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第30話 陽太の苦しみ

「わー、消えた? 飛んだ? すげー!」  綾人は瀬川(ウル)が飛び立った場所へと立つと、そこから周囲を見渡した。視界に映る限り、鳥の姿はどこにも見当たらない。瀬川(ウル)は飛んでいったというよりは、その場から消えてしまったと言った方が早かった。 「瞬間移動みたいな感じですかね?」  そう綾人が問うと、貴人様は目を細めて「そうだな」と微笑んだ。そして、再び表情を引き締めると綾人の隣に立ち、その肩に手を乗せた。 「今から来る男が、きっとお前の最初の人生の記憶の扉を全て開くだろう。重たい自己嫌悪に駆られるかもしれない。だから先に言っておく」  貴人様は暖かい手のひらで綾人の頬をそっと包み込み、胸の中にある痛みを隠さずに綾人に注ぎ込んできた。 『お前のことが大切だ。何よりも失いたくないものだ』  それが流れ込んでくる度に、胸や胃がギュッと縮むような苦しさがあった。喜びと悲しみがないまぜになったようで、その動揺の振れ幅に戸惑う。それが結果的に、思わず涙を零してしまうほどの悲しみになっていく。  どうすることも出来なかった事への無力感と虚しさ、それと相対するのに並行して流れ込んでくる愛情。それに対する喜び。いくつもの嬉しいと悲しいが行き交い、漂っていく。 「どの人生にも、お前に非はなかった。俺はそう思っている。正しいことを知らずに間違ったことを正しいと教えられれば、そうだとしか思えない。お前は悪くない。俺のこの言葉を信じていてくれ」 『大切なんだ』  綾人は体を震わせていた。ヤトに感情の乱れが起きると、綾人も小刻みに震えてしまう。貴人様とヤトの気持ちが通じ合ったことが、これでわかるようだった。 「お前は、自分がヤトだったことには気がついているよな?」 「はい。それに、最初の人生で仲良くしていたのがイトで、それが佐々木恵斗だっていうこともわかりました」  貴人様は「そうか」と呟くと、瀬川(ウル)が飛んでいった遠くの空を見上げながら、もう一つ質問をしてきた。 「では、二度目の人生については?」  そう訊かれた綾人は、ふるふると被りを振った。  二度目の人生については、処刑されるところ以外は何も思い出せていない。それに、一度目の人生も、男娼をしていた事と見受けされたその日に焼き殺された事はわかっていても、それ以外のことは全くわかっていなかった。 「囚人だったことしかわかりません」  「そうか」と再び呟いて、貴人様はそのまま黙り込んでしまった。その横顔があまりにも悲しくて、見ていられなくなってしまった綾人は、ふと連れてきた三人のことが気になり、後ろを振り返った。    すると、ちょうど陽太がこちらをじっと見つめていて、綾人と視線がぶつかった。ぼーっとしていたのだろう、急に目があったことにとても狼狽えていた。 ——そうだ、さっきの話……。  瀬川に取り憑いた時の話を、もう少し詳しく聞いておこうと思った綾人は、陽太の方へと近づいていった。そして隣に座り、柔らかく微笑んだ。陽太は綾人のその優しい笑顔につられて、ぎこちないながらも、思わず笑顔を返した。 「川村くん、さっきの話なんだけどさ。瀬川のことが好きだったの? もしかして、誰にも言えなくて苦しかった? 呪ってしまうほどに苦しんでた?」 「あ……あの、えっと……それは……」  揶揄われることが怖く体を硬くしてしまった陽太は、言葉に詰まってしまい何も言えなくなってしまった。するとそれを見た綾人は、「貴人様、ちょっとタカトと入れ替わってください」と声をかけ、それに応えてくれたタカトが二人の方へとやってきた。 「綾人? どうかした?」  布団の上に座り込んでいた二人に合わせるように、タカトは綾人の隣に座ろうとした。身をかがめて片手をついた瞬間に、突然胸ぐらを掴まれて引っ張られてしまった。 「うわっ!」  綾人は、体勢を崩したタカトを捕まえて、そのまま引き倒しながらキスをした。そして、逃げられないようにタカトの後頭部を掴み、足で体を固定したままその熱を上げていった。 「えっ? えっ! ちょ、ちょっと!」  陽太は綾人の行動に驚き、慌てて目を逸らそうとした。何が起きたのかわからずに狼狽えていると、綾人が陽太のシャツの裾を掴んだ。逃げようとしてもその部分が引っ張られて動けない。  仕方なく真っ赤な顔をして視線だけを戻した。それを見た綾人はタカトに軽く口付けて、ようやく離れた。 「ど、どうしたんですか、いきなり……」  陽太はシャツの胸元を掴んで、どうにかして動揺を隠そうとしていた。綾人の意図がわからず、困惑している。 「見たよね? じゃあわかるよね。俺、タカトが好きだから。俺たち付き合ってるんだよ。だから、川村くんを揶揄ったりしないよ。瀬川のことが好きだったんだよね? 苦しんでたんだよね? ただ、その確認がしたいだけだから。それに、その気持ちをケイトに利用されたんじゃないかと思ってさ……それだと、すごく辛かっただろう?」  陽太はその説明にも驚いて、綾人の言葉をただじっと聞いていた。その声には、揶揄いの意は込められてなくて、心の底から心配しているのがひしひしと伝わって来る。  綾人の気遣いに心がじわりと温まるのを感じた。 「た、ただそれを伝えるためだけにそんなことを……」 「そうだよ。でも、タカトは俺のことを突き放したりしないってわかってるから出来たんだけどね。信頼関係があるから出来るんだからね」 「信頼関係……」 「うん。