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第11話 付き纏うイト2
◇◆◇
川村陽太は、学食のテラスで昼食をとり、午後の授業に備えていた。室内が思いの外暑くなってしまい、仕方なく外へ出て来たのだけれども、かなり風が強く、何度も砂埃や散乱したゴミに悩まされていた。
舞いあげられたものが目に入ったり、昼食の中へゴミが飛んで来ては、その度に食べるのを中断する羽目になった。少しずつ予定時間より遅れ始め、気がつくともともと食べ終わる予定だった時刻よりも、随分と遅れてしまっていた。
「あー、やばい! 早く行かないと。酵素の反応時間次第じゃ帰りが遅くなる……今日サークルあるはずだし」
陽太は、そもそも、人と話すのが苦手なタイプで、会話せずに生きていけるのならしたくないといつも思っているような人間だ。
ただし、現実的にそれが無理だということはわかっているので、会話嫌いが少しでも薄れるようにと、誰かと話す機会を持つ努力をしている。
大学時代の思い出が、講義と研究以外は何も無いというのはあまりにも寂しいし、それは高校三年間での思い出だけで十分だ。それならどうやって人と話す機会を得ようかと考えている時に、ちょうど幼馴染の桃花から誘われて、金曜日のボランティアサークルに入ることにした。
人のために何かするということは、結局は自分のためになる。最終的に何かしら得るものがあり、無意味ではないからいいなと思っての判断だった。
最初は、ずっと好きだった桃香の隣にいたいという、邪な思いで動いた。しかし、まさかそのサークルで、自分の人生がひっくり返るほどの出来事が起きようとは予想もしていなかった。
——一体、俺はこれから、どうしていったらいいんだろう……。
急いでいるにも関わらず、一瞬ぼんやりとして気を抜いてしまった。ちょうどそこへ、ビューッと強い風が吹き込んできた。
「あっ! しまった!」
用意していたメモが、緩んだ手元からスルッと抜け落ちてしまった。咄嗟に反応出来ずにいると、そのままメモをA棟の方へと連れ戻してしまった。数枚あったメモのうち、三枚の行方がわからなくなってしまった。
「あー……やっぱりクラウドに記録しておけばよかった。タブレット忘れたりするから……俺のバカ……」
陽太はため息をついた。そして、頭を抱えて座り込むと「めんどくさ」と呟いた。数回頭を振ってもがいたが、観念したように立ち上がると、貴重品の入ったバッグを抱えてダッシュした。
二枚は近くで見つかった。ただ、残りの一枚がなかなか見つからず、諦めてじっくり探すことにした。
——どうせ今日はあのメモがないと実験にならないし、実験が出来ないなら講義に行っても意味無いしな。
そう考えて、欠席することにした。補講が受けられるはずなので、メモを探して持ち帰り、自宅でデータに記録するという選択をした方が現実的だろう。そのデータが無いと、補講の時にまた同じ目に遭ってしまう。
「もー! くっそ、この辺に飛んだと思ったんだけどなあ」
陽太は、ゴソゴソと芝生の中や植え込みのあたりを探す。春先に暴風が吹き荒れやすい土地だということがわかっていたので十分気をつけていたのに、油断した一瞬で全てがダメになってしまった。
しかもメモ用紙の色は煉瓦色、ここは芝生とレンガが交互にある。色が近くて、見つけにくいいことこの上ない。
どうしたものか考えあぐねて、ドサっとベンチに座った。すると、ふと後ろの方で誰かが必死に何かを訴えている声が聞こえた。なんだろうと思い振り返ると、そこには抱き合う二人の学生がいた。
こんなところで何をやっているんだと目を逸らそうとしたところ、そのうちの一人に見覚えがあった。もう一度そちらを向き、顔を確認しようとする。
「あれって……」
陽太は、その二人の方へと歩み寄っていった。なんでこんなところにいるんだろうと疑問に思ったからだ。芝生の上を小走りしながら近づいていった。
「桃花?」
陽太が声をかけると、困り果てた顔の桃花がこちらを振り返った。
「あー陽太ぁ!」
よく見ると、桃花は女性を支えていただけだった。その子は陽太も何度か顔を合わせたことのある子で、おそらく陽太に興味を持っている。名前は円凛華。桃花の口から何度も聞いた名前なので、流石に覚えてしまっていた。
陽太は、自分を珍獣か何かのように扱う凛華のことを、あまり好きになれずにいた。三人で遊びたがる凛華から、なんだかんだと理由をつけて逃げ回っている事が、あのサークルでの唯一面倒くさいと思う問題だった。
