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第22話 治癒と支配

◇◆◇ 「俺の見立てが甘かった。すまない」  タカトが貴人様からそう言わたのは、いつだっただろうか。その言葉の奥に潜む逃れようのない運命は、彼に積極性というプレゼントをもたらした。  もたもたしていると、綾人は消えていなくなってしまう。その日は確実にやってくる。なぜなら、それが今世の綾人の人生そのものだからだ。 「まさかお前がそれほどまでに、綾人を好いてしまうとは思わなかった」  貴人様の見立ての甘さとは、そのことを指していたらしい。ただし、それは無理もない話だった。数年前に一度助けられてくらいで、こんなにも長い間誰かを好きでいられるとは、タカト本人も思っていなかった。  でも、もう今はほぼ毎日一緒にいて、両思いになって、もっと一緒にもっと色んなことをと欲張ってしまうようになっている。それが長くても節分までなんて……そう考えると、タカトはただ身を切られるような痛みにさらされるばかりだった。  綾人は成人する前に亡くなるということが、生まれながらに決まっているのだと言われた。ただ、それは前世の綾人自身が望んでいることであって、今世の綾人の人生に暗い影がつきまとうなど、天界の誰にも想像がつかなかったらしい。 「貴人様と綾人は恋人同士だったのですか?」  綾人は、なんとなくではあるものの、貴人様と綾人は恋人同士ではなかったんじゃないかと思うと言っていた。もし恋人だったら「あんなに愛してくれる人がいるのに、略奪なんてしたりしなかったんじゃないか」といつも言っている。 「確かに、恋人同士では無かった。綾人は俺のお気に入りだった。ただそれだけだ」  スッと視線を落とし、哀しげに貴人様は言った。認めたくはないがそれが事実だと、寂しそうにポツリと呟いた。 「俺は神で、綾人は罪人。罪人はそのままだと地獄行き。それがルールだ。そして、もし罪を減らす努力をしたとしても、人間が天人になるのはとても難しい。それでも、俺と夫夫になるには天人になるしかない。俺たちはそれを望んだ、だから今人助けをやらせている。今世はそのために用意されたもので、除霊が数回できれば条件は満たされるだろう」  つまり、前世で恋人になれなかったのは罪があったからで、今世で罪を減らすことによって綾人が天人になることが出来れば、貴人様と夫夫になって天界で共に暮らすことができるようになる。それだけを目的としているのだという。  タカトが選ばれた理由は、貴人様が体を借りたとしても、特に問題が起きる可能性が無いと判断されたからだった。ただ、その目論見は見事に外れた。そういうことらしい。 「神様って、先読み外したりするんですね」  タカトは言いようのない憤りを感じ、貴人様に罪の意識を持たせるような訊き方をした。思った通りに貴人様は怒りを感じたようで、それを堪えつつ、丁寧に詫びの気持ちを示した。 「恋仲になる可能性があることはわかってはいたが、これほど深い愛になるとは思っていなかった。そこは外したということだろうな。すまなかった」  タカトから視線を外したまま辛そうに話している。それは、何かから逃れようと目を伏せているようでもあった。もしかしたら、タカトの辛さが体を通して貴人様にも伝わっているのかもしれない。そう考えると、申し訳なくもあった。 「お願いがあります」  タカトは、貴人様の映っている鏡の方へと詰め寄った。一度は昂ったタカトが粉々に壊したはずの鏡。それが、数日経つと何事もなかったかのように元通りになっていた。そして、今、貴人様からの詫びと歩み寄りを受けていた。  タカトは、その鏡のフレームをガッと思い切り掴んで、割れんばかりの力を込めた。 「その運命のために生きているのなら、俺は何を言ったところで受け入れるしかありませんよね? だったら、約束してください。節分までは、何があっても綾人は生きていられるって約束してもらえませんか。