そして、それはそう滅多に人に見せるものでもないだろ? でも、俺はそれを川村くんに見せた。これで信頼してもらえたら嬉しいなと思って。……あ、言っとくけど、俺人前でのキスなんて自分からは絶対しないんだからね! 特別なんだよ、今の。それわかっててね!」  陽太は、人を気遣ってあげるのが苦手だ。人の心の機微に触れることが恐ろしいとさえ思っている。だからこそ、反対に人に気遣ってもらえることを、とても嬉しいと思うし、反面申し訳ないと思ってしまうところもある。  でも、今回は自分の行動が他人を巻き込んでしまったし、それを解決するために動いてくれたことを考慮しなければならない。そう考えると、綾人の行動には素直に感謝しておこうと考えた。 ——気持ちを利用されたことにも気づかれてるなら……。  陽太は綾人の目を見た。隣でタカトもこちらを向いていた。二人とも、透明感のある力強い目をしている。その二人が、話せば受け止めるよと態度で示してくれていた。    目を閉じて、軽く息を吐く。覚悟を決めて、陽太はこれまでの自分のことを話し始めた。 「俺……、恋愛の仕方っていうのがよくわからないんです。正直、小さい頃からずっとストーカーみたいなことしかしてなくて。今まではそれでも大丈夫でした。それは、ずっとその対象が桃花だったから……」  そう言って、ベッドの向こうに轢かれた布団の上で寝ている桃花の方を見た。穏やかな顔で寝息を立てている。 ——あの顔を見てるのが、好きだったのにな……。 「そうなんだ。うん、まあ、相手が幼馴染だったら、川村くん自体にちょっとストーカー気質があっても、周りには気づかれにくいかもね。問題無いように見えてただろうな」  綾人が応えると、陽太は「そうです。桃花も許してくれていたので」と答えた。  陽太は、小さな頃から桃花に片思いをしていた。幼馴染で、家は隣同士、小中とずっと同じクラスだった。コミュニケーションの下手な自分を、唯一構ってくれていた桃花。その優しさが大好きだった。 「俺、小さい頃とても内気で、自分の考えや希望を口に出していうことができませんでした。普段はそれで良くても、意見を出し合う必要がある時になっても、全く話せなかったんです。親が病院とかに連れて行っても、理由は分かりませんでした。耳も聞こえる、言葉も理解出来ている。それでも、会話だけは出来なかった。考えて、整理して、口に出して、意味のある言葉を繋げる。それが俺にはとても難しかった」  ぎゅっと両手を握った。強く力を込めて、その中に思い出したく無いことを押し込めていられるように、必死に握りしめた。喋れなかったことで散々辛い目に遭ってきたことを、今は話す必要はない。    そんな風に自分を守っている陽太を見て、綾人はその背中にそっと手のひらを当てた。 「そっか。それは人付き合いが大変だったな」  そう言って、背中を優しく摩った。 ——えっ!? これ、何?  陽太は、これまで経験したことがない不思議な感覚に襲われた。綾人の手が触れたところから、苦しみが少しずつ漏れ出て消えていくように感じた。  体の中から引き出された澱が、表に出ると透明度を上げて、蒸発して無くなっていく。目に見えるわけではないのに、そんなふうに感じていた。   「そ、それでも、書くことは出来たから……。勉強で困ることはあまり無かったんです。だからそのうち、大人は何も気にしなくなっていきました。グループワークが必要な教科ではたまに困ったけど、大体先生か桃花がフォローしてくれてました。そうやって助けられているうちにだんだん好きになってって……。でも、好きになった後に何をしたらいいのかがわからなくて、ずっと近くにいないと不安になっていました。離れるのが怖くなってしまって。高校は、一つランクを下げてでも同じところに通いました。大学も、桃花と同じところで出来る研究を探して、親を説得しました。そうやって大学四年間でどうにか告白しようとしていたら、桃花に好きな人が出来てしまったんです。それが瀬川くんでした」  最初はただの嫉妬で、狂ったように瀬川のこともつけまわした。自然と瀬川のことを深く知るようになっていったある日、うっかり鉢合わせするというミスを、二日連続でしてしまった。    その時、瀬川は罵ることもなく、驚くほど輝くような笑顔で接してくれたのだそうだ。 『あれ、昨日もぶつかったよね? 運命?』  その優しい笑顔とあまりの人の良さに、気がつくとどんどん瀬川の方に惹かれていってしまったらしい。 「女の子に告白できないような奴が、同性を好きになったんです。もうどうしようもなくて、毎日苦しくて。時々一人で飲みに行ったりしてたんです。普通のバーで俺みたいなのが一人だと絡まれちゃうから、お酒飲みながら音楽が聞けるところで一人で飲んでました。それがサウンドハウスSに通うきっかけになりました」  これまで、相談といえば桃花にしていた。でも、この件に関しては桃花には相談できない。一人で抱え込むしかなくなってしまい、陽太は酒に溺れていった。    体つきはがっしりしているけれど、顔つきが幼く可愛らしいので、だんだん陽太のことが噂になり始めたらしい。『サウンドハウスSに、いつも一人で飲んでる可愛い男の子がいるらしい』と。 「その噂を聞きつけて、しばらく付き合いが無くなっていたケイトが、俺を利用するために近づいて来たんです」

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