ひっくり返された! 今の何?」  綾人はうんざりとした様子でため息をつき、ベッドの端に座り直した。 「護身術。喧嘩売られても、相手をしたくない時に使ってた」  へー、と言いながら瀬川は起き上がる。  綾人は空手の有段者だ。同時に護身専門の教室にも通っていた。    見た目のせいか、男の集団にも絡まれることが多く、どちらも身を守るために習い始めた。高校に入りたての時など、顔が中性的だからと言って「一回ヤらせろ」と襲われそうになったことが何度もあった。その度にこの二つを習っていて良かったと安堵した。  瀬川には、以前流れでそのことを話していた。そのことを思い出したのか、「ああ、前に言ってたやつね」と思い出して納得したようだった。 「で、俺は何でひっくり返されたの? なんか危険を感じた?」 「うっせー。そのつもりがあるならすぐ出ていけよ。俺にはそんなつもりは全く無いからな。それと、飲み会の誘いはもういらない。お前と一緒にいるだけでヤリチン扱いの噂流されんだぞ」  瀬川は少々ムッとしたようで、一瞬だけ口を噤んだ。だが、生来黙っていることが不可能な性質をしているようで、すぐに口を開いて捲し立てた。 「心外だな! ……ヤってることは否定しないけど、俺だって誰でもいいわけじゃねーの! ていうか、今の話は飲み会じゃねえよ。お前にボランティアメンバーになって欲しいんだ」 「ボランティア……? お前が? 瀬川の口からボランティア……似合わねー」 「おい、聞こえてるぞ…」 「あ、すまん」  心の声のつもりだったのだが、うっかり口に出してしまっていたらしい。「ゴホン」と咳払いをして、なぜか得意げに瀬川は説明を始めた。 「金曜の夜に、留学生に日本語教えるボランティアをやってる人がいるんだよ。その人に頼まれてさ。どこかでお前が英語とドイツ語話せるって聞いたらしくて。ちょっと手伝ってもらえないかって訊いて来てくれって頼まれてんだよね」 「留学生に日本語を教えるボランティア……」  その噂は綾人も耳に入れたことがあった。金曜の夜に、どこかの教室で留学生に日本語を教えている人がいるという。そこでボランティアをすると、就職に有利になるという話も併せて噂になっている。  母国にいながらにして異文化交流をすることが出来るなら、それはとても有難いことだろう。国が違えば、いつものように見た目で判断されることも無いかも知れない。そう考えた綾人は、試してみる価値はありそうだなと判断した。 「そういうことなら手伝ってもいいけど、一度見学してからでもいいか? 合うか合わないかは体験してみないとわからないからな」  瀬川にそう伝えると、「もちろん!」と喜ぶ。まるで犬が尻尾を振りながら喜んでいるようだ。思わず頭を撫でてやりそうになって、ハッと我に返った。  目の前にいるのは、ヤリチンと名高い瀬川であって、可愛らしいパピーではない。 「じゃあ、相手にはオッケーって俺から連絡しておくからな」  そう言って瀬川は帰っていった。   ——結局あいつは何をしに来たんだ?  本当にボランティアの誘いに来たのなら、電話でもメールでもよかっただろう。わざわざウチまでやって来て、ゴミの片付けを見ていただけだった。 「変なやつだな」  そう独言ると、ふっと笑みが溢れた。  それからしばらく片付けを続け、昼食をとり、そこからさらに数時間片付け続けた。流石にそろそろ飽きてきたなと思っていたところで、母から業務終了の連絡が来た。 「綾人ー、もうそのへんでいいよ。ありがとうね。あれ? 瀬川くん帰ったの?」 「うーす。お疲れ様でしたー。うん、昼飯食うちょっと前くらいには、もういなかったよ。何、あいつ何も言わずにいなくなった? いつも愛想振りまいて帰るじゃん」  母の敬子は「そうなのよ。でも今日は無かったなあ。急いでたのかもね」と言いながらコーヒーを淹れ始めた。ダンボールや梱包材を片付けている息子に向かって、「綾人もコーヒー飲む?」と訊ねる。 「うん、もらう。