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第15話 約束は?

「綾人、ちょっといい?」  金曜日の午後、水町に声をかけられた綾人はサーッと血の気が引くのを感じた。そういえば、数日前に水町から話があると言われて会う約束をしていた。そして、たった今それを思い出してしまった。  顔を見るまですっかり忘れていたということは、約束を保護にした挙句一週間連絡をしていなかったことになる。綾人は半ギレの水町の顔を見ながら、激昂されるに耐える心の準備をすることにした。 「あ、なんかようやく思い出した感じですか、綾人さーん? ずっと連絡待ってた私、可哀想じゃないですかー?」  水町が珍しくネチネチと責め立ててくることに、ツッコミを入れる勇気も持てないほどに申し訳なさを感じた。約束を破ったことも信じられないけれど、その後の対応が不味過ぎる。 「ごめん! すっかり忘れてた……、ちょっと色々あってさ」  すると、水町は腕を組み、ふんっと鼻を鳴らして仁王立ちをして綾人に噛みついた。 「そうだよねー。綾人くんは穂村くんとチューするのに、めーっちゃ忙しいですもんねえ。チュー。すんごい噂になってるんですけどー」 「はあああああああああ!?……え? うそだろ? う、うわさに?」 「そりゃなるでしょ! なってるよ! 二人とも美形なんだから、何もなくても結構みんなに見られてるんだよ。その二人がチューしてたら、見るよ。私だって何回か見かけたしね」  綾人は持っていたバッグで壁を作り、水町に顔を見られるのを全力で阻止した。確かに、最近はタカトがどこでも愛情表現をするようになってきて、見られ無いようにする方が難しいような生活をしていた。 「まじか。いやお前は見てないで声をかけてこいよ……」  最近はめっきり告白されなくなっていて、周りにタカトとの関係を気づかれてるんだろうなということは、綾人も薄々わかっていた。そして、それを躍起になって否定して回る必要も無いかなと思って、そのままにしておいた。  実際に付き合っているわけだし、綾人には残された時間が少ない。だから、関係性を隠すことに労力を割いている余裕が無かった。ただ、友人にそれを面と向かって言われるのは恥ずかしい。  カバン一つでもいいから、水町との間に隔てるものが欲しくて必死だ。 「いつからそんなことになってたのよー? あ、だからご飯はダメだって言ってた? デートだから? それならそうと言ってくれればいいのに。まあ、それなら穂村くんと三人でって、言うだけなんだけど」 「どうしても飯時じゃないと嫌なんだな。お前がそういうこだわり持つのって珍しくない?」  綾人には、なぜこんなに水町が時間帯を気にしているのかが謎だった。これまで一度も、こんなにしつこく頼まれたことがなかった。どちらかというとあっさりした人間関係を好んでいて、むしろ綾人からお願いをして何かに付き合ってもらうことのほうが多いくらいだ。 「結構遅い時間じゃないと会えない人に会って欲しいの。会うって言うより、覗くんだけど。綾人がその人を見たことがあるかどうかも知りたい」 「お前さあ。それだけで時間取るほど俺も暇じゃないよ。せめてその人は誰なのか、そしてなんでそんなことする必要があんのかを教えろよ。タカトん時とは事情が違うだろ? わざわざ夜に人を見るために出かける余裕ないぞ」  水町は顔を上げ、天を仰ぐようにして深呼吸をした。そして、綾人の方へと向き直ると、いつものものとは違った色を目に宿し、落ち着いた声で綾人に言い聞かせるように話し始めた。 「瀬川くん、生き霊がついてるって貴人様が言って無かった? しかも貴人様曰く、簡単に辿り着けそうにないらしいじゃない? 実はさ、もしかしたらってこの人じゃ無いかなって、思い当たる人がいてさ」  綾人は眉を顰めた。水町が瀬川事件のことを知っているのはいいとして、生霊に思い当たる人がいるのなら、なぜ貴人様に直接そのことを言わないんだろう。 ——あれ? そもそも水町に貴人様の話ってしたことがあったか?  水町は割と勘が鋭い。だからと言って、俺とタカトの様子を見て何かに気がつくことがあったとしても、さすがに神が憑いているなんて思う人はなかなかいないだろう。  それなのに貴人様と名前まで持ち出してきた。それに、ここ最近の水町の言動や行動にもやや謎があった。綾人が金曜日のボランティアに誘った時も、なんとなくはっきりしない理由で断ってきた。それは、これまでの水町にはあり得ないことだった。  何か隠し事をしているように感じた綾人は、ほんの少しだけ胸に痛みを感じていた。自分たち二人の間に隠し事が存在する日が来ようとは、少しも考えたことがなかった。 「なあ、お前何か俺に隠して無い? 隠したままなんか探るのに協力させようとしてる?」  すると、水町はあからさまに狼狽えた。隠し事が下手にも程があるだろうと言うほどに狼狽えて見せた。それが何を意図しているのかが全くわからない。  これほど真意の見えない水町は初めてで、まるで初対面の人と話をしているようだった。 「と、とりあえず、今日の夜、駅に集合ね! 今日こそ来なさいよ!」と言いながら水町は去っていった。 ——怪しい。  これは、ちゃんと確かめてみたほうがいいかもしれない。その時、ふと綾人はタカトが言っていたことを思い出した。 『水町さんは、気がついているかもしれないね』  タカトもまた、水町に関して何かを知っていて、それを綾人に隠しているのかもしれない。 「え、もしかして俺だけ知らないことがあるのか? それは……ちょっと嫌だな」  もしそうなのであれば、綾人にとって少ない友人のうちの一人と唯一の恋人に隠し事をされていることになる。しかもそれはおそらくとても大切なことだ。知らせてもらえないことへの寂しさが胸にチクリと刺さった。 「あー、もう! 悩む時間ないだろ、俺! 直接聞くぞ!」  綾人は大声で独言ると、スマホでタカトの連絡先を表示した。そして、ついさっきまで一緒に活動していたタカトにメッセージを送る。 『十八時、駅前集合。  水町と三人で。  瀬川の件』  今日はすでに全ての予定は終了している。ボランティアも休みの日だった。水町もタカトと一緒でいいと言っていたから、三人で話していろんなことを早くスッキリと解決したくなった。  ほんの少しだけだけれど、ギリギリとしたトゲのある気持ちになりかけていた。すると、ポコンと音がして、タカトからのメッセージが返ってきた。 『了解ー』  その返事の速さと軽さに、固くなっていた心が僅かに柔らかくなるのを感じた。それが自分だけの知っているタカトなのかもしれないという思いが、思わず顔を綻ばせた。 ——俺だけが知ってるってやつ?  体の内側の温度がほんの僅かに上がって、それが不思議と気持ちまで軽くしてくれるように感じる。これまで自分の中に小さくなって隠れていた本当の自分が、大きく伸びをして飛び出してきたように心が軽くなる。  なんでも簡単に手に入っていた綾人にとって、唯一手に入らないものだった恋人という存在。友人の恋人関係が羨ましくて仕方がなかった。これまでどれだけ言い寄られても、どうしても誰のことも好きになれなかったのに、タカトの花が咲いたような笑顔を見るたびに、もっと近づきたいという思いが募っていく。   ——十八時には、また会える。  昼も一緒にいたのに、次の約束をそわそわして待つ。この気持ちが持てるようになったことだけでも、今の人生に意味があるように感じられた。 「はあー。好きってすごい。でも、ドキドキし続けんのもしんどいな」  待ち合わせまでの二時間がずっとこの調子だと心臓が壊れてしまいそうなので、綾人は家路を急ぐことにした。

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