神様だったら、その辺は約束できますよね?」  貴人様はしばらく腕を組んで考え込んでいた。穂村は縋るような目で貴人様を見つめ、答えを待つ。しばらく逡巡した後、返って来た答えはこれだった。 「わかった。お前に治癒の力を貸しておこう。ある程度の傷なら、それ治せるはずだ。綾人が今世でもし予定外の死を遂げるとしたら、他殺だとされている。そして、それが起こる可能性がある。因縁のある相手が、綾人に近づきつつあるのだ。お前がいつでも守れるようにしておけば、大きな危険を避けることができるだろう」  そして、貴人様はある呪いをタカトに教えた。絶対に人に聞かれてはならないぞと念を押されて、強力な呪いがえしを教えられた。 「いいか。見られても構わないが、聞かれないようにしろ。迂闊に真似をすると、使ったものが死ぬ可能性があるからな」 「はい。わかりました」  タカトは治癒の力を得て、綾人を守る決意を新たにした。これはライブハウスに行く数時間前の二人のやりとり。つまり、綾人が刺されることは定められていたということになる。 ◇◇◇ 「命の危機が来るの早すぎだろっ!」  抱き抱える綾人の腹部から、ぬるりとした感触を感じて吐きそうになった。数分でも待つと命を失うのではないかと思うほどに、出血の勢いが強いのがわかる。 「すみません、通してください」  タカトは、少しでも人が少ないところへと移動しようとしていた。今こそ、綾人を助けるときだ。ただ、この状況で誰にも聞かれずに呪いを施すには、どうしたらいいだろう。  最後列にいたため、綾人が倒れていることには誰も気づいてないようだ。穂村は、綾人の体を抱き抱えると、角の方へと移動していた。水町は、穂村が綾人を抱えて移動していることに気づくと、慌てて後を追ってきた。 「どうかしたの? 綾人、気分悪くなっちゃった?」  そう言って近づいてきた水町は、綾人の体から生臭く鉄の匂いが立ち上っていることに気がついた。よく見ると、綾人は目を閉じていた。そして、水町が話しかけても、一向に返事をしようとしない。 「え? 綾人怪我したの? どうし……」  驚いて理由を聞こうとしたタイミングで、演奏が始まってしまった。  ズンっと地響きを思わせるような重いサウンドが、体を揺らした。ライブハウスに慣れていない者にとっては、息苦しくなるほどの音圧が襲ってくる。  クリーンな音が一切存在しない、エッジの効いた分厚いサウンドだけが、塊になって襲いかかってくる。観客はそれに慣れているのか、異様なまでに大きなエネルギーの襲撃を受けながらも、狂気的で恍惚とした表情と熱をばら撒いていた。  強拍の度に、心臓が強制的に動かされ、弱拍でも息がつけずにただひたすらに追い込まれる。切迫感とそれを楽しむような異常性に満ちた音が、空間を所狭しと飛び交っていた。 ——なんだ? 何か嫌な感じがする。  普通に人間が演奏するだけで、こんな風になるものだろうか。ライブハウスで重音に慣れているなら判断もできるだろうが、タカトにも水町にもその判断は難しかった。  ただ、どこかしらに音楽だけではない危険なものが潜んでいる気配をうっすらと肌で感じた二人は、一刻も早くこの場を去りたいと思い始めていた。 「やべえな、このままじゃ綾人運び出すのも難しい。でも呪いは聞かれちゃダメだし……」 ——これだけうるさければ、むしろ今ここでやった方がいいのか?  タカトは一旦冷静になろうと深呼吸をした。そして、深く息を吸い込むと、小さく何かを呟き始めた。水町は、タカトの口がパクパクと動いていることに気がつき、「穂村くん、何か言ってる?」と訊いたけれども、タカトはそれには答えなかった。  右手の人差し指と中指を揃えて口に当て、さらにぶつぶつと何かを言い続けていた。そして、それを綾人の血の泉の元へと触れた。  そのままそれを続けながら、左手で水町の目をそっと隠す。何も聞き取れない状況で、水町はそれを「今していることを認識しないで欲しい」と言われているのだと判断した。    