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第31話 佐々木恵斗という人物
「でもさ、聞いたところによると川村くんと雨野さんは、ケイトとも幼馴染なんでしょ? それなのに利用されたって思うほど酷いことをされてたの?」
タカトが信じられないという顔をして、陽太にそう尋ねると、陽太は唇を噛み締めた。そして、やや思いつめた顔をして、二人に尋ねた。
「それを話す前に、ケイトがどういう人なのかを聞いてもらってもいいですか?」
「その方が話しやすいなら、いいよ」と綾人が答えると、タカトも隣でうんと頷いた。陽太はそれを見て胸を撫で下ろすと、息を整えて目を閉じた。
「ケイトは……小さい頃から頭が良くて、運動も出来て、ずっとカッコ良くて。家族も官僚とか法曹系のエリートばっかりっていう環境で育ちました。僕はたまたま小学校から高校までずっと同じクラスだったんですけど、そのことで幼馴染だと言ってくれています。そして、僕といつも一緒にいた桃花も合わせて、三人で幼馴染だという認識でいました」
タカトは長い髪を片手でくるくると巻きながら、納得いかなさそうな顔をしていた。それは綾人も同じだった。そんなに順風満帆な生活をしていて、なぜあんなにスレていったのだろうか。そこがとても引っかかっていた。
店の入り口で壁にもたれかかってタバコを吸っていたケイトが、お堅い家の子供だといわれて信じられる人は少ないように思う。あの姿でいられるということは、よほど寛容な親なのか、それとも……。
「そんな家にいて、あの見た目でいられることは少ないですよね? それはその通りで、ケイトは大学に入った頃に家を追い出されてるんです。でも、原因は見た目のことじゃありません。それよりも根深い問題があるんです」
「えっ!? 違うの?」
二人は驚いて大声を上げた。そんな堅苦しい家にいて、あの見た目が問題じゃないなんて、優しいとしか言えないのではないかと思ったからだ。ただ、陽太の顔を見る限り、その予想は間違っているらしい。
「うん、違うんです。追い出された原因は、受験に失敗したからなんです」
陽太が言うには、ケイトは小さな頃から検事になることを夢見ていた。それを親に話したところ、私立小学校を受験するところから全てのレールが引かれたのだと言う。それだけ聞くと、いい親なのかもしれないと思うのだけれど、話はそれだけでは終わらなかった。
不幸なことに、ケイトはその受験の日に体調を壊し、受験に失敗した。そこから家での扱いがガラリと変わったのだと言う。
「受験失敗組の子の中には、中学受験の合格を期待して早くから塾に通い詰めにされてた子もいたけど、それすら幸せだと思える状況にケイトはいました。彼は、一度失敗しただけで、もう全ての価値がなくなったような扱いを受けたんです。それでもケイトは頑張って中学受験をしようとしてました。でも……希望する学校の受験日に事故に遭って……。ケガは大したことは無かったけれど、数日入院しました。それで結局公立に通うことになって。それから、わかりやすく悪くなっていきました」
子供時代に求めた愛を受け取れなかったケイトは、それを外に求めるようになった。同時期に音楽に出会い、楽器の練習をしている間はとても穏やかにしていたのだと、陽太は言った。
「ギターを弾きながら歌っているケイトはすごくカッコよくて、とても楽しそうでした。あんなにイキイキした笑顔のケイトは、それまで見たことがなかったんです。僕も桃花も、歌っているケイトを見ているのが好きでした。でも、ライブハウスに出入りするようになって、素行の悪い人たちと付き合うことが増えていってから、急に僕たちと距離を置き始めたんです。多分、僕らを守ろうとしてくれたんだと思います」
学校に碌に通わなくても高等部に主席進学し、特待生にもなっていた。進学してからも成績は全く下がらず、優等生だった。それでも両親は、ケイトをいないものとして扱い続けた。
そうなると、高校生とはいえ子供だから、誰かが構ってくれる場所を守ろうとする。でも、その連中は毎日遅くまで遊び歩くような子達で、遊びに出ていない日は、いつも遅くまで誰かの家のガレージに籠っていた。それがいけなかったらしい。
そこで何が行われていたのかは、いまだにわかっていない。ただ、家に帰る頃には、酒に酔ったような状態になっていることがよくあった。
「僕が塾の帰りに見かけた時には、完全に酩酊状態で、そのまま返すとどうなるかわからないと思ったので、うちに連れて帰ったこともありました。ケイトはその時のことに感謝してくれていて、そこからつかず離れずの状態での付き合いが再開しました。でも、大学に入って、それこそ僕が瀬川くんを好きだと自覚した頃……あのタバコを勧められました」
