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第13話 穂村の想い2

◇◆◇ 「えっ? それ、本当ですか?」  穂村は自宅で鏡を前にして座り、そこに映る自分と同じ顔の人物に食ってかかった。今聞いた話は、穂村が貴人様に体を貸す際に聞いた話と齟齬があるように感じ、どうしても納得がいかなかった。 「百人を救えても救えなくても、節分の日には死ぬ……? 綾人が……?」 「そうだ。自分が死なないために罪を減らしているわけではないからな」  貴人様は、まるでそれが当然のことであるかのように答えた。でも、それは穂村にとっては裏切りの一言だった。  穂村は、綾人が節分までに罪を全て滅することが出来れば、全ては元通りになると思っていた。無事に節分を超えて、今と変わらずに生きていけるのだと思っていた。  確かに貴人様にそのことを訊こうとしたことは無かったかもしれない。それは、綾人は自分が死なないために浄化を頑張っているのだと、完全に思い込んでいたからだ。 ——じゃあ、あと一年も経たずにいなくなってしまうってこと……?  ようやく目を合わせて話が出来るようになったというタイミングでそんな話を聞かされ、穂村の胸の中を焦りと怒りがぐるぐると渦巻き始めていた。 「いや、待ってください。じゃあなんのために綾人は人を救うんですか? ただ大変な思いをしているだけじゃあ……」  鏡の中の貴人様は、厳しい顔つきで被りを振った。「それにはちゃんと意味がある」と低く力強い声で言う。 「それは、あいつが地獄に堕ちないためだ。このまま何もせずに死ぬと、確実に堕ちる。それも、数千年という刑期が既に決まっているんだ。綾人の今の姿からは想像できないだろうが、あいつの魂に科せられている罪は、それくらい多い。浄化の行は謂わば猶予だ。あいつが前世で重ねた罪は、本人だけに責任があるわけではないという判断が上から下されて、猶予期間が設けられた。そういう意味では、大きなチャンスをもらったことになる」  穂村はそれを聞いて頭を抱えた。綾人は毎日、勉強やボランティア、家の手伝いと忙しく、それ以外でも校外での人助けなどをしている。ずっと何かに追われ、毎日を必死に生きていた。  その全てに意味が無いとなるとあまりに可哀想だと思っていたから、そうで無かった事自体には安心した。 「それはわかりました……。そうすることで、貴人様と綾人が一緒に天界へ行くって言う話でしたよね。でも、だったらなんで俺を巻き込んだんですか? すぐに別れが来るのをわかっているのなら、わざわざ俺を綾人に近づけなくても良かったじゃないですか。俺は綾人を好きだと言う気持ちを、忘れようとしていたんですよ。それをわざわざ焚き付けておいて……酷いですよ。自分たちさえ良ければいいんですか? 俺が苦しむことは想定されてなかったんですか?」  穂村は、高校の時から好きだった綾人のことを、ちょうど諦めようとしていた時に貴人様に出会った。あの日の貴人様の願いを聞き入れなければ、綾人への思いを強めることは無かっただろう。  今協力していることが、貴人様と綾人の魂には役に立つのだとしても、自分の気持ちだけは蔑ろにされてしまうのだと思うと、どうしても受け入れられそうに無い。  穂村の体を離れた貴人様は、鏡の中から穂村へと話しかけてくる。その鏡の中の自分そっくりな人物に向かって、思い切り悪態をつきたい気分だった。 「他の人の体を借りてくれば、俺はこんな思いをせずに済んだはずですよね。俺が綾人を好きだって言うことを知った上で、俺に体を貸すように言われましたよね。それなのに、いなくなることを話しておかなかったなんて、ひどいじゃないですか!」  貴人様は、真剣な面持ちで穂村を見つめていた。眉根を寄せて、痛みに耐える顔をしている。穂村は貴人様がその顔をすることが狡く思えて、さらに許しがたくなった。 「言ってはいけないんでしょうけれど、文句の一つや二つくらい言わせてくださいよ! そんなに簡単に受け入れられる話じゃありません! あなたがそんな顔をしてたら、何も言えなくなる。卑怯です!」  