そして、大人しく目を閉じ、爆音の方へ意識を向けた。  体を骨ごと揺らす分厚いキックの音に心臓を掴まれ、ベースとギターが絡み合ってスピーカーが軋むほどの轟音が飛び出してくる。違う波形と違う帯域。その交わりの巧みさに、このバンドが技巧派だと言われる理由があると水町は聞いていた。  うねる低音に揺らされる平衡感覚と骨に叩きつけられる高音が、自我を奪っていきそうなほどに襲いかかってきた。この音の暴力の何がそんなに素晴らしいのか、水町には全く理解出来なかった。  「スリーエスのワンマンにようこそー!」と叫ぶケイトの声と、それに応える聴衆。変わらずに続くその異常性に震えながらも、視界を奪われているとふと気がつくことがあった。 ——香りだ。香りがする。なんの香りだろう、これ……。  それは、水町は嗅いだことのない香りだった。ただし、水町の中の人物にとってはそうではないらしい。体の中から、この香りは危険だというメッセージが発せられている。  危険を伝えようと目を開けると、タカトの手はすでに水町から離れていた。そして、ふと隣を見ると、綾人の体が小さくパッと光っているのが見えた。  周囲はボルテージが上がり、わああああああああ! と叫び、飛び跳ねている。後ろの足元で人が光っていても、誰も気にならないようだった。  オレンジ色の淡い光が綾人の周囲を漂い、光の帯となって綾人を包み込んでいった。それが傷のある場所を認識すると、その部分だけが強く光っていく。何をしているのかを知らされていなくても、なんとなくそれが治癒であることは理解できた。  そうして、暫くそのままの状態が続き、一瞬激しく明滅した後に弱まって消えていった。  光が完全に消えると、タカトは水町をぐいっと引き寄せ、耳元で大きく叫んだ。 「とりあえず、今日は帰ろう。水町さん送ってから綾人の家に行くから。一緒にタクシーに乗って帰ろう」 「うん、わかった」と水町は頷くと、立ち上がってすぐに走った。そしてフロアのドアを開けようとしたが、ドア付近のスタッフに止められた。 「ツレが体調不良なんです。ここで吐かれたら困るでしょう?」と言うと渋々通してくれた。そして、急いで通りに出ると、夜の繁華街の中で客待ちをしているはずのタクシーを探すために、走って外へと出て行った。  それに続いて、タカトは綾人をおぶって受付カウンターを通り過ぎようとした。そのとき、受付カウンターの裏手にあるスタッフルームの方から、視線と違和感を感じた。  ふと気になって見てみると、開け放たれたドアの向こう側に、ラグジュアリーな革張りのソファが見えた。その脚の下の方に、人の腕がだらんと下がっているのが見えた。  その脱力具合が生きている人間にしては激しく、やや異様な光景だった。視線を感じたにも関わらず、そこにはその人の手以外、誰も見当たらない。 ——気のせいだった?……スタッフさん、死んでるみたいだな。すごい寝方。  この時、何も知らなかったタカトは、これだけ熱気のあるライブだとスタッフ側は大変だろうなと呑気に思いながら外へ出た。普段なら「大丈夫ですか?」と声をかけただろう。そうすれば、その人物に起きていることがわかったはずだ。  でも、今は綾人を安静にさせることのほうが大切だと判断した。そして、水町が拾って来てくれたタクシーに綾人を寝かせ、自分も隣に乗り込んだ。  三人が去った頃、その倒れていた男の肌には、皮下に鮮血が滲み出た真っ赤なアザが出来、花のタトゥーが施されたようになっていった。 「う……、ケイ、ト……」  男は青みがかったセンターパートの髪を掴みながら、不快感に耐えていた。そして、その男の向かいのソファーには、真っ赤なカーリーヘアの女と、イエローブラウンのストレートロングの女が折り重なるようにして倒れていた。

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