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第5話 告白

 金曜日の夜のボランティア活動は、綾人にとって毎週心待ちにするほどの楽しみになっていった。出身の違う学生たちが一堂に会し、ほぼ全員が共通して話せる英語でコミュニケーションを取っていく。  ここに集まるのは、マレーシア、ベトナム、インドネシア、シンガポール、スリランカ、ネパールと言った東南アジアや南アジアの女性が多い。彼女たちの熱意は、俺たちの想像をはるかに超えていた。  講義だけでは補いきれなかった疑問点の解決と、日本語での砕けた会話を習得できるということで、とても喜んで貰えた。わざわざ遠く離れた国まで学びにきているだけあって、質問の内容は下手をすると俺たちでもわからないようなことだったりする。  誰かにやらされているような人が一人もいなくて、みんな積極的に吸収しようとしていた。器用貧乏の果てに、生きる気力が萎えかけていた綾人にとっては、とてもいい刺激になっていた。 「ちょっと癪だけど、瀬川に感謝しないといけないな」  あの日、瀬川がここへ誘ってくれなかったら、この楽しい週末はずっと手に入ることはなかったのだと思う。そう考えると、わざわざ休日に家にまで来てくれた瀬川に、僅かながら感謝の気持ちが湧いていた。  深い内容の質問をされると言うことは、気を抜いているとボランティア側の不勉強がバレてしまうということでもある。そうならないようにと、各自の講義に対する姿勢が熱を帯びていくようになった。  綾人もそうやって感化され、自分自身の知識がぐんと深まっていくのを感じている。これも嬉しい変化だった。 「宗教の伝来の仕方って、言葉違うと説明も難しいな」  文学部で宗教や哲学を学んでいるという話をした時に、具体的な説明を求められると、説明の仕方がわからずに苦労した。穂村も同じようで、フランス語の説明のために英語を使ったり、日本語で説明してしまって意味が理解されなかったりと、四苦八苦している。    しかも穂村の場合は、あの右目の赤い男「貴人(たかひと)様」の時と話せるレベルが違うらしく、留学生たちの方が混乱していた。  穂村自身もフランス語は話せる方だ。穂村の両親がフランスが好きで、家族でよく旅行に行っていたらしい。その旅行で自然に習得していったものだと言っていた。  ただ、貴人(たかひと)様はレベルが格段に高い。それよりも断然上手く話せるらしい。問題なのは、それを「神なのだから当然だ」と言われ、そう言えばそうだったと納得できるのは、綾人だけだということだろう。  これと同じようなことが、綾人との関係性でも起きている。穂村でいる時と貴人(たかひと)様でいる時とでは、綾人との親密度に違いが出始めていた。  綾人と穂村は、挨拶だけしかしないようなよそよそしい関係から、ようやく雑談が出来るようになったレベルの間柄だ。それが貴人(たかひと)様になった途端、恥ずかしくて逃げ出したくなるくらいに溺愛されてしまう。  確かにお気に入りだとは言われたけれど、それがどうしてなのかもわからないし、人前でもどこでも構わずに抱き竦められたり、キスしたりされるのは、本当に困る。  顎を持ち上げられてじっと見つめられているのを、隣のテーブルの女子学生に見られた時の綾人の心情は、とても一言で言い表せるようなものじゃなかった。    そしてもっとも困るのが、二人が突然入れ替わってしまう時だった。  貴人(たかひと)様が綾人を愛でるためだけに、戯れで口付けていた時に、急に教授から呼び出されてしまった。貴人(たかひと)様は気を利かせてすぐに穂村と入れ替わったのだけれど、その時穂村は心底驚かされることになってしまう。  それまで内に篭っていた穂村の意識が、急に外に戻されてしまった。しかも、目の前には綾人のキス待ちの顔がある。それがかなりの衝撃だったようで、よくわからない言葉を大声で発しながら、凄まじい勢いで後ずさっていった。 