目の前がグラグラと揺れるようだった。心の中も、全てが解けてぐちゃぐちゃになったようで、その熱を解放しないことには気が狂ってしまいそうになっていた。  普段はほとんど出すことの無い大声を、体の奥底から絞り出したことで、息をつくと頭が割れそうに痛んだ。グズグズと涙を流し喚いている自分の器の小ささが恥ずかしい。  どれほど必死になっても、溶岩の様に流れ出る想いは止まらず、その全てが口から幼稚な言葉となって零れ落ち、貴人様へと投げつけられていった。 「嘘つき!」 「俺を傷つけたのに、自分は幸せになるんですね」 「神様ってそんなに勝手なんですか? なんでそんなもん信じてんだろう。バカみたいだ」  どうしようもないのだろうとはわかっている。口にするだけ自分の価値も下がる。それでも、悲しみの回路が短絡を起こしてしまって、修復出来ない状態になっていた。  もう鏡を覗く気にもなれない。俯いて視線を逸らしていると、遠くの方から衣擦れの音がした。貴人様の姿がわずかに動くのが、視界の端に見えた。 「タカト」  鏡の中から、貴人様が穂村を呼んだ。初めて名前を呼ばれたことに驚いて、穂村は顔を上げた。ただ、すぐに従順な気持ちになることはできず、不貞腐れたような表情をしたまま鏡を覗き込んだ。 「なんですか?」  穂村が無愛想を決め込んでいると、鏡の中の雅な人物は、その場に膝をついて座った。そして、両手をつき、額を地面に擦り付けると、「すまなかった」と謝罪の言葉を口にした。 「全ては俺の見立てが甘かったことが原因だ。申し訳ない」  穂村は貴人様のその姿を見て、記憶の中に引っかかるものがあることに気がついた。恐らく高貴な身分であっただろう貴人様が、土下座してお詫びをするなんて、よほどの思いがあるのだろうと、過去にも一度思ったことがある。 ——そうか。あの日だ。あの日も貴人様は必死だった。  記憶の中の貴人様の土下座。それを見たのは、大学に入ってすぐのことだった。  DVを繰り返されていた穂村は、入学と同時に一人暮らしを始めた。奨学金を得て通っているため、生活費だけ稼げばいい。もちろん早期に返し終わるようにと計画も立てた。精神的に自由になったことで、金銭的な苦しさは大して感じなかった。ただ毎日を一生懸命生きることで、久しぶりに生きている実感を得ていた。  そうやってようやく生活が落ち着いてきた時に、一人でいるはずの部屋で誰かに話しかけられた。周囲を伺うと、鏡の中に自分そっくりの人がいた。その人物が、こちらに向けて必死に話しかけていた。 ——あれ? 俺、殴られすぎておかしくなったのか?  穂村は一瞬そう思った。ただ、鏡の向こうの人物は、穂村とは全く違う服を着ていた。着物、それも、平安時代の貴族のような格好をしていた。顔は同じ、でも声が違う。自信に満ちた表情も違う。自分にはあんな顔は出来ないと思ったのを覚えている。 「あなたは誰ですか?」  穂村がそう問うと、その人は「名前は貴人という」と答えた。顔がそっくりで、名前が似ている。ただならぬ縁を感じた穂村は、「もしかして、前世の俺ですか?」と訊いてみた。すると、貴人と名乗る男はニヤッと笑ってそれを否定した。 「俺はいわゆる神というものだ。死ぬことが無いから、前世も来世もない。あるとしたら、面倒を見なくてはいけない愚かな人間を保護するために、その時代の人間の体に似た形になることがある。今はまさにそれだ。お前と話すために、お前に合わせている」 「神……じゃあ俺は、自分の家の中で神様と話してるんですか? やっぱり殴られすぎておかしくなったのかな」  穂村が頭を抱えていると、貴人という人物が土下座をするのが目に入った。 「ど、どうしたんですか?」  穂村が慌てていると、貴人は頭を地面に擦り付けたまま話し始めた。 「お前に、一つ頼みたいことがある」  穂村は驚いて鏡をスタンドごと思い切り掴んだ。そして顔を近づけてまじまじと覗き込むと、半分嘲笑するような態度をとった。 「神様が人間に頼み事ですか?」  あまり信心深くはない穂村でも、年寄りから言われ続けたことがあって知っていることが一つあった。それは、神様から交換条件を出された場合、安易に受けてはならないということだった。  