「それが呪玉だったわけか……甘くて青臭いやつだよね? 恋が叶うとか言われた?」
綾人が陽太に尋ねると、陽太は大きく被りを振った。
「『男に片想いしたって辛いだけだろう? 叶えるつもりがないのなら、ずっと辛いままじゃないかって。それなら、その辛いの忘れようぜ』って……火がついたタバコを口に突っ込まれて。それを吸い込んでしまったら、もう、どうしようもなくなりました」
陽太は、その煙の効果は凄かったのだという。信じられないくらいに気持ちが軽くなり、いつぶりか分からないほどに思考のもやが晴れた。それまで、何を悩んでいたのかわからなくなってしまったほどに、高揚感と多幸感に包まれた。
「吸い終わった後、すごくスッキリしていて、嬉しかったのもあるんですけど、すぐに思いました。……これはダメになるやつだ、って。だからケイトに会うのをやめようと思ったんですけど……」
陽太は両手の拳を握り締め、俯いて震え始めた。小さく震えると言うのとは違って、ガタガタと震えながら、嗚咽を漏らして泣き始めた。ここまで話していた淡々とした口調とは打って変わって、激しい感情が溢れてくる様子に、綾人とタカトは胸が痛んだ。
「あのさ……もしかして、だけど。瀬川のフリをしたケイトに抱かれた?」
綾人が陽太に尋ねると、陽太は首が取れそうなほどに被りを振った。涙が飛び散るほどに激しく否定する。でも、そこにはもう一つの意味が含まれていて、それを口にすることはどうしても出来ないようだった。
「じゃあ、さ……瀬川だと思って抱いてって言われた?」
ケイトはイトの生まれ変わりだ。ヤトの記憶が正しいのだとすれば、イトも抱かれる専門の男娼だったはずだ。ヤトとイトは、陰間と呼ばれていた。雇われていた茶屋は、抱かれる専門だったはずだ。
それなら、ケイト自身が慣れたことをした方が結果を出し易いと踏んで、呪玉で催淫状態にある陽太に自分を抱かせたのではないかと綾人は思った。
「あ……あの……ぼ、僕……」
陽太は、遂に秘密を知られてしまったと思い、目がこぼれ落ちそうなほどにそれを見開いて泣いていた。その時のことを思い出したくなかったのか、拳をこめかみに当てて頭を振っている。
「どうしても……あ、抗えなくて……嫌だったのに……」
綾人とタカトはたまらずに陽太を抱きしめた。陽太の性格からして、瀬川を好きなのに他の人を抱いた事実は、重い枷となっているに違いない。その取り返せない事実が良心の呵責を生み、それが歪んで生き霊となったのかもしれない。
二人で抱きしめたことで、陽太は身体中を温もりに包まれた。それで緊張の糸が切れたのか、「わあー!」と大声をあげて泣き始めた。
「怖いな……薬と快楽による支配か……でも、なんでそこまでして川村くんを支配しないといけなかったんだ?」
「そうだよな。だって川村くんはケイトには優しくしただけだろう? 恨む理由なんて無さそうだもんな」
陽太の背中を二人で摩りながら、ケイトの考えていることがわからずに困惑した。ケイトが過去に綾人を殺そうとしていたことを考えると、恨まれているのは綾人だろう。
でも、綾人と陽太は今日初めてちゃんと話したような関係だ。陽太を巻き込まず、タカトや瀬川に攻撃を仕掛けるのならまだわかる。なぜ陽太が狙われたのか、それが全く分からない。
そこで二人が言葉を詰まらせていると、窓の方からガタンと大きな物音がした。
「そりゃー、陽太を使ってウルを傷つけるためだよ。な、陽太?」
ねっとりとまとわりつくような口調と、陽太を詰るような視線が飛び込んできた。
「……ケイト」
そこには、ウルの鉤爪に捕まえられて運び込まれた、赤髪の美形男子がいた。唇の横に血が乾いた跡があり、それをペロリと舐める。
「あ、俺、今お前に抱かれたくないから。さっきしつこい男に抱かれたばっかりなんだよ。シたかったら、ウルとヤってね」
あははと乾いた笑いを投げつけるケイトを、見かねたウルが床へと投げ捨てた。
「うわっ!」
ケイトは肩を打ちつけて落ちた。ウルはその顔を忿怒の表情で見ていた。
「いったあー。ちょっと何すんだよ。雑に扱うなよな、ウル」
ケイトは肩に手を当てたまま立ち上がると、ウルの鼻先に顔を近づけて抗議した。ウルはそれにギリギリと歯軋りをして答えた。
「うるさいぞ。貴人様の命が、お前を殺して来いじゃなくて残念だ」
そして、ケイトと陽太の間に入り、すっと手を広げた。陽太を背に、ケイトへ向かってまっすぐに目を向けると、ひどく冷めた声ではっきりと言い放った。
「俺の大切な人に手を出すな」
その言葉を聞いて誰よりも驚いていたのは、何も知らない陽太だった。
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