「ふぎゃあおええええ!?」  脱兎の如く逃げていく後ろ姿を見ながら、それが貴人(たかひと)様ではなく穂村なのだと気がついた綾人もまた、恥ずかしさで頭を抱えていた。 ——でもあの時、逃げなくてもいいじゃないか……ってちょと傷ついたんだよな、俺。  こうしていつの間にか、綾人が穂村を見る目も変わっていってしまった。目の前の人物がどちらであったとしても、同じ匂いを感じるようになったのだ。そして、そこに同じ気持ちも存在するようになっていた。 「はっきりとはわからないけれど、なんかいい匂いがするようになったよな、お前」  一度そう尋ねながらスンスンと鼻を鳴らしてみると、また恥ずかしがって逃げられてしまった。  綾人だって困っていた。穂村であっても、貴人(たかひと)様であっても、あの人物に抱きしめられたくなるし、胃のあたりがぎゅうっとなる。 ——だんだんドキドキしてくるし、本気で心臓が心配になってきた。  日を追うごとにそれが回数を増し、帰宅してからもその高揚がおさまらない日が続いていた。 「あーもう、なんだよこれ。ちょっと疲れてきた……」  モヤモヤした気持ちを抱えて、綾人は教室のテーブルに突っ伏して悶えていた。今まで感じたことのない悩みを抱え、相談する相手もいない。   「最近水町が忙しいからなあ。俺友達少ない……」  そうやって何日もしっかりと眠れなくなっていた。それなりに美しいと言われていた綾人の顔は、だんだん疲労の色が濃く、なかなか酷い有様になっていた。  肌が乾燥して荒れ、目の下にはうっすらと青グマができていた。生活に疲れて気力を無くしているように見える。王子と言われた日々が、遠い昔のように思えた。 「あ、そういえば最近、告白されなくなってきたかもしれない」  見た目だけを求めていた学生たちが、最近擦り寄ってこなくなったことに気がついた。 ——煩わしかったから、ちょうどいいや。  綾人は、青白いクマのある顔で微笑みながら、ずっと寝不足でいればいいのかなとすら思い始めていた。 「あーやと。なになになに。どうした? なんか最近、麗しの金髪王子はランクが落ちたとか言われてるけど?」  静けさを堪能していると、常に能天気でもっともうるさい瀬川が寄って来てしまった。綾人はその顔を見て、ふと思いついた。 ——瀬川は、俺の友人だよな? 相談してみるか……。  いくら考えても解決の糸口すら見えない問題を、不本意ながら瀬川に相談してみることにした。ここ最近の動悸、気分の高揚、熱くなる体、眠れない夜。 「なんかおかしいのかね、俺の体。お前どう思う?」  すると、瀬川はポカーンとした顔で綾人を見ていた。こっそり周りで聞き耳を立てていたらしい学生も、みんなこちらを見て固まっていた。  周りは多少ざわつき始めていた。そして、ヒソヒソと何か口々に言う学生たちの目が、色めき立っていることに、綾人は気がついた。 「え? それマジな話?」  驚いて質問を返してきた瀬川に、綾人は素直に「うん」と頷いた。瀬川は、その反応に驚いた。そんなに素直に話している綾人を、これまで見たことがなかったからだ。  うーんと唸りながら、ガシガシと頭を掻く。「モテるやつには、わかんないことなのかなあ」と呟いて、じーっと綾人の顔を見つめた。 「お前さ、それ、穂村のことが好きなんじゃないの?」 「は?」  間髪入れずに綾人は反応してしまった。驚き過ぎて、変な場所から声が出たみたいだ。甲高くて間の抜けた声で、自分の口から出たのに、それを聞いて笑いそうになってしまった。 「は? 俺が穂村を好き? なんで?」  瀬川は、また頭をボリボリ掻いていた。その態度は、明らかに困惑しきっている。彼にとってはわかって当然のようなものを、綾人は冗談ではなく、本気で尋ねている。それが、瀬川を心底困らせていた。 「いや、それは俺にはわからないけどさ……もしそうだとして、きっかけになるようなことに、思い当たることってないの?」  綾人はしばらく逡巡し、貴人(たかひと)様のことに思い当たった。