それを受けてしまうと、必ず実現しなくてはならなくなるのだそうだ。もし、それを実現しなかった場合、命がどうなるかも危ういと言われていた。  だから、この頼みも引き受けられるかどうかは、慎重に答えなくてはならない。もしそれを達成することが出来なかった場合、どうなるかはわからない。  命に執着はないけれど、出来れば納得出来るだけの人生を生きてから人生を終えたいと思っていたからだ。 「ちなみに、どんなことですか?」  内容を聞いてから判断しようかと考え、念のため訊いてみる事にした。答えてはくれないのかもしれないけれど、あまりに無理なことを言われては困る。知っていれば、ある程度は心構えも出来る。 「お前、桂綾人という男を知っているか?」  知っているか? と聞かれたが、知っているよな? という言い方だった。その言い回しに、何かしら他意があるように感じた。穂村は、それに対する不信感を言葉に含ませて、畏れ多くもそのまま神へと押し返した。 「知ってますよ。高校同じだったし、今も同じ大学の同じ学科ですし。ご存知でしょうけれど」 「それに、好きな人だしな?」  神はニヤニヤしながら、俺に問いかけてきた。その対応の心象の悪さと言ったら無かった。こんなに性格が悪くても神にはなれるものなのかと、多少貶めるような感覚を持ってしまった。 「わかってて聞いてますよね? 時間もったいないので、話を進めてください」 「なんだ、冷たいな」とブツブツ呟かれたのを、穂村は聞き流した。この時の頼みというのが、穂村が眠った後に、体を貸して欲しいということだった。浄化の儀式のために、実態が必要なのだという。 「浄化の儀式って、何をするんですか? あ、つまりは、さっきの話と繋げると、桂は面倒を見ないといけない愚かな人間だということですか?」  俺が問うと、さらに意地の悪い笑顔を浮かべてこういった。 「そうだ。あの男はかなり長いこと浄化しないとどうにもならない、稀に見る愚かな人間だ。それに、俺はあいつを助けたい。だから頼む。体を貸してくれ」  そう言って、再び土下座した。微動だにせず、頭を床にくっつけたまま動かなくなった。その姿から、桂綾人への想いの強さが窺えて、他人事とは思えなくなった。  穂村は貴人様のその気持ちに心を打たれ、体を貸すことにした。 「ありがとう。これをすることで、お前の人生に負担がかかるような事にはならないようにする」  そう言って、すうっと消えていった。それが貴人様との出会いだった。  あの日以来、毎日桂家に泊まっている。穂村にとっては、毎晩綾人と逢瀬を繰り返しているようなものだ。ただし、浄化の時の記憶は、穂村には残っていない。  ただ、体には綾人との間で行われたことが感覚として残っている。それでも、綾人が意思を通わせているのは、あくまでも貴人様であって穂村ではない。  どれほど見つめてもらっていたとしても、穂村はそれを知らない。抱きしめる温もりも、知らない。浄化は口付けだと知っているけど、穂村自身は綾人の唇の感触を知らない。その全てを知っているのは、貴人様だけだ。 「好きな人と自分の体の間にあったことを、残り香と少しだけある感覚しかもらえないって、ものすごく残酷なんです。それでもずっと耐えてきました。その上綾人を連れていくなんて……あなたは俺を壊したいんですか?」  穂村は精神的に限界を迎えていた。綾人に近づくと、獣のような気持ちになる。悶々とする日々を過ごし始めていたこの一週間。瀬川のことがあり、少し冷静さを取り戻しつつあった。そんな中、久しぶりに貴人様とゆっくり話した。 「お前に伝えておかなければならないことがある」  その結果が、この話だった。 「違う人に体を使われて、自分の好きな人に触られる。自分はそれを覚えてもいない。その苦しみの先にあるのは、その人の死。誰がそれを素直に受け入れられるんですか? そんなの受け入れられるほど、俺は人が出来ていません」  そう言って、思い切り鏡を殴りつけた。

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