なんかめちゃくちゃ眠てえし……」  ゴミが置いてある作業場の倉庫部分とキッチンは隣り合っている。綾人は相変わらずの寝不足に辟易としながら、片付けている途中の緩衝材に寄りかかって目を閉じた。 「やっべえ。これめちゃくちゃ気持ちい……母さん、早くコーヒー……」 「ちょっと待ってねー」と元気に呼ばわる敬子の返事をよそに、綾人はそのまま瞼を閉じて、すうっと眠りに落ちてしまった。 * * *  さわさわと、木々が揺れる音がする。風がいたずらに立てるその音は、耳を優しく刺激して心地良さを与える。少しだけ土の匂いを孕んだこの季節の風は、いつも誰かの温もりと共にあった。  ふと目を開けると、(あおぐろ)の美しい髪が、風に吹かれてゆらゆらと揺れていた。時に噴き上げられて舞い上がっては、ふわふわと落ちていく。 「目が覚めたか」  頭上からしっとりとした声が降ってきた。雅で気品に溢れた、それでいて力強い生命力に溢れた声だった。背中には優しい温度の温もりがあるのに、足はやたらに冷たい。ふと下を見ると、床は石で出来ている。 ——あれ? 外? 俺、自分の部屋にいなかった?  昼下がりまで片付けを手伝い、クタクタに疲れてしまったせいで、そのまま寝てしまったようだった。それは覚えているけれど、ここは一体どこだろう。  外だと思ったのに空気に動きがないことをみると、外ではないようだった。床が石で出来ていて、それが氷のように冷たい。でも、誰かの膝に抱かれているようで、背中だけは暖かい。その温もりに、深い愛情を感じることが出来た。 「お前、今日も略奪をしたらしいな」  なんの話だろう……母さんがテレビを見ているんだろうか。ウトウトしながら声の主の方へ顔を向けてみる。 「うわっ!」  頭上の声の主は、後光に照らされて顔が見えない。ただ、長い黒髪をいくつも細く編み込んで垂らしている。(あおぐろ)の肌色に、がっしりとした筋肉、目に見える範囲には、数々の金の装飾が光っている。 「だって、俺、もうずっと食べてないんだよ」  俺の口が勝手に話し始めた。 ——え? なんだこれ。俺の声か?  さっき昼飯食べたばっかりだけど……と狼狽えながら、俺は自分に驚いていた。意思と関係ないところで、会話が発生していった。俺は俺だよなと確認しなければ納得出来ないほどに、自分の体と意思がつながらない。 「一度転生しておいてチャンスを潰したんだ。二度目も同じ過ちを繰り返すのか? もう一度人を殺めれば、今回も確実に処刑されるぞ」  その言葉を聞いて、俺の体がブルブルと震え始めた。俺はどうやら、処刑される怖さを知っているみたいだ。想像や知識を超えた、実感としての恐怖が体を急激に冷やしていった。 ——処刑? なんで俺が?  体の震えを実感し、話の内容が理解できるにつれ、あの夢を思い出した。 ——あの、打首の夢……。  迫り来る恐怖に怯えた夢。これは、あの夢の続きなんだろうか。それにしたって、夢の続きを見るなんてこと自体が珍しいような気がしていた。 「いやだ! じゃあ、もう少しだけチャンスをくれよ! せめてちゃんと食べられて、眠られる生活をくれ。そしたら俺、もっといい人になるよ!」  俺はどうやら子供らしい。今でいうところの小学生くらいだ。それも低学年? 必死で黒くて長髪の男に頼んでいる。死にたくない、助けてください、お願いします……ただそれだけを繰り返している。 「では、次の転生では百人の人を助けろ。そうすれば、全ての罪を滅してやる。やり方はお前の考える方法で構わない」  そう言って、黒い長髪の男は立ち去ろうとしていた。その時、カッと背後の光が大きくなった。 「うわっ! 目が灼ける!」  強烈な光の中、消えていく時に見えた顔は、光の方だけ金髪に白い肌、赤目の獅子のような顔をしていた。そして、影になっている黒肌の方の顔は、深淵のような瞳をした、あの「不幸な穂村」の顔と全く同じものだった。

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