貴人(たかひと)様が穂村の体を使って話しかけるようになってから、眠れなくなったりしている。  しかし、それを瀬川に話していいものなのかと悩んでしまう。 ——いや、頭がおかしくなったと思われるだけだろう。  そう考えて、それを言うのはやめておいた。ただ、そうなった場合、そこを説明せずに何をどう話せばいいのかはわからない。 「そもそもさ、穂村、男だろ? 俺も男だ。 それで好きになるもんなの?」 「いやそれを俺に聞かれてもねえ」と瀬川は答えて、うーん、と顎に手を当てて考え込んでしまった。  しばらくそうしていたかと思うと、急に何かを思いついたらしく、パッと花が咲いたような顔をして綾人の方を向いた。そして、嬉々として放った言葉は、やっぱり瀬川だと思わせるようなものだった。 「てかさー、そもそもなんだけど、好きになるときって性別って意識してんの? 俺は突っ込めるところがあるならなんでも……」  そこまで聞いた時、綾人は無意識に瀬川の尻を思いっきり蹴っていた。それは、自分でも惚れ惚れするくらい、綺麗な弧を描いた回し蹴りだった。  空手をやらない瀬川は、踏ん張ることも出来ず、仰け反りながら前に吹っ飛んでいった。 「おまっ! いってえな……自分が訊いたんだろ!」 「聞くんじゃなかった。俺はお前と違って純粋なんです」と言いながら、綾人はその場を離れようとした。瀬川は汚れを手で払いながら立ち上がると、大声で叫んだ。 「だって本当のことだろう? どんな障害があってもその人を抱きたいなら、好きってことだと俺は思うね!」  広大な学内の敷地中に響き渡りそうなほど、それはそれは大きな声だった。綾人は真っ赤な顔をして振り返り、絶叫した。 「なんでそんなことデカイ声で言うんだよ! 本当、信じらんねえ!」    聞く相手を間違えたと激しく後悔して、無視して進もうとした。すると、瀬川は後ろからさらに叫び続けた。 「いーじゃねーか別に。好きなら好きで。なんか問題あんのかよ。そりゃあ両思いじゃないと辛いかもしれないけど、穂村もお前のこと好きだろ?」  周りはずっとざわつきながら綾人を見ていた。瀬川のデリカシーの無さには呆れてしまう。  こんな恥ずかしい状況を作り出しておきながら、全く気づく様子もない。それどころか、このままじゃ延々と辱められてしまうんじゃ無いかと、恐ろしくなった。 ——頼むから黙ってくれよー!  そう思いながら頭を抱えていると、後ろから耳あたりのいい声が、綾人を包み込むように声をかけてきた。 「うん、俺、桂のこと好きだけど。実は、高一の時からね」  振り返ると、青白い顔をして不幸そうな出立ちをした、貴人(たかひと)様ではない穂村自身が、爽やかにそう言って微笑んでいた。  ふわりと春の風が巻き上がった。落ちた桜の花びらを巻き上げながら、穂村の猫の尻尾のような髪の束を揺らしていた。その顔には色とりどりのアザがあり、どちらの目も深淵の黝だった。右目が赤くない時は、今世の穂村で間違いない。 ——穂村、だよな。俺、穂村に告白されている?  綾人の胸に、ふわふわとゆるい高揚感が巻き起こっていた。心臓がドキドキと跳ねる様は、紛れもなく生まれて初めてのことだった。  だんだんと顔が赤らんでいくのがわかる。それは、貴人(たかひと)様とキスをする時の自分の反応と似ていた。  でも、穂村に言われる方がもっとドキドキしている気がする。 ——何が違うんだろう。  そんな綾人の戸惑いが見えたのか、穂村はフッと微笑んで綾人の頬に手を当手た。綾人は、無意識にその手に頬を寄せて、穂村を見上げていた。なぜだかわからないけれど、そうすることが自然なことのように思えた。 「俺と付き合ってよ、桂」  その穂村の顔は、とても優しくて甘い微笑みを湛えていた。そのあまりの美しさに綾人は惚けてしまい、ただ黙ってそれを見つめることしか出来なかった。

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