「何してるの、心理ってこの時間はB棟で講義じゃなかった?」
「そうなんだけど、凛華が……」
グッタリしている凛華を見て、陽太はギョッとした。気を失っているのか、完全に脱力した状態だった。よく見ると顔色は悪いが眠っているだけのように見える。胸のあたりが上下しているので、呼吸はきちんと出来ているのだろうと思って安心した。
ただし、その眠りの深さは異常だと思った。ピクリとも動かず、だらりと垂れた腕の様子から見て、ノンレム睡眠状態にあるように見えた。こんな状況でここまで深く眠るということは、間違っても問題が無いとは言い切れない。
「これ……寝てる?」
「うん、そうみたい。なんか気絶したみたいに眠ってる」
「講義、行けないね」
「うん。陽太さ、医務室連れて行くの付き合ってくれない?」
陽太は一瞬顔を顰めた。ただし、その口が面倒くさいと言うより先に、「めんどくさいはナシで」と先を越されてしまった。さすがに幼馴染は陽太の性格をよく分かっている。
——どうせメモ見つかって無いし、メモ無かったらサボるつもりだったし、付き合うか。
「じゃあ、俺おぶって行こうか?」と陽太が申し出ると、「助かる!」と言って、桃花は凛華を陽太の背中に乗せた。眠っているので、ズッシリと重い。
インドア派の陽太には、ちょっと辛い重みだった。それでも仕方なく立ち上がり、どうにか医務室へと向かう。
「ありがとー。陽太はやっぱり優しいね」
「いや、桃花がめんどくさいって言わせてくれなかったんじゃん。ちょうど良かったけどね。今実験に必要なメモ無くしちゃって、行っても意味が無いから、サボろうとしてたところだったんだよ」
「そっか。でも、助かったから、ありがとう」
桃花は可憐な笑みで、陽太へとお礼を言う。陽太はその顔を見ていると、自分の表情がゆるく崩れていくのがわかった。それを知られるのが恥ずかしくて、必死に表情を引き絞ろうとする。
「も、桃花、おでこどうした? なんか真ん中のところ、赤くなってる」
陽太は両手が塞がっているので、顎で桃花の額の中心を示した。桃花はそこを手で触ると、「あれ? ちょっと熱持ってるかも」と言いながらスマホのカメラでその部分を確認した。
「なにこれ? 恥ずかしいー! 虫刺されかなあ……後でファンデ塗っとこう」
そう言いながら、前髪を引っ張って少しでも隠れるようにした。その姿が愛おしくて、陽太は思わず笑みを零した。
「ねえ、この時間の講義って必修じゃなかった?」
「必修だったよ……一応代返お願いした。多分バレるけどね。ちょっと凛華の様子がおかしくて」
桃花は、凛華に起きていることを陽太に相談してみる事にした。おそらくまともな返答は無いだろうとは予測しているけれど、このまま放っておいてもいけないような気がしていたので、言わずにはいられなかった。
「凛華ね、多分彼氏にDVを受けてるのよ。信じられないくらいたくさんのアザがあったから。それに、そのことを誰にも相談していないみたいなんだ。私も聞いてないし。聞こうとしたら倒れちゃって」
陽太は、ふーんと言ったきり黙ってしまった。返答に困っていると言うよりは、どうでもよさそうだ。予想通りといえば予想通りなのだが、困っている自分に手を差し伸べようとしてくれないことに、桃花は多少苛ついていた。
「陽太って本当にいつもめんどくさそうだよね。めんどくさいと思わないことって何?」
うーんと言いながら、陽太は考え込んでいた。しばらく無言で歩き続けたあと、あっと思いついて立ち止まった。
「法学部の瀬川さんのことを考えることは、めんどくさくないかな」
「え?」
陽太は桃花をじっと見つめていた。その目は、驚くほどに真剣だった。そもそも、陽太はあまり冗談を言わない。だからおそらく、本心を話しているのだろうとは思う。
——どうして陽太が瀬川さんのことを考えるの……?
しかも、そのことを考える時だけめんどくさくないと言う。陽太の真意がわからない。意味ありげに桃花の目を見つめる陽太のことが、少し怖くなった。
——これは訊かない方がいいのかな……?
桃花は、じっと陽太の目を見返す。すると、ニコッと陽太は微笑んだ。その微笑みが意味するものがわからない。桃花は、しばらく学校で見かけていない瀬川